ジェラルド・ゴルドーは凶暴なのか紳士なのか

先日、お会いした方からジェラルド・ゴルドーの名前が出てきて、懐かしく思いました。空手家でキックボクサーで、日本ではプロレスラーとしても知られるゴルドーは、その凶暴さで悪名を轟かせました。そのゴルドーは実際に会うと紳士的で、空手着姿を着た小学生の息子さんにちょっかいを出して笑う無邪気なおじさんだったそうです。今回は198cm 100kgの巨体で、反則を犯しまくって悪名を轟かせたオランダ人の話です。


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オランダの母子家庭育ち

1956年のオランダに6人兄弟という子沢山の家庭で育ち、11歳の時に父を亡くしたゴルドーの家庭は貧乏だったそうで、12歳の頃から肉体労働をして家計を助けていました。学校にはあまり行かずアルバイトを中心に生活し、路上で恐喝などもしていました。全ては生きるためだったと本人は語ります。

やがてアジア系の友人を通じて空手に出会い、道場に通うことになります。そこで日本人に2回挑んで2回とも負けてしまったことで、ゴルドーは真剣に稽古をするようになりました。従来の運動神経の良さも手伝い、そこからメキメキと腕を上げていきました。1984年には、極真会館の第3回世界大会で来日しています。その時は目立った成績を上げることはできませんでしたが、4年後の88年には第四回世界大会で、強豪の一角として呼ばれるほどになっています。

ちなみに生まれた年は2022年7月現在、日本版Wikipediaには1959年生まれと書かれており、英語版Wikipediaには1955年生まれと書かれています。しかし本人の公式サイトには1956年生まれと書いてあったので、ここでは1956年生まれとして書きました。

第4回世界大会の死闘

第4回世界大会で、ゴルドーはオランダのNo2と目されていました。No1は全欧州選手権で優勝経験のあるミッシェル・ウェーデル(現在はメリーランド大学教授)で、彼はブラジルのアデミール・ダ・コスタと並んで優勝候補の一角でした。ゴルドーの優勝を予想する人は皆無でしたが、それでも強豪の一角だと目されていました。そしてゴルドーは危なげなく勝ち進み、4回戦で日本の増田章と対戦します。増田は第三回大会でミッシェルを破った強豪であり、今大会の優勝候補の一角でした。ですからゴルドーは増田の敵ではないと思われていました。



しかし強烈な突きで増田を苦しめるゴルドーと、多彩なコンビネーションで巨漢のゴルドーを翻弄する増田の戦いは本戦では全くの互角で、予想を覆す大接戦になりました。試合は二回の延長戦を経て、増田の判定勝利で決着がつきました。ゴルドーは負けたものの増田に敬意を示し、ゴルドーは来日するたびに増田の元を訪ねる仲になります。これはゴルドーが極真会館を離れても続き、やがて増田が極真会館を離れても二人の交流は続いているようです。

プロレスへの参戦

88年、UWFの前田日明は異種格闘技戦を行いますが、その相手がゴルドーでした。キックボクサーとしてリングに登場したゴルドーは、腕に極真の刺青を入れ、トランクスにグローブをつけて登場します。この試合は真剣勝負のように報じられていましたが、後にゴルドーがフィックスト・マッチ(予め勝敗が決まった試合)だったと暴露したように、かなりダルな展開でした。

極真時代のゴルドーを見ている人なら、ゴルドーの動きが恐ろしく緩慢なのは明らかでしたし、スローモーなハイキックの連発も奇妙でした。まるでゴルドーが稽古をつけるスパーリングのような展開になります。前田は組みついて今で言うテイクダウンを奪っても、簡単にスウィープされてしまう有様で、良いところは全くありませんでした。



ゴルドーがキャッチしてくれと言わんばかりの緩いハイキックを放ち、それを前田がキャッチし損ねて顔面にもらうと、ゴルドーはさらに緩いハイキックを同じコースに放ちます。ようやくそれを前田がキャッチして、片海老固めに持ち込んで勝利しました。この試合では、どれほど手を抜いても決められない前田に、ゴルドーがイライラしている場面も見られました。後に前田がまるで真剣勝負だったかのように語り、さらに自分の方がゴルドーより強いと発言したことにゴルドーが怒り、フィックスト・マッチだったことを正直に認めろと発言して騒ぎになりました。

恐らくですが、ゴルドーからするとフィジカルも技術も前田は格下で、見ている人はそれを分かっていると思っていたのでしょう。ところが前田が自分の方が強いと言い、それを信じる人が多いことに驚き、不満を述べたのだと思います。プロレスへの幻想が強い日本では前田日明が世界最強だと信じているファンが多くいましたが、プロレス幻想がないオランダ人のゴルドーからすると理解できなかったのだと思います。

UFCへの参戦

アメリカで総合格闘技のUFCが開催されると、ゴルドーは参加しました。当時のゴルドーは、サバット(フランスのキックボクシングに似た競技)の欧州王者だったため、サバットの選手とコールされていました。試合では相撲のテイラ・トゥリ(元幕下力士の高見州)と対戦し、突進してきたトゥリをかわすと、転倒したトゥリの顔にサッカーボールキックを浴びせて勝利しました。



トゥリは顔面骨折し、ゴルドーの足には折れたトゥリの歯が突き刺さっていたようで、UFCの暴力的な場面として繰り返しこのシーンは放送されることになります。「相手に後遺症が残ることを考えなかったか?」と問われたゴルドーは「相手を殺すつもりで戦っている」と平然と答え、UFCが暴力的だと批判する人々から格好の標的にされました。

※ドラマ「ハワイ・ファイブオー」に役者として出演しているテイラ・トゥリ


反則の数々

1992年には日本のリングスに参戦して佐竹雅昭と対戦しています。試合中に何かの音をゴングと勘違いしたゴルドーは、佐竹に背を向けてコーナーに戻ろうとし、後ろから佐竹に追撃を受けてしまいます。これに激昂し、反則である拳による顔面攻撃、アイポーク(目突き)を繰り返して反則負けになってしまいました。

先に書いた第1回UFCでは決勝でホイス・グレイシーに裸締めを決められると、その腕に噛みつく反則を行います。噛みつき、目突き、金的攻撃の禁止というたった3つのルールしかないにも関わらず、それすら守れないゴルドーは危険視されるようになりました。

※怒ったホイスは勝利が決まった後も締め続けました。

さらに95年開催のバーリ・トッード・ジャパンでは、再三にわたって注意を受けながら、中井祐樹にサミングを繰り返し、中井は右目を失明しました。ゴルドーは膠着状態が続くためにブレイクするようにレフリーに抗議したが聞き入れられず、膠着状態を解除するためにサミングしたと悪びれる様子もなく語っています。

※執拗に右目を攻撃された中井

紳士的な一面

上記のように増田章には尊敬の念を示し、とても慕っています。また失明させた中井祐樹の元を訪れて謝意を伝えており、失明しても戦い続けた中井を本物のサムライと語っています。試合では残忍な行動が多いゴルドーですが、試合後に相手を侮辱する行為には激しい嫌悪感を示し、手厳しく批判しています。99年1月4日の新日本プロレスの橋本真也対小川直也の一戦では、小川のセコンドとして大乱闘に参加しましたが、後に小川を激しく批判しました。

※中井と和解したゴルドー


※増田章

この試合では、小川がプロレスを無視して橋本を殴り倒し、さらに蹴りを入れて大騒ぎになります。小川が血まみれになって横たえる橋本に対し、侮辱的な発言を繰り返したことにゴルドーは激怒しました。戦った相手を侮辱する小川はクズだ。セコンドでなければ、俺が小川を叩きのめしていたと発言しています。小川に限らず試合後に負けた選手を侮辱する行為をゴルドーは激しく嫌い、UFCのコナー・マクレガーに対しても傲慢なクズ野郎と言っています。

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なぜ反則が多かったのか

かつてK-1が放送されていた頃、暴走や反則を繰り返すのは選手の押さえられない野生の表れと言っていましたが、実際に反則するのは負けている方の選手です。戦略的に反則を使う人もいますが、相手の激しい攻撃や負ける恐怖から反則に走る方が多いのが事実です。

ではゴルドーはどうだったのかというと、佐竹戦のように後ろから殴られて怒りで我を忘れたような反則もありますが、ホイスの裸締めを嫌って噛み付いたり、中井の寝技に引き込まれるのを嫌って目を突いたりと、負けそうになってから反則を繰り返すことが多くありました。ゴルドーはパニックに陥りやすく、負けそうになるとなりふり構わず反則を犯していたように思います。

武道を愛する一面

親日家のゴルドーは、家に日本の調度品や巨大な芸者のポスターを貼ったりしていたようですが、武道に対する愛着や憧れがありました。だからポイントを重視して競技化の道を走る極真会館を痛烈に批判して離れ、同時に創始者の大山倍達への尊敬を隠しませんでした。

※ゴルドーの門下生


大山の理想とした武道としての空手に重きを置き、武道で負けることは死ぬことと考えていました。だからUFCで「殺すつもりで戦っている」と発言したり、反則も厭わないという考えにも繋がっているのかも知れません。もっとも、スポーツとして開催されている格闘技の大会において、この考えは許されないものですが。

一方で、武道にこだわりがあったからこそ、負けた相手を侮辱する行為を批判し、全力で戦い抜いた相手には最大限の賛辞を送っていたように思います。

まとめ

ゴルドーはスポーツ化していく極真空手を離れ、武道としての空手を追及していました。本当に強くなりたい気持ちが強く、同時に恐怖を感じるとパニックになる性格が同居していたのだと思います。空手家なら誰もが強さに憧れ、やられる恐怖を持ち合わせていますが、ゴルドーの場合は極端だったのではないでしょうか。

あまりに反則が多いゴルドーは、あらゆる大会から出場を拒否されるようになり、現在では空手道場を運営しています。日本の空手の大会に指導者として顔を出すこともあるようで、その時には穏やかで子供好きの一面も見せるようで、イメージとのギャップに驚く人も多いようです。サインなどは気楽に書いてくれるそうで、凶暴なイメージとは随分違うと驚かされます。


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