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バブアーは狩猟に使えない /イギリスと日本では違うのだろうか

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最近、アウトドア志向の人達とお会いすることが増え、中でも狩猟をする方々とお話をする機会が増えました。狩りガールがブームになり、若い女性が猟場で散弾銃を撃つのも珍しくなくなったようです。そんな話をしていると、1人が私が着ているバブアーを見て「そのジャケットを着てくる若い人が時々いるけど、猟場じゃ使えないんだよな」と言いました。イギリス伝統のアウトドアジャケットが、猟場で使えないとはどういうことでしょう? バブアーとは イギリスを代表する古典的なアウトドアジャケットです。英国王室御用達品としても知られ、エリザベス女王、フィリップ殿下、チャールズ王太子も愛用していることで知られています。イギリスでは野山の散策、釣り、狩猟などのアウトドアに使われており、バブアー社もアウトドアのイメージを強く打ち出しています。 ※チャールズ王太子のバブアー 特徴はオイルドコットンと呼ばれる生地で、綿生地にオイルを染み込ませることで風を通さず、雨を防ぐことができます。かつては古くなったクレヨンのような独特の臭いが嫌われていましたが、近年では改良されて臭いは随分と軽減されました。 関連記事: バブアー・オイルドジャケットの臭いとベタつき問題を考える 問題は臭い その方によると、バブアーは今のものでも臭いが強いので猟場に向かないそうです。ではどの程度の臭いなら良いのでしょうか?猟場と獲物の種類によって変わるそうですが、例えば罠猟では臭いにとても気を使うそうです。 猟場は急斜面があるためスパイクピンがついた靴を履くそうですが、罠を仕掛ける場所によその土があれば、臭いで獲物はよそ者が来たことを知り、罠を避けるそうです。だから途中で何度とスパイクピンに付着した土を落としながら進むのだそうです。 シャンプーもダメ、朝シャンは論外 動物以外の臭いに獲物は敏感なため、シャンプーの匂いは獲物がすぐに気づくそうです。初心者には朝シャンして来る人もいたりするそうですが、シャンプーやボディーソープの香料で、獲物どころか猟犬まで臭いがわからなくなることがあるそうです。 無香料の石鹸で体も髪も洗い、お風呂やシャワーは遅くとも前日の夕方までには済ませるそうです。曰く「一週間ぐらい風呂に入らなくても死なないし、お湯だけ浴びてもさっぱりするから問題ない」のだそう

フリースタイルは最強なのか? /マックス・ホロウェイ

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UFCフェザー級王者のマックス・ホロウェイは、そのうち負けるだろうと思われながら勝ち続け、王座にたどり着きました。型にはまらない自由なファイトスタイルで、下馬評を覆す勝利を重ね続けるホロウェイは、現在最も面白い試合をする選手だと思います。 関連記事 UFCでの日本人の成績はどうなのか エメリヤーエンコ・ヒョードル /UFCと契約しなかった最強の王者 総合格闘技でもっとも稼いだ男 /コナー・マクレガーのカリスマ性 時給1500円の世界王者 /スティーペ・ミオシッチが愛される理由 ジョン・ジョーンズというダメ男 /転落が生んだ喪失感 寝技最強の男ハビブ・ヌルマゴメドフはどうなるのか? 堀口恭司の苦悩 /UFC世界王者に最も近づいた日本人 世界最強のオタクはナイスガイ /ジョシュ・バーネットは殴れない? PRIDE神話の終焉 /ホドリゴ・ノゲイラはなぜ負けたのか ヴァンダレイ・シウバはどれくらい強かったのか なぜミルコ・クロコップはアメリカで勝てなかったのか アリスター・オーフレイム /薬物疑惑を超えて ジェラルド・ゴルドーは凶暴なのか紳士なのか UFCの動乱 /ミオシッチ対コーミエ戦の衝撃 総合格闘技に最適なバックボーンは? /UFCを見ながら考えてみた UFC王者がボクシング王者に挑戦する 高田延彦がヒクソン・グレーシーに負けた日 経歴 ハワイのオアフ島に生まれますが、ワイアナエという決して治安の良い場所ではなく、周囲から近づかないように言われるエリアだったそうです。キックボクシングを始め、日本のK-1に出ることが夢だったそうですが、総合格闘技に転向してプロデビューを果たします。2012年にUFCでプロデビューしますが、デビュー戦は一本負け、3連勝した後に判定で2連敗しています。しかしそこから連勝街道を突き進み、フェザー級王者に君臨しました。 ファイトスタイル 180cmとフェザー級にしてはかなり背が高いですが、リーチが175cmと短いので恵まれた体型かというと微妙なところだと思います。グレイシーテクニクスに所属しブラジリアン柔術を得意としていますが、試合では打撃で圧倒する場面が多く見られます。しかしパンチ力はさほど強くありません。回転の速さとハンドスピードで相手を圧倒していきます。 時にノーガード

組織のガバナンスをNGT48で考えてみた

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山口真帆暴行事件に始まったNGT48にまつわる騒動は、被害者の山口真帆がグループを卒業することで、1つの山を迎えたように思います。ネットにはさまざまな噂が飛び交い、それに基づいた抗議運動もあるようで、騒動は収束するどころか拡散しているように見えます。私は事の真相よりも、この騒動をめぐる人の動きに興味があり、今回はそこら辺の話を書いてみたいと思います。 騒動の概要 2018年12月8日、20代の無職男性と大学生2名の計3名が、山口真帆の自宅マンションに押しかけて、山口の顔を掴むなどの暴行を働きました。翌日、新潟県警は暴行の疑いで2名を逮捕しますが、29日に検察は不起訴処分として釈放しています。 2019年1月8日、山口は動画配信で暴行事件があったことを告発し、対処すると約束した運営側が1ヶ月近く問題を放置していることを訴えました。翌日、NHKをはじめとする多くのメデイアが報道したことでこの事件が広く知られることになります。 ※山口真帆 1月10日にNGT48劇場に出場した山口は、この騒動について謝罪を行います。これに各方面から運営側に批判が集まり、事実上取材拒否をしていた運営サイドは公式サイトに事件の概要を掲載します。さらに対応策としてメンバー宅への巡回や、防犯ブザーの支給を発表しました。これが的外れだと強い批判が起こり、NGT48の公演が次々にキャンセルになります。 1月14日、責任者の辞任と運営の謝罪を求める署名が5万にを超えたのを受け、支配人の退任と謝罪を発表しました。この後、新潟県知事も騒動を懸念するコメントを出し、事態はますます大きくなります。2月1日に第三者委員会の設置が発表され、3月21日に調査結果報告書が発表されました。翌日AKSが記者会見を開き調査結果報告書の説明を行いますが、会見中に山口がツイッターで反論する異例の事態になり、AKS側が説明に屈する場面が何度も起こりました。 その後、NGT48のイベントやラジオ番組の中止が相次ぎ、JRやイオンなどスポンサー契約の打切りやNGT48を起用したCMが全て消滅するなどの事態に発展し、4月21日に山口真帆と他2名のグループ卒業が発表されました。 第三者不在の第三者委員会 NGT48の問題に限らず第三者委員会が設置されるたびに思うのですが、第三者委員会

国内では評価が分かれる上原ひろみ /海外で絶賛されるピアニスト

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ピアニスト上原ひろみの評価は、国内では常に分かれていました。しかし海外では絶賛され、イギリス国営放送のBBCから、アメリカのジャズメン、そしてメタルバンドのメタリカも賞賛を口にしています。この評価と温度差に不思議な気がしますが、彼女が熱狂を生み出すピアニストであることは間違いないと思います。 上原ひろみとは 1979年に静岡県に生まれました。6歳でピアノを始めると、すぐに作曲も学び始めます。8歳の時にピアノ教師の家でジャズに触れると傾倒していき、14歳の時にはチェコ・フィルハーモニー管弦楽団と共演するなど、実力をつけていきました。 ※15歳の時の上原ひろみ 高校生になると来日していたチック・コリアのリハーサルに招かれ、急遽共演でステージが決まります。この頃にはロックにも傾倒し、またCMソングの作曲を依頼されるようになります。法政大学に進学しますが、ヤマハの音楽支援制度で奨学金を得ることが可能になったため、20歳で中退してバークリー音楽院に留学し、在学中にデビューが決まりました。バークリーの作曲課を首席で卒業すると、全米各地のジャズフェスティバルに出演していきます。 ※デビューアルバム「アナザー・マインド」 2011年にはスタンリー・クラークのバンドに参加してグラミー賞を受賞し、トップアーティストの仲間入りを果たしています。 始めて聴いた時は デビューアルバムの「アナザー・マインド」が出た時にタワーレコードで試聴したのですが、速弾きのテクニックに圧倒されたものの、背伸びしすぎているというか、あれもこれも詰め込んだような感じがして、特に良いとは思いませんでした。そのためCDを購入することもなく、たまにラジオ等で耳にすることがある程度になっていました。 ※サードアルバム「スパイラル」 それから2年ほど経って、たまたま聴いた3rdアルバムの「スパイラル」は、気に入ってすぐに買いました。特にラストナンバーの「Return Of Kung-Fu World Champion」(カンフー世界チャンピオンの帰還という意味)は、最初から最後まで痺れました。ピアノではなくシンセサイザーを使った曲で、プログレッシブロックのテイストがあり、タイトなリズムセクションにシンセの音が縦横無尽に駆け回ります。当然ながらこの曲は話題にな

とても残念な「藁の楯」 /予告編が最も面白かった映画

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2013年に公開され、カンヌ映画祭で酷評された映画「藁の楯」を見ました。期待値マイナス50くらいで見たので、世間の酷評ほどつまらないとは思わなかったのですが、ツッコミ所満載の映画なのは間違いないですね。役者の熱演に緩い脚本という邦画にありがちな展開でしたが、設定は面白いので残念な気がしました。今回は映画「藁の盾」をネタバレ全開で書いてみたいと思います。 あらすじ 財界の大物、蜷川の7歳の孫娘が惨殺されました。犯人は清丸国秀で、過去にも幼女を襲う事件を犯しており、出所すると再び幼女に手をかけたのです。蜷川は裏から手を回して新聞に一面広告を出し、清丸を殺害した者に10億円を渡すと宣言します。福岡に潜伏していた清丸は、かくまってもらっていた人物から襲われて、福岡県警に出頭しました。 全国から狙われる清丸を警視庁に移送するため、SPの銘苅(めかり)警部補、白石巡査部長、警視庁捜査一課の奥村警部補、神箸巡査部長が選ばれ、福岡県警の関谷巡査部長が加わり5人が加わります。しかし清丸の命を狙うのは一般市民だけでなく警察内部にもいて、過酷な移送が始まりました。 三池崇史監督という前提 日本を代表する映画監督の三池崇史は、好き嫌いが分かれる監督であり、作品により出来不出来がはっきりする監督でもあります。仕事を選ばない監督としても有名で、どんなに予算がなく無理筋の映画でも依頼されると引き受けてしまいます。 ワンシーンに力を入れて、全体の流れを気にしないことが多く、辻褄なんて細かいことを気にしないでドーンと面白さを追求するする男らしい演出が目立ちます。矛盾してようが、前後で噛み合わないことがあろうが、とにかく突き進めて盛り上がろうという感じです。 その三池崇史がメガホンを取ったことで、「藁の楯」の前半はとても盛り上がりました。 大掛かりなアクションの連続 道路を埋め尽くすパトカーは壮観で、このような景色は「西部警察」以来だと思いますが、今回は高速道路を使っているので迫力がありました。そのパトカーを蹴散らしてタンクローリーが突っ込み爆発する様子は迫力があり、邦画ではなかなか見られないアクションシーンでした。さらに新幹線を使った撮影も圧巻で、このためだけに台湾ロケを敢行したという成果が出ています。 このようなスケールの大きなアクションは前

上岡龍太郎の芸人論と21世紀の音楽業界

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1990年に日本テレビで放送された深夜番組「EXテレビ」(えっくすてれび)で、上岡龍太郎はセットもないスタジオにカメラを置き、ただ1人で1時間喋るだけという試みを行いました。「過激テレビ論」と題され、上岡龍太郎は飲み物を飲み、タバコをふかしながら話すだけという当時でも今でも考えにくい番組でした。その中で芸人論を語るのですが、当時の私にはピンとこない内容でした。しかし今聴くと、妙に納得すると同時にお笑いだけでなく音楽業界などにも当てはまる気がしました。 関連記事 芸能事務所興亡史 /なぜ芸能事務所は強大な力を得たのか ピンクレディーの紅白辞退騒動 /かつて紅白は絶対権力だった 60年以上続いた音楽バブルの終焉 /なぜ音楽は売れなくなったのか 音楽に政治を持ち込むなという議論があった /忌野清志郎の反乱 レコード会社が消費者を裏切った日 /CCCDの大罪を振り返る それはムネオハウスから始まった そのとき音楽の楽しみ方が変わった 上岡龍太郎とは 1960年に横山ノックらと漫画トリオを結成してデビューすると、漫画トリオの活動停止後に上岡龍太郎を名乗るようになります。不遇の時代を過ごすものの、大阪でラジオなどのレギュラーを増やして行き、笑福亭鶴瓶と組んだテレビ番組「パペポTV」の人気で東京に進出します。 ※漫画トリオ(右が上岡龍太郎) その後はバラエティ番組のMCなど、あらゆる番組に呼ばれるようになり、軽妙な語り口にインテリジェンスを感じさせる話術で大人気になります。しかし人気絶頂期に「デビュー40周年のです2000年に引退する」と宣言し、そのまま引退しました。島田紳助が師と仰いだ人物で、引退の際にも上岡龍太郎に相談したことを明かしていました。 上岡龍太郎の芸人論 お笑い芸人になった理由を上岡龍太郎は、このように語ります。 「みんなと一緒のことをやるのが嫌いなんです、出来ないたちなんですね、みんなと一緒に行動を起こすのが下手や、好きじゃない、別のことがしたい、出来るだけ楽したい、目立ちたい、ちやほやして欲しい。だいたいこういうところなんです、芸人になってる奴の根の考えっちゅうのはね」 他の番組では「お金もたくさんもらいたい」「キツイことはしたくない」などの理由を付け加えることもありました。そしてこの発想はヤクザ

超合筋 /武田幸三の栄光

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キックボクサーの 武田幸三 を覚えている人は少数派だと思います。日本のキックボクサーで、タイのラジャダムナンスタジアム認定の王者に就き、K-1 MAXにも出場していました。引退した現在は俳優業に加え、鉄板焼き屋などを経営しているようです。今回は、その武田幸三のことを書いてみたいと思います。 スポーツ誌Number 2000年に出たNumberの記事で、私は武田幸三の名前を知りました。「ムエタイ王者になる男」と題された記事で、武田を「超合筋」と呼んでいました。ムエタイ王者に最も近い位置にいるという内容でしたが、それ以上に武田の写真に目を奪われました。顔がわからなくなるほど陰影の強い写真で、武田の筋肉が細かいところまで映し出されていました。太く力強い筋肉ではありません。ワイヤーを束ねて締め上げたような、細くて強靭な筋肉です。 カモシカのような筋肉だと思い、サッカー選手のティエリー・アンリなどを連想させられました。武田の筋肉は重いウエイト器具を使って鍛えられた筋肉とは全く異なり、競技をする中で必要な筋肉だけを抽出したような雰囲気でした。Numberに掲載された写真は美しく、武田幸三に強い興味を持ちました。 特異な武田幸三の戦い 2001年、外国人として4人目、日本人として3人目のムエタイ王者になり、フジテレビだったと思いますが、深夜番組で武田幸三の試合が放送されました。ムエタイはタイで人気が高く、分厚い選手層が形成されているため、外国人が入り込む余地はないと言われています。そこで王者になるのは、高い高い壁を乗り越えなくてはなりません。 ※本場ムエタイの選手 テレビで見た武田の試合は特異なスタイルでした。ムエタイではポイントにならないローキックとパンチに特化したスタイルで、しかもコンビネーションや連打が極端に少ない戦い方です。ムエタイではミドルキックが多用され、腕を蹴ってもポイントになります。ですから必然的にミドルキックの応酬になり、ムエタイ特有のリズムに飲まれていきます。 またムエタイでは首相撲が大きなウエイトを占めていて、首相撲から投げるとポイントになります。首相撲から膝蹴り、肘打ちの餌食になることも多くありますが、武田は首相撲にほとんど付き合いません。ムエタイではポイントにならないが故に、あまり重視されないパンチとローキッ