東京オリンピック開会式雑観 /空虚なスタジアムに広がる妥協感
正直言って、失望と怒りを抑えながら見ていました。この時の気持ちを忘れないようにするために、忘備録的にオリンピックの開会式を書いておこうと思います。この開会式で浮き彫りになったのは、国内と国外での意識の差や国内の世代間の断層だったと思います。 映像と花火でスタート 2013年の承知決定からの準備の様子が紹介されます。ここまでの雰囲気は悪くありませんし、無難なスタートだと思います。そしてここから、コロナ禍のアスリートを表現したパフォーマンスが始まります。安っぽい演出という声もありましたが、特殊な情勢下を示すパフォーマンスとして必要だったのではないでしょうか。この後、天皇陛下の隣席と国旗の入場が行われます。 MISIAによる国歌斉唱 国家独唱をMISIAが行いました。攻めたアレンジによる独唱ですが、これを絶賛する人と批判する人に別れます。批判の元はアレンジよりも歌い方にあり、批判派はMISIAの歌い方が正しくないと言っています。 「君が」の後に息継ぎを入れて「代は」と続けて歌うのは、学校の音楽の時間でも教わる正しくない歌い方です。また「さざれ」で息継ぎをし「石の」と歌うのも間違いだとされています。文脈上「君が代は」までを一気に歌うこと、「さざれ石の」までを歌うことが正しい歌い方とされているのです。 あれほどアレンジを加えた君が代ですから、正しいとか正しくないという議論はどうかと思いますし、好みの問題も大きいように思います。もちろん声楽家が楽譜通りの演奏で変な場所に息継ぎを入れるのは、違和感があります。それよりも私はアレンジの仕方が今ひとつに感じましたし、MISIAの魅力を引き出しているようにも感じませんでした。 コロナウイルス犠牲者の追悼式 森山未來のダンスによる追悼式が行われました。唐突な印象もありましたが、時勢を考えると必要なパフォーマンスだと思います。 江戸消防記念会のダンス 大工がタップダンスをするという演出に呆れましたし、ここでうんざりしました。江戸と現代の融合と開設されていましたが、日本で行う開会式の冒頭にアメリカ文化のタップダンスを持ち込む意味、そしてタップダンスである必要性を感じませんでした。熊谷和徳は著名なタップダンサーですが、彼を出すのに大工は必要だったのでしょうか?チグハグな印象だけが残りました。小池百合子東京都知事が無理やり捩じ込んだという話も