マイケル・ジョーダンは何が凄かったのか /映像に残らない部分
先日、大学でバスケットポールをやっている学生と話した時に「俺はマイケル・ジョーダンをリアルタイムで見てたよ」と言うと「ジョーダンの凄さって、いまいちわからないんですよ。YouTubeとかで見ましたけど、レブロン・ジェームズの方が凄くないですか?」と言われました。なるほどと思います。私はジョーダンもジェームズもリアルタイムで観ましたが、ジョーダンの方が凄かったと思います。しかしそのすごさは映像には残らない部分ですし、いくら語っても伝わることはないと思いました。 関連記事 安価すぎた最高の選手 /時代に翻弄されたスコッティ・ピッペン デニス・ロッドマン /破滅的なリバウンド王 追悼コービー・ブライアント /神と呼ばれた男を継ぐ者 NBAドラフトの仕組み /八村塁はどれほど凄いのか マイケル・ジョーダンの略歴 ノースカロライナ大学でNCAA決勝の逆転シュートを決めるなど活躍し、NBAではシカゴ・ブルズに入ります。ブルズでは早いうちから活躍し、2年目のシーズンのプレイオフでは1試合で63得点して、当時の最多得点記録を樹立します。しかし優勝にはなかなか恵まれませんでした。 ※NCAAでのジョーダン 得点王の常連になるものの優勝できないことに対し、ジョーダンのリーダーシップの欠落を指摘する声も上がりますが、その後に3連続で優勝を飾ります。そして野球選手になりたいと引退を決めました。野球のマイナーリーグで過ごした後に、再びNBAに復帰すると3連続で優勝してNBAのスーパースターとして君臨しました。 フリースローラインからダンクを決めるエアウォークは観客の度肝を抜き、滞空時間の長いレイアップシュートは、誰も止められませんでした。ジョーダンが跳び上がることをジャンプではなくフライト(飛行)とかテイク・オフ(離陸)と形容されました。その滞空時間は0.8秒にも及び、カール・ルイスならその間に10m走れるという比較もありました。 ※フリースローラインからのダンク 6度の優勝を最後に99年に引退すると、自身がオーナーになったワシントン・ウィザーズに2001年に復帰します。40歳にも関わらず40得点を記録するなど、最後まで試合を沸かせていました。 批判がカンフル剤 ジョーダンがNBA入りすると、派手なダンクシュー