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7月, 2018の投稿を表示しています

歌手が音程を調整するのは反則なのか? /ピッチ調整ソフトの功罪

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今やYouTubeの歌い手さんも普通に使っているピッチ調整ソフトは、録音した歌の波形を調整することで、ズレた音程も修正してくれる便利なソフトです。プロの歌手もほとんどの人が使っていて、調整無しでCD化されることは皆無といっていいでしょう。このピッチ調整ソフトを使うのは反則ではないか?という意見が多いので、今回はそのことを考えてみたいと思います。 ピッチ調整ソフトは石油発掘から生まれた アンディ・ヒルデンブランドという人が、石油の埋蔵場所を探すソフトを研究している時に、この技術がオーディオにも転用できることに気づきました。オートチューンと名付けられたこのソフトは、1997年に発売されると音楽製作の現場を変えたと言われるほどの衝撃を業界に与えます。 ※アンディ・ヒルデンブランド氏 日本では2000年にパフュームがオートチューンで声を変質させた「ポリリズム」を発表し、大ヒットしたことでこのソフトの知名度が一気に上がりました。 なぜピッチ調整ソフトは広まったのか? 最初にオートチューンを使って注目を集めたのは、アメリカのシェールというシンガーで、自分の声をロボット風に変える目的で使いました。日本のパフュームも肉声らしさを消すために使用しました。このように自分の声を変質させるエフェクターとして、最初は注目されたのです。 ※パフューム「ポリリズム」 また、近年では打ち込みなどのコンピューターで作った演奏音が用いられることが多くありますが、機械的に正確なリズム、ピッチが揃っている演奏に人間の声を合わせると歌声だけが浮いてしまうことがあります。そこで演奏の方に音程の揺れを与えて自然な歌に聞こえるようにすることもあります。 もちろん、歌の音程が外れても修正することができるので、歌の録音が早く済むというメリットもありました。ハモりもピッチ調整で簡単に作れるので、これも録音を早く済ませられる要因になりました。 ピッチ調整ソフトで変化したもの 音痴の定義がピッチ調整ソフトで変わったと言われています。かつての音痴は生歌が下手な人を指していましたが、近年ではピッチ調整したことがわかりやすい人を音痴と言うようになったと言う人もいるほどです。 しかし最も変化したのは、アイドル歌手の歌声でしょう。かつてはどうにも音程を外してしまう歌

本の黙読中に声が聞こえる人と聞こえない人 /娘が一部の小説にご立腹です

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私の娘(13歳)は、たまに小説を指して「この本は視点が一致していないから、読みにくくて仕方ない」と不満を漏らすことがあります。中学生が小説の視点の一致など気にするものだろうか?ネットで仕入れた知識を大人ぶって喋ってるのではないか?と思っていたのですが、少し違ったようです。 読書中に文章を読み上げる声が聞こえるか?ニューヨーク大学の調査によると8割以上の人が、読書中に文章を読み上げる声が聞こえるそうです。私は子供の頃から聴こえていたので、聞こえない人がいることに驚きました。娘も聴こえているようで、「声が聞こえない人って、どうやって読んでるの?」と不思議そうでした。 読書中に映像が浮かぶか? 私は多くの場合、映像が浮かびます。これは本にもよって違い、全く映像が出てこないものもあります。最近のライトノベルと呼ばれるものは、映像が浮かびにくいですね。想像力を掻き立てる描写をする作家の文章だと、映像が浮かびやすくなります。娘も全く同じらしく、基本的に映像が頭に浮かぶものの、全く浮かばない本もあるようです。 視点の不一致とは 小説には必ず語り手が登場します。その語り手が主人公の場合、準主役の場合、第三者の天の声の場合の3パターンに概ね分けられます。 準主役が語り手になるケースは多くはないですが、「シャーロック・ホームズ」がそうです。主人公のホームズではなく、相棒のワトソン医師の目線で物語が進みます。そして恐らく最も多いのが第三者の天の声で、どの登場人物の目線でもない目線で語られます。 ※シャーロック・ホームズ 視点の一致は、この視点を物語を通じて同じ視点で書き進むことです。視点が一致していないと、セリフも誰が喋っているのかわかりにくくなり、情景も混乱しやすくなります。ですから小説を書く際の基本として、視点を一致させることが挙げられます。 もちろんこれは絶対の約束事ではなく、優れた作家が意図的に視点を変えることもあります。例えば東野圭吾の代表作「白夜行」では、事件の関係者の視点を次々に登場させ、長期間に及ぶ複雑な事件を多角的な視点で浮き彫りにする手法がとられました。そして犯人2人の視点だけが最後まで登場せず、しかし読者が犯人に共感させられる高度なテクニックで、ファンを唸らせました。 ※ドラマでは視点も時系列も変更されて批判

管理総会でわかるマンション住民の団結度

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この記事は、以下に引っ越しました。 https://taclover.com/ 管理総会でわかるマンション住民の団結度 / (新しいタブで開く) ※最古の民間分譲マンション「四谷コーポラス」

テーブルマナーの謎 /ご飯はフォークの背に乗せる?

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テーブルマナーというのは面倒で肩がこるイメージがあると思います。食事をするだけなのに、なぜこれほど堅苦しいイメージが付きまとっているかというと、そこには日本特有の事情があります。食事は楽しく、美味しくいただく方が良いと思いますので、この堅苦しさの正体を追いかけてみたいと思います。 ナイフとフォークに戸惑った江戸の役人 以前書きましたが、ペリー来航の際にペリーは黒船に日本の役人を招き入れてフランス料理をふるまいました。その時にナイフとフォークで食事をしなくてはならず、江戸幕府の役人たちは十手をナイフ、孫の手をフォークに置き換えて練習したそうです。 関連記事: 子供のための歴史講座18:黒船来航 箸を使わない食文化に触れた日本人は、右往左往しながらナイフとフォークの使い方を習得しています。実際にペリーが出す料理は美味しかったらしく、江戸幕府の役人は何かと用事を作っては黒船を訪問して料理を頂いていたいたそうです。 文明開化 欧米列強に学ぶ必要があると感じた明治新政府は、使節団を次々と欧米に派遣します。日本の使節団は現地でその文化レベルの高さに驚かされました。早速日本に帰ると、日本を文化的に洗練させるためにさまざまな法律や条例を作り、国民を指導します。 ※岩倉使節団 裸で外に出るなとか、立小便をするなとか、ゴミを道端に捨てるなとか、そういったことが取り締まられるようになります。「役人の仕事は国民を啓蒙すること」という上から目線の言葉がありますが、この頃の役人はまさに国民の啓蒙が仕事でした。ちなみにこの頃に純愛という概念もヨーロッパから持ち込まれ、犬猫みたいにあちこちでセッ〇スをするな、結婚したら伴侶以外に手を出すなという考えが出てきました。 この時、テーブルマナーも持ち込まれます。イギリス式とフランス式が持ち込まれるのですが、これはテーブルマナーに限らず多くのものがイギリス式とフランス式が持ち込まれています。警察機構や自衛隊などは、今もその遺恨が残っていると言われています。 社交界もどきの必要性 欧米の要人を日本に招くには、社交界というものが必要だということになります。鹿鳴館時代と呼ばれる、混沌とした欧米文化の模倣の時代です。外国のお客が来た時に隣席の日本人の食事のマナーが変だと日本の文化レベルが疑われるため、

スポーツと熱中症 /事例から見る危険度

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あまりの暑さに東京オリンピックを心配する声がありますね。マラソンを筆頭に熱中症が心配な競技がたくさんあります。プロスポーツ選手だって熱中症になりますし、熱中症にならなくても過剰な暑さはパフォーマンスを下げてしまいます。そんなわけで、今回はスポーツで起こった熱中症の話です。 2002年全豪オープンテニス 熱中症といえば全豪オープンです。とにかく暑くて有名で、今では40度を超えた時には主審の判断で試合開始を遅らせるルールがあります。しかし2002年当時は、暑さなんておかまいなしに行われていました。決勝はマルチナ・ヒンギス対ジェニファー・カプリアティでした。ヒンギスは以前から暑さに弱いといわれていましたが、この日は観客も具合が悪くなる暑さで、コートの上は40度を軽く超えていたといわれます。さらに風がほとんど入らないので、灼熱地獄と評されるありさまでした。 ※カプリアティ(左)とヒンギス(右) テレビ中継で見ていても、途中からヒンギスの様子が変なのはわかりました。目がうつろで、太ももがピクピク痙攣しています。体が重そうでキレがなくなり、誰が見ても熱中症の症状でした。カプリアティも消耗が激しく、両者とも足を引きずるように歩いていました。こんな状態で試合を続ける主催者は何を考えているのか?そんな思いにかられる試合で、粘りに粘ったカプリアティの勝利で女子の全豪シングルスは終わりました。 ヒンギスは医務室に運ばれ、ベッドに寝かされると首と頭をアイスバッグでくるまれ、さらに両手両足を広げさせられて脇と股にもアイスバッグを大量に置かれたそうです。死んだカエルような恰好だったと語る情けない格好で寝ていると、カプリアティも医務室にやって来ました。そして同じくカプリアティも隣のベッドで、両手両足をだらしなく広げてアイスバッグにくるまれる死んだカエルのような恰好で寝ていたそうです。 ※全豪オープンでは熱中症が相次いでいます。 近年では選手からの暑すぎて危険だという声が強くなり、全豪オープンは批判が集まっています。 1997年サッカー、アジア最終予選 フランスワールドカップのアジア最終予選に挑んだ日本代表は、敵地UAEに乗り込んで試合を行いました。暑いUAEでも特に暑い日の昼間に試合は行われ、現地の人も暑いから家を出なかったため

鳥山明の衝撃 /Dr.スランプは何が凄かったのか

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漫画の歴史を振り返ると、歴史を変えるような作品が少なからずあります。その中で漫画の歴史を大きく変えた作品の1つが、1980年に連載が始まった漫画「Dr.スランプ」です。鳥山明の作風は革命的で、単に大ヒットしただけでなく漫画の歴史そのものに影響を与えました。 関連記事 ギャグ漫画の才能の開花 /監獄学園の平本アキラ 鴨川つばめという漫画界の闇 /マカロニほうれん荘の革命 江口寿史の変容 /「すすめ!!パイレーツ」「ストップ!!ひばりくん」 実写版公開直前 父性からみる「鋼の錬金術師」 マンガの実写化映画という王道戦略が悲観に変わる 鳥山明と他の漫画家の違い 画力に関して他の漫画家と鳥山明の大きな違いは、鳥山は元イラストレーターだったことです。1枚の絵だけでお金をもらうイラストレーターは、漫画家以上の画力を必要とします。鳥山明が初めて漫画を描いたのは23歳の頃で、漫画家としてはかなり遅いのですが、当初からレベルの高い絵を描いています。 ※デビュー作「ワンダーアイランド」画風は確立しています。 そして鳥山明の趣味がプラモデル作成で、プラモデル会社のタミヤが主催する人形改造コンテストで、何度も入賞している実力者でした。鳥山明が行っていたのはフルスクラッチと呼ばれるジャンルで、既存のプラモデルパーツをつなぎ合わせるのではなく、パーツそのものを自作して組み上げるものでした。このフルスクラッチの経験が画風に決定的な影響を与え、唯一無二の作風を作り出すことになりました。 ※人形改造コンテストの入賞作品 デフォルメの衝撃 鳥山明の特長はデフォルメです。多くの漫画家がデフォルメを行ってきましたが、鳥山明の特長は、デフォルメしたまま精密に描かれていることです。デフォルメの際に、どの線を消しても良いか、どの線を残せば精密さを残せるかを周到に描いています。 ※これほどデフォルメされてもハーレーダビッドソンだと一目でわかります。 ※絵のモデルになったハーレーのWLA このデフォルメ技術は、模型製作から来ていると思われます。実物の自動車や戦車の写真を穴が空くほど見て、1/35サイズに縮尺するにはどの線を残せば良いかを徹底的に考え抜いていたはずで、それが漫画を描く際にも応用されたと思われます。