アイルトン・セナはなぜ死んだのか
1994年5月1日、F1のスーパースターだった アイルトン・セナ が死亡しました。私はこのニュースを広島のホテルで知り、しばらく茫然とした記憶があります。死亡の原因については諸説ありますが、当時は操縦ミスやマシントラブルだけでなく、自殺というのもまことしやかにささやかれていました。今回はF1史上に残る重大な事故の1つ、アイルトン・セナの死を書いてみます。そしてその死の原因を探っていきたいと思います。 関連記事 あの頃ホンダはなぜ強かったのか /川本信彦のレース狂時代 「ここはモナコ、モンテカルロ」名実況が作り上げた名場面 耐え忍んだホンダが芽を吹かせた2018年 /F1のホンダは復活するか アイルトン・セナの略歴 セナは1960年、ブラジルのサンパウロに生まれます。幼い頃からカートレースを始め、17歳の時には南アメリカ・カート選手権で優勝しています。その後、イギリスに渡るとジュニア・フォーミュラに参戦して、21歳でチャンピオンになりました。23歳の時にはF3にステップアップし、20戦中12勝の最多記録でチャンピオンになります。ブラジルでの生活を希望する妻と離婚しての参戦でした。 ※84年トールマンに乗るセナ 84年にトールマンからF1に参戦すると、名門の ロータス に移籍し次々に表彰台に上るようになります。しかし予選で圧倒的な速さを見せつつも経験の少なさからレースでは波が大きく、優勝は少ない状態が続きました。しかし87年にはロータスがホンダのエンジンを獲得したことで、総合3位に入る健闘を見せました。さらに88年からは マクラーレン に移籍すると、チームメイトのアラン・プロストとレースを席巻します。マクラーレン・ホンダは16戦中15勝の圧倒的強さを見せ、セナは初のF1ワールドチャンピオンを獲得しました。特に総合優勝を決めた鈴鹿サーキットでのレースは、ポールポジションを獲得しながらスタートに失敗して13位からのスタートになってしまう波乱含みでした。しかし驚異的な速さを見せ、逆転優勝する様子は日本でも放送され大きな反響を呼びました。 プロストとの確執が表面化した89年はプロストとの接触で総合2位に、90年は再びプロストと接触事故を起こしてワールドチャンピオンを獲得しました。さらに91年もワールドチャンピオンを獲得して、黄金
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