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9月, 2011の投稿を表示しています

コーチの性格

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※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。 仕事でつきあいのある某ゼネコンの社員の人と話していたら、なんと伏見工業高校のラグビー部OBということがわかって興奮してしまいました。伏見工業高校といえばラグビーの名門校で、公立高校でありながら全国制覇を成し遂げて日本を代表するラガーを多く排出した名門校です。私と年代が変わらないオッサン、オバサンにはドラマ「スクール・ウォーズ」の舞台だった高校と言った方がわかりやすいでしょう。 このゼネコンの人は二軍にも入れなかったと言っていましたが、40を過ぎた今でも立派な体格をしています。伏見工業の練習は逃げ出したくなるほど辛かったそうですが、OBが教えに来てくれることもあったらしく、その時はかなり盛り上がったそうです。例えば教えに来てくれたOBの中には平尾誠二氏や大八木淳史氏などの名前が並びます。平尾誠二氏といえば、高校・大学で全国制覇を遂げると社会人に入っても日本選手権7連覇の立役者で、日本ラグビー界の貴公子のような存在です。 しかしこの平尾氏が指導する練習は凄まじく厳しいもので、練習の間に何度も怒号が浴びせられるハードなトレーニングだったそうです。生徒が指示通りにできないとボールを遠くに蹴り飛ばし「(ボールを)とって来い!」と怒鳴りつけて、なんども全力疾走をさせたりしたそうです。練習が終われば優しい先輩といった感じだったそうですが、練習の時は鬼の形相で生徒を震え上がらせていたようです。 平尾氏がこれほど怖いのだから「大八木さんが来たら殺されるかも」といった笑えないジョークがラグビー部の中で交わされていたとのことですが、大八木淳史氏も日本を代表するラガーマンで伏見工業には数々の大八木伝説が残っているそうです。なにせ社会人になりたての頃に猛者揃いの東芝府中に踏みつけられ、激怒して食って掛かかって周囲を驚かせただけでなく、ボールを持っていないのにタックルをかます報復行為に出て皆を唖然とさせたことがありました。 練習中に全力でタックルしたら相手が吹き飛ばされて意識を失い、病院に運ぶと損傷の激しさから医者が自動車事故だと勘違いしたとか、試合に負けて帰る時に不機嫌すぎて殺気を撒き散らしてしまい、向こうから歩いていたヤクザが道を譲ったなどなどどこまでが本当かわからない数々の伝説が残っているそうで、そん

無添加食品のリスク

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※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。 今朝、部下の女性が凹んで会社にやってきました。どうしたのかと尋ねると、息子(1歳)に食べさせたパンにカビが生えていたのを食べている途中に気づいたとのことで、お腹を壊さないか心配しているのだそうです。「だって賞味期限は昨日だったんですよ」と言いますが、そもそも賞味期限が切れたものを子供に食べさせる神経がわかりません。しかし賞味期限が切れた翌日にカビが生えるって、保管の仕方が悪かったのでしょうか。 まさかと思って確認してみると、無添加食品でした。しかも個人でやっているパン屋さんで無添加をウリにしているところのようです。無添加食品が流行り出した頃には無添加のリスクを語る人もいましたが、毒をばら撒く犯罪者のように言われてそういう人は少なくなりましたね。最近になって無添加食品は体に悪いなんて書いた本が出たようですけど。 食品に潜む最大のリスクは食中毒です。食品業界はこのリスクを回避するために、さまざまな保存料を研究して使ってきました。その結果、今では臭いをかいでから食べるなんて人はほとんどいなくなり、賞味期限内だったらかまわず口に放り込むようになりました。賞味期限内に食べる限り、食中毒のリスクはほとんどなくなったからです。 しかし添加物が体に悪いという話しになり、無添加がブームになると保存料を使用しない食品が出回るようになりました。保存料を使わないということは腐敗が早く、賞味期限や消費期限が短くなります。さらに保管する環境によっては、賞味期限内であって腐敗する可能性があります。無添加食品は添加物を使用している食品に比べて、食中毒のリスクが高いという事実を忘れてはいけません。 しかし無添加といっても実際には化学薬品を大量に使用しているものもあるようです。詳細はよく知りませんが、食品衛生法に定められていない添加物を使用していれば無添加と表示できるということでしょうか。無添加と書いて保存料のような効果がある化学薬品を大量に使用している食品も結構あるようです。 こういった話は数年前にはネットでよく見かけたのですが、最近ではあまり見ませんね。最初に書いた女性社員のケースでは、個人でやっている小さな店らしいので本当に添加物は一切入っていなかったのでしょう。こういうところの商品は、買ったその日に食べる

アニメの実写化

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※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。 最近、アニメやマンガの実写化が多いですね。そして大抵の場合は酷いことになっています。その理由は明白で、そもそもマンガやアニメでヒットするものの多くには実写では表現できない過剰さがあるからです。遠近法が無視されたり、怒った時だけキャラクターが巨大化したり、数万人が一斉にコケたりと実写では困難な過剰な演出が当たり前のようにあります。それを実写にすれば、どうしても迫力不足で地味なものになりますよね。 加えて特殊なキャラクターに支えられているものも多くあります。その特殊なキャラクターは、見る側の「マンガだから」「アニメだから」という暗黙の同意によって成り立っている部分も多いのです。ですからマンガやアニメならケンシロウの兄がジャギでも違和感なく受け入れられるのですが、実写になると「日本人の兄貴が外国人なの?」となってしまいます。暗黙の同意や予定調和が取り払われてしまうと、途端に変な設定になってしまうのです。 最近のアニメの実写化で成功した例を考えると「BALLAD 名もなき恋のうた」が思い出されます。クレヨンしんちゃんの映画「嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」を実写化したもので、草なぎ剛、新垣結衣主演で公開されました。このアニメの主人公である野原しんのすけは特殊なキャラクターで、これを実写化するとなると痛々しい映画になるのは間違いありません。しかし「BALLAD」では、このキャラクター性は完全に無視されています。つまり普通の男の子になっているのです。 そもそもこのアニメ映画は、クレヨンしんちゃんらしからぬ作品として賛否両論でした。従来のドタバタのおバカコメディ路線を継承しつつ、ラストは唐突な死によって悲しいお別れが訪れます。「クレヨンしんちゃんで、子供を泣かせてどうするんだ」という批判があり、実際に見た子供達の多くが戸惑ったようです。しかし同時に名作とも言われ、多くの賞賛も浴びました。この賛否両論は「死」という重たいテーマを扱っていることに起因しています。 合戦が始まる頃には「お祭りみたいだぞー」とはしゃいでいたしんのすけが、ラストのシークエンスでは又兵衛の死に直面して涙します。幼いしんのすけが「死」の意味を知った瞬間であり、しんのすけが一つ成長した瞬間でもあります。製作者は「死」の意味を考え

音楽は死んだか?

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※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。 音楽CDの売上が低迷しています。日本だけでなくアメリカでも低迷しているようで、業界にとっては深刻な問題になっていますね。CDが売れない理由は色々あるのでしょうが、友人が「音楽が進化を止めていないか?」と言っていたのが印象に残りました。言われてみると、ここ最近は新しい音楽が生まれていないように思います。そこでアメリカが中心になってしまいますが、過去の音楽を遡ってみたいと思います。 19世紀後半にアメリカの各地にあった民謡は、それぞれの場所でそれぞれの進化を遂げていきます。黒人達が綿花を摘みながら歌っていた鼻歌は、遠くの仲間を呼びかける大声がシャウトとして加わりブルースが生まれていきます。20世紀に入るとミシシッピ州ではブルースが黒人の間で歌われ、1920年代にはレコーディングも始まりヒット曲が生まれます。ブルースは都市化とともにシカゴやニューヨークへ流れ、電子化を伴いさらなるヒットを生み出します。 20世紀初頭のルイジアナ州ニューオリンズでは、黒人達が酒場で演奏する音楽をジャズと呼ぶようになっていました。第一次大戦頃には白人のジャズマンも誕生し、ダンス音楽や鼓笛隊やマーチングバンドの影響を受けて急成長し、激動の20年代を象徴する音楽になっていきます。30年代には大人数で編成されたビッグバンドがヒットを飛ばし、40年代にはビバップというスタイルが生まれていきます。アメリカの人種差別を避けるようにヨーロッパに逃れた黒人ジャズメンは、50年代にはヨーロッパで数々の名演を残してジャズはアメリカだけのものではなくなっていきました。 アメリカではブルースをダンサブルにしたリズム・アンド・ブルースが流行りましたが、一部の黒人達がさらにビートを強調した音楽を始めます。50年代に誕生したこの音楽はラジオのDJによってロックンロールと呼ばれ、白人のエルビス・プレスリーがこの音楽を歌うようになると全米でヒットするという社会現象を起こしました。それまでアメリカ全土でヒットする音楽は存在しなかったのです。ロックンロールはアメリカだけでなく、イギリスにも飛び火します。そして60年代にはイギリスのビートルズがアメリカを席巻し、世界的なムーブメントが起こります。 また50年代から60年代にかけては、ブルースやR&

邦画らしい失敗

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※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。 久しぶりに邦画を見たのですが、最近の邦画の悪い部分をモロに見てしまった気分になりました。DVDを借りてきた知人も落ち込んで「こりゃ酷い」と言いだすありさまで、それに付き合ったこっちはもっとウンザリしてしまいます。シリーズモノの3作目で、どんどんクオリティが低下しています。力の入り具合だけが伝わり、何を見せたいのかが伝わらない映画でした。 物語がぼやけた原因は2つあるような気がしました。オールスターキャストにした結果、それぞれに見せ場を作ろうとして全体が散漫になったということ。そして刑事モノなのに悪役が明確ではないということです。前作も前々作も犯罪者と署内の敵の両方に主人公は対峙していました。今回も同様なのですが、前作や前々作に比べて署内の敵が明確ではありません。警察官僚機構という敵を代弁するキャラが弱いのです。 犯罪者の方は大胆な犯罪をやる割には、仲間の身も蓋もないドジで簡単にお縄になりますし、実はその犯人は利用されていただけでしたということで黒幕がいるのですが、クライマックスではその黒幕を主人公が救出するという筋書きになっています。黒幕が救出されるというオチはどうなんでしょうね。そしてこの黒幕は女なのですが、刑務所(病院?)から犯罪者を手なずける方法がなんとも微妙です。 この女黒幕は猟奇殺人を犯して主人公に逮捕された過去があり、ネットでは神格化された犯罪者になっています。今回の実行犯も「様」をつけて呼び、アジトには彼女を崇めるような部屋が用意されています。その女黒幕が臨床福祉士の男の前で泣き、オムライスを作り、一晩一緒に過ごすことで手なずけるのです。神格化キャラと女キャラが同時に並んでしまいます。女の性を使って手なずけて神格化されるというのがないとは言い切れませんが、丁寧に説明しないと見ている側は飲み込めません。 この女黒幕はシリーズ第1作にも出ていて、その時は「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクター博士を思わせる猟奇的なキャラになっていました。しかしこの時も今回も台詞がどうもダメです。聡明さと狂気を抱えたキャラを演じるための演技力の問題もありますが、それ以前に台詞がどうにもこうにもダメなんですね。どこがダメかというと、解説や説明はこの手のキャラにとって禁物なのに、なぜかこの手の話

赤痢といえば

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※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。 突然、赤痢が流行って驚いています。トイレに行って手を洗わずに調理したか?と思ったりもしましたが、そもそも赤痢菌の保有者が少ないので衛生面の管理がずさんでも赤痢が発症するのはレアケースですよね。震災となにか関係があるのでしょうか。そして赤痢といえば、私の出身地である福岡県には赤痢にまつわるミステリーがあります。国会の爆弾男と呼ばれた楢崎弥之助氏が、突然国会に持ち出して話題になったそうです。 楢崎氏は福岡では有名な議員で、リクルート事件が公になる隠し撮りビデオの主演者です。リクルート社員がワイロを楢崎氏に手渡すところを隠し撮りし、そのビデオを楢崎氏が公開したことで大騒ぎになりました。これは国会議員手動によるおとり捜査だとして議論を呼びますが、とにかくこういう人なんですね。その楢崎氏が突然国会に戦前に発生した大牟田爆発赤痢事件について取り上げて話題になったようです。1971年のことです。 福岡県大牟田市で1937年に発生した事件で、嘔吐やけいれんを繰り返す患者が大量に発生しました。その数は大牟田市民の1割を越える異常事態で、医者は原因不明の奇病として対応に苦しんでいました。700名以上の死者を出す大事件に発展し、政府は大学病院に協力を仰いで調査を開始して上水道から感染した赤痢だとつきとめました。水源の井戸を管理していた一家がオムツを洗い、その汚水が井戸に混入して感染したわけです。赤ん坊は前日から嘔吐を繰り返し、赤痢に感染していました。 これで市長や上水道を管理していた課長は引責辞任となりましたが、この課長さんは調査時から死ぬまで上水道からの感染説を否定していたのだそうです。そもそも井戸が改修されて汚水が浸入する余地がないことや、井戸から赤痢菌が発見されていない事、さらに問題となった赤ん坊は赤痢には感染していなかったことが診断書から明らかになっています。またここの水を飲料水として提供した船には感染者が1人もいなかったし、水源を管理していた家族にも感染者がいませんでした。 楢崎氏は国会でこれらのことに加え、大量発症日に近くの三井三池工場で起こった爆発事故との関連を示唆したのです。赤痢患者の多くはこの工場付近に集中しているため、軍の要請で三井三池工場が化学兵器を製造していて、それが漏れたため