コーチの性格
※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。
仕事でつきあいのある某ゼネコンの社員の人と話していたら、なんと伏見工業高校のラグビー部OBということがわかって興奮してしまいました。伏見工業高校といえばラグビーの名門校で、公立高校でありながら全国制覇を成し遂げて日本を代表するラガーを多く排出した名門校です。私と年代が変わらないオッサン、オバサンにはドラマ「スクール・ウォーズ」の舞台だった高校と言った方がわかりやすいでしょう。
このゼネコンの人は二軍にも入れなかったと言っていましたが、40を過ぎた今でも立派な体格をしています。伏見工業の練習は逃げ出したくなるほど辛かったそうですが、OBが教えに来てくれることもあったらしく、その時はかなり盛り上がったそうです。例えば教えに来てくれたOBの中には平尾誠二氏や大八木淳史氏などの名前が並びます。平尾誠二氏といえば、高校・大学で全国制覇を遂げると社会人に入っても日本選手権7連覇の立役者で、日本ラグビー界の貴公子のような存在です。
しかしこの平尾氏が指導する練習は凄まじく厳しいもので、練習の間に何度も怒号が浴びせられるハードなトレーニングだったそうです。生徒が指示通りにできないとボールを遠くに蹴り飛ばし「(ボールを)とって来い!」と怒鳴りつけて、なんども全力疾走をさせたりしたそうです。練習が終われば優しい先輩といった感じだったそうですが、練習の時は鬼の形相で生徒を震え上がらせていたようです。
平尾氏がこれほど怖いのだから「大八木さんが来たら殺されるかも」といった笑えないジョークがラグビー部の中で交わされていたとのことですが、大八木淳史氏も日本を代表するラガーマンで伏見工業には数々の大八木伝説が残っているそうです。なにせ社会人になりたての頃に猛者揃いの東芝府中に踏みつけられ、激怒して食って掛かかって周囲を驚かせただけでなく、ボールを持っていないのにタックルをかます報復行為に出て皆を唖然とさせたことがありました。
練習中に全力でタックルしたら相手が吹き飛ばされて意識を失い、病院に運ぶと損傷の激しさから医者が自動車事故だと勘違いしたとか、試合に負けて帰る時に不機嫌すぎて殺気を撒き散らしてしまい、向こうから歩いていたヤクザが道を譲ったなどなどどこまでが本当かわからない数々の伝説が残っているそうで、そんな大八木氏がやってくるとなれば生徒が震え上がるのも無理はありません。ところが練習にやってきた大八木氏は冗談が大好きで練習中も笑いが絶えず、生徒がわからないところは根気よく丁寧に教えてくれたそうです。
現役の頃のイメージとは正反対な気もしますが、このゼネコンの方によると、平尾氏は生徒ができなかったりわからなかったりするのは不真面目だからと捉えていた節があると言っていました。つまり平尾氏は天才肌なので、言われたことはすぐに理解したしできていたわけです。だからわからないできない生徒を理解できなかったのではないかというわけです。
一方、大八木氏は大きな体と常人離れしたパワーを武器にしていましたが、決して器用な選手ではなかったので技術面では苦労も多かったといいます。だからできない生徒やわかない生徒の気持ちがわかるので、そういう生徒にはいろいろと言い方ややり方を変えて理解してもらえるように努めていたのではないかということでした。また平尾氏はダメ出しが多く、大八木氏は褒めることが多かったそうです。これも逆境をバネにして戦い抜いた平尾氏の性格と、どこか抜けた感じのある楽天的な大八木氏の性格が影響しているのではないかと言っていました。
どちらのタイプがいいかはわかりません。しかし試合のイメージとコーチングがずいぶん違うことが驚きでした。そういえば大八木氏は「もっと頭を使え」と言われて頭突きの練習を始めたなんて話もありますから、案外笑わそうと思ってやっているんじゃなくて素で笑われていることもあったのかもしれませんね。
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仕事でつきあいのある某ゼネコンの社員の人と話していたら、なんと伏見工業高校のラグビー部OBということがわかって興奮してしまいました。伏見工業高校といえばラグビーの名門校で、公立高校でありながら全国制覇を成し遂げて日本を代表するラガーを多く排出した名門校です。私と年代が変わらないオッサン、オバサンにはドラマ「スクール・ウォーズ」の舞台だった高校と言った方がわかりやすいでしょう。
このゼネコンの人は二軍にも入れなかったと言っていましたが、40を過ぎた今でも立派な体格をしています。伏見工業の練習は逃げ出したくなるほど辛かったそうですが、OBが教えに来てくれることもあったらしく、その時はかなり盛り上がったそうです。例えば教えに来てくれたOBの中には平尾誠二氏や大八木淳史氏などの名前が並びます。平尾誠二氏といえば、高校・大学で全国制覇を遂げると社会人に入っても日本選手権7連覇の立役者で、日本ラグビー界の貴公子のような存在です。
しかしこの平尾氏が指導する練習は凄まじく厳しいもので、練習の間に何度も怒号が浴びせられるハードなトレーニングだったそうです。生徒が指示通りにできないとボールを遠くに蹴り飛ばし「(ボールを)とって来い!」と怒鳴りつけて、なんども全力疾走をさせたりしたそうです。練習が終われば優しい先輩といった感じだったそうですが、練習の時は鬼の形相で生徒を震え上がらせていたようです。
平尾氏がこれほど怖いのだから「大八木さんが来たら殺されるかも」といった笑えないジョークがラグビー部の中で交わされていたとのことですが、大八木淳史氏も日本を代表するラガーマンで伏見工業には数々の大八木伝説が残っているそうです。なにせ社会人になりたての頃に猛者揃いの東芝府中に踏みつけられ、激怒して食って掛かかって周囲を驚かせただけでなく、ボールを持っていないのにタックルをかます報復行為に出て皆を唖然とさせたことがありました。
練習中に全力でタックルしたら相手が吹き飛ばされて意識を失い、病院に運ぶと損傷の激しさから医者が自動車事故だと勘違いしたとか、試合に負けて帰る時に不機嫌すぎて殺気を撒き散らしてしまい、向こうから歩いていたヤクザが道を譲ったなどなどどこまでが本当かわからない数々の伝説が残っているそうで、そんな大八木氏がやってくるとなれば生徒が震え上がるのも無理はありません。ところが練習にやってきた大八木氏は冗談が大好きで練習中も笑いが絶えず、生徒がわからないところは根気よく丁寧に教えてくれたそうです。
現役の頃のイメージとは正反対な気もしますが、このゼネコンの方によると、平尾氏は生徒ができなかったりわからなかったりするのは不真面目だからと捉えていた節があると言っていました。つまり平尾氏は天才肌なので、言われたことはすぐに理解したしできていたわけです。だからわからないできない生徒を理解できなかったのではないかというわけです。
一方、大八木氏は大きな体と常人離れしたパワーを武器にしていましたが、決して器用な選手ではなかったので技術面では苦労も多かったといいます。だからできない生徒やわかない生徒の気持ちがわかるので、そういう生徒にはいろいろと言い方ややり方を変えて理解してもらえるように努めていたのではないかということでした。また平尾氏はダメ出しが多く、大八木氏は褒めることが多かったそうです。これも逆境をバネにして戦い抜いた平尾氏の性格と、どこか抜けた感じのある楽天的な大八木氏の性格が影響しているのではないかと言っていました。
どちらのタイプがいいかはわかりません。しかし試合のイメージとコーチングがずいぶん違うことが驚きでした。そういえば大八木氏は「もっと頭を使え」と言われて頭突きの練習を始めたなんて話もありますから、案外笑わそうと思ってやっているんじゃなくて素で笑われていることもあったのかもしれませんね。
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