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耐え忍んだホンダが芽を吹かせた2018年 /F1のホンダは復活するか

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2017年はホンダにとって、F1に参入してから最も悲惨なシーズンの一つだったはずです。鳴り物入りで2015年にホンダがF1にカムバックした時、誰もが名門ホンダの復活を予感しました。なにせマクラーレンと組んでの復帰であり、かつての常勝チーム、マクラーレン・ホンダが復活するのです。しかし期待は見事に裏切られました。マシンは遅く、頻繁に壊れました。 関連記事 あの頃ホンダはなぜ強かったのか /川本信彦のレース狂時代 「ここはモナコ、モンテカルロ」名実況が作り上げた名場面  アイルトン・セナはなぜ死んだのか 失望の3年間 フェルナンド・アロンソはレース中に苛立ち「GP2のエンジンかよ! GP2だ!」と、無線で叫びました。ストレートで全くスピードが出ず、ライバル達にやすやすと抜かれていくのに我慢がならなかったのです。さらにホンダのパワーユニット(以下PU、エンジンを含めた出力系まわり)は、排熱に問題があり簡単に壊れました。まともに完走するのすら難しくなっていました。 ※フェルナンド・アロンソ 2016年には復調の兆しが見えましたが、2017年はさらに酷くなります。ホンダは数年先を見据えてPUを一から再開発したのが裏目に出たようです。全くスピードが出ないことにイラついたアロンソは、公の場でホンダ批判を繰り返します。 「こんなにスピード差があるのは危険でさえある」 「信頼性もないし、パワーもない。僕たちはすべてのストレートで時速30km遅い」 「問題はひとつだけだ。パワーユニットだ」 さらにマクラーレン首脳もホンダを手厳しく批判します。マクラーレンのシャーシは優勝を狙えるほど素晴らしい出来だが、ホンダが全てをぶち壊しているというイメージが出来上がり、ホンダは厳しい批判にさらされます。 しかし過激になっていくアロンソの批判に対して懐疑的な声も少数ですがありました。本当にホンダだけが問題なのだろうか?マクラーレンにも問題があるのではないかという声は、日本のプレスだけでなく海外からも漏れていました。特にアロンソの「これがルノーのPUなら、4位か5位には楽に入れた」というコメントには、パートナーへの礼儀を欠き、信憑性も乏しいとマクラーレンの地元イギリスからも疑問が出ていました。 ※マクラーレン・ホンダ そしてつ

劇場版名探偵コナンを振り返ってみた

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中2の娘と名探偵コナンの劇場版の中で、最高傑作は何かという話になりました。全22作とルパンとのコラボ1作を加えた23作の中で、あれこれ議論したのですが、最高傑作はどれか1本には絞れませんでした。そんなことがあったので、印象的だった劇場版を紹介していきたいと思います。全部は書ききれないので、印象深いものだけを抜粋して書いてみました。 名探偵コナン 時計じかけの摩天楼 97年の劇場版第1作で、放火と爆弾による連続事件を追う物語です。犯人の動機が無理矢理な感じもしますし、命の危険に晒されている時に「運命の赤い糸は切れない」と言って行動してしまう蘭姉ちゃんのお花畑っぷりに驚かされますが、複数のピースをつないで徐々に犯人が解き明かされるところは、なかなか楽しめます。 映画「ジャガーノート」以来の定番である、時限爆弾を止めるために切る線は赤か青かというのが出てきます。子供向けに作られてはいますが、ミステリーも含めて大人の映画の要素をふんだんに詰め込んだコナンらしい作品です。 劇場版 名探偵コナン 時計じかけの摩天楼 【DVD】 楽天で購入 名探偵コナン 世紀末の魔術師 99年公開の劇場版第3弾です。ロマノフ王朝の遺産、インペリアル・イースター・エッグを狙う怪盗キッドとの対決で、キッドを狙う謎の人物も絡んできます。ミステリーとしてどうこうよりも、ニコライ2世と日本の細工師との関係、そしてラストで明らかになるロマノフ王朝の宝の意味など、爽やかな印象が残ります。 相変わらず余計なことをする少年探偵団に、お約束のボケをかます毛利小五郎など、作品として安定したクオリティです。 劇場版 名探偵コナン 世紀末の魔術師 [DVD] 楽天で購入 名探偵コナン 瞳の中の暗殺者 2000年公開の劇場版第4作で、原作やTVアニメを見ずに、これだけ見た人からは不評の声が多かったようです。不評の理由は「警察官連続射殺事件」という重い内容に加え、ヒロインの蘭姉ちゃんが記憶喪失になるというのも影響したようです。 一方で凝ったミステリーになっており、ファンの間では最高傑作とも言われています。個人的にはキザったらしい、歯の浮くような新一のセリフがなんとかならんのかと思いますが、良

史上最悪のCEOと呼ばれて /カーリー・フィオリーナ

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女性初のCEOとして ヒューレット・パッカード (HP)のCEOにカーリー・フィオリーナが就任したのは、1999年でした。女性が管理職に就くガラスの天井を打ち破ったとしてメディアから大きな注目を集めたカーリーは、2005年に史上最悪のCEOのレッテルを貼られてクビを宣告されました。最近では再評価の動きもあるようですが、果たして彼女は何が悪かったのか考えてみたいと思います。 生い立ち 1954年にテキサスのオースティンに生まれ、父親の仕事の都合で住む場所を転々としています。勤勉で頭が良かったカーリーはスタンフォード大学に入学すると、メリーランド大学で経営博士号を取得しています。そして1980年にAT&Tに管理職訓練生として入社しますが、当初は受付嬢もしていました。そこから昇進を重ねて副社長にまで上り詰めます。 ※高校時代のカーリー HPのCEOへ 99年にHPがカーリーをCEOに迎えると、メディアは熱狂をもって彼女を称えました。叩き上げの、しかも女性がHPのような巨大企業のCEOに就任するのはシンデレラストーリーであり、成功を体現する女性として賞賛されたのです。そして滑り出しは順調に見えました。 2002年にカーリーが主導して、コンピューターメーカーのコンパックを買収します。大型M&Aは話題になり、この難事業を成功させたカーリーは絶頂期にありました。これでHPはデルを抜いて世界最大のパソコンメーカーになり、まさに順風満帆でした。しかし業務の統合に時間がかかりすぎて売上の悪化を招き、経営不振に陥ります。 従業員の評判だけでなく株主からも不評を買ったカーリーは、2005年に全ての職を辞することになりました。今では経営者のやってはいけないことの例として、カーリーの経営手法が挙げられることも多く、典型的な失敗経営と言われています。 何が悪かったのか 効率を重視したカーリーは、企業文化を理解していなかったと言われます。当時のHPは広範囲に製品を出していて、何が専門なのかわからなくなっていました。プリンター、PDA、モニター、コンピューターなどでブランドを持ち、全商品を把握している社員がどれほどいるのか怪しいほどでした。 ブランドイメージを強固なものにするため、製品を絞る必要がありました。そこで不採算部