それはムネオハウスから始まった そのとき音楽の楽しみ方が変わった
CDが売れない時代に入り、ボーカロイド(ボカロ)ブームがあり、ニコニコ動画の「歌ってみた」が流行って、音楽は聴く時代から自分で作る時代に入りました。これらのブームはひと段落しましたが、今後も聴くより作る方にシフトしていくことが予想されます。この変化の契機はいくつか考えられますが、今回はその一つと考えられる ムネオハウス についてです。 ムネオハウスとは 2002年冬、自民党の大物政治家、 鈴木宗男 の利権疑惑追及の中で、北方領土の国後島に建設された「日本人とロシア人の友好の家」が、鈴木宗男の尽力によって建てられ、地元ではムネオハウスと呼ばれていることを共産党の議員が指摘します。語呂の良さからムネオハウスという言葉が、メディアを賑わせました。 ※疑惑の総合商社と呼ばれました。 そんな中、2ちゃんねるで音楽を話題にしているテクノミュージックの板に「アシッドハウス=ムネオハウス」というスレッドが立てられます。これが大ブームになりました。 ムネオハウス・ムーブメントの始まり 当初はダジャレで立てられたスレッドで、まったりとした会話が進行しましたが、鈴木宗男の国会答弁の音声をサンプリングし、音楽に合わせたものがアップロードされます。これで火がつきました。 次々にサンプリングした音楽がアップされて笑いを誘うと、音楽に合わせた動画がflashで作成されます。当時はflash動画の全盛期で、さらに大学生の春休みだったこともあり、腕に覚えのある人達が次々にflash動画が作成され、板を超えて2ちゃんねる内でプームになりました。 ※ムネオハウスflashの一場面 サンプリングは鈴木宗男にとどまらず秘書のムルアカ、証人喚問で鈴木宗男を追及した辻元清美の音声など、関係者に次々に波及していきます。さらにはCDジャケットを作成する人も現れると、人気の高い曲をアルバムとしてまとめて、専用のサイトに保管されていきました。 ムネオハウスがリアルの世界へ 公式サイトが作られ、そこにアルバムが保存され始めると、それに目をつけたイベント会社が公式サイトにイベントを提案します。そして2002年4月に、新宿ロフトで「ムネオハウス・パーティ」が開かれ、ムネオハウスだけが流れる中で、一般男女が躍るカオスなイベントが成功に終わりま