賭けに勝ったダナ・ホワイト /UFCが世界最高峰になった理由
2003年、着実に成長を始めていたUFCは消滅の危機にありました。新たなスポンサーを獲得し、ペイ・パー・ビューTV(以下PPV)の売上も順調でしたが、それを上回る負債が運営するズッファ社にのし掛かっていました。もはやPPVに加えて新たな資金源が必要なのは明らかで、これ以上の大口のスポンサーも見込めませんでした。ズッファ社のダナ・ホワイトは、新たなTV番組の企画に賭けることを決めました。しかし彼らの提案に同調することテレビ局はありませんでした。 関連記事 総合格闘技に最適なバックボーンは? エメリヤーエンコ・ヒョードル /UFCと契約しなかった最強の王者 時給1500円の世界王者 /スティーペ・ミオシッチ ジョン・ジョーンズというダメ男 /転落が生んだ喪失感 寝技最強の男ハビブ・ヌルマゴメドフはどうなるのか? フリースタイルは最強なのか? /マックス・ホロウェイ 堀口恭司の苦悩 /UFC世界王者に最も近づいた日本人 世界最強のオタクはナイスガイ /ジョシュ・バーネット なぜミルコ・クロコップはアメリカで勝てなかったのか ホドリゴ・ノゲイラはなぜ負けたのか ヴァンダレイ・シウバはどれくらい強かったのか ジェラルド・ゴルドーは凶暴なのか紳士なのか UFCの動乱 /ミオシッチ対コーミエ戦の衝撃 UFC王者がボクシング王者に挑戦する UFCの誕生 広告代理店役員のアート・デイビーのアイデアから、UFCは始まりました。彼はたまたま見たグレイシー柔術のビデオに、彼らが道場破りと戦ったり、ほぼノールールのケンカのような格闘技の試合をしている様子が収められていたことから、企画を思いつきました。デイビーは、映画脚本家のジョン・ミリアスがグレイシー柔術を習っていることを知ると、ミリアスに企画を持ち込みました。 ※アート・デイビー ジョン・ミリアスは、70年代から80年代にかけて多くのヒット作に関わったことで名を馳せた脚本家で、最も有名な作品はコッポラが監督をした「地獄の黙示録」です。ミリアスはデイビーから持ち込まれた、ほぼノールールのケンカのような格闘技の大会をアメリカで行うという企画に驚き、ホリオン・グレイシーを紹介しました。ここで話がまとまったことから、デイビーは資金を調達してWOWという会社を立ち上げました。 関連記事