邦画らしい失敗

※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。

久しぶりに邦画を見たのですが、最近の邦画の悪い部分をモロに見てしまった気分になりました。DVDを借りてきた知人も落ち込んで「こりゃ酷い」と言いだすありさまで、それに付き合ったこっちはもっとウンザリしてしまいます。シリーズモノの3作目で、どんどんクオリティが低下しています。力の入り具合だけが伝わり、何を見せたいのかが伝わらない映画でした。


物語がぼやけた原因は2つあるような気がしました。オールスターキャストにした結果、それぞれに見せ場を作ろうとして全体が散漫になったということ。そして刑事モノなのに悪役が明確ではないということです。前作も前々作も犯罪者と署内の敵の両方に主人公は対峙していました。今回も同様なのですが、前作や前々作に比べて署内の敵が明確ではありません。警察官僚機構という敵を代弁するキャラが弱いのです。

犯罪者の方は大胆な犯罪をやる割には、仲間の身も蓋もないドジで簡単にお縄になりますし、実はその犯人は利用されていただけでしたということで黒幕がいるのですが、クライマックスではその黒幕を主人公が救出するという筋書きになっています。黒幕が救出されるというオチはどうなんでしょうね。そしてこの黒幕は女なのですが、刑務所(病院?)から犯罪者を手なずける方法がなんとも微妙です。

この女黒幕は猟奇殺人を犯して主人公に逮捕された過去があり、ネットでは神格化された犯罪者になっています。今回の実行犯も「様」をつけて呼び、アジトには彼女を崇めるような部屋が用意されています。その女黒幕が臨床福祉士の男の前で泣き、オムライスを作り、一晩一緒に過ごすことで手なずけるのです。神格化キャラと女キャラが同時に並んでしまいます。女の性を使って手なずけて神格化されるというのがないとは言い切れませんが、丁寧に説明しないと見ている側は飲み込めません。

この女黒幕はシリーズ第1作にも出ていて、その時は「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクター博士を思わせる猟奇的なキャラになっていました。しかしこの時も今回も台詞がどうもダメです。聡明さと狂気を抱えたキャラを演じるための演技力の問題もありますが、それ以前に台詞がどうにもこうにもダメなんですね。どこがダメかというと、解説や説明はこの手のキャラにとって禁物なのに、なぜかこの手の話をペラペラとしてしまうんです。

狂気の底が見えないから見る側は勝手に想像して恐怖するのに、「だからこうしてやるんだ」的な説明が入ると、狂気の底が見えてしまって恐怖が萎んでしまうんです。それに加えて自分の欲望まで喋ってしまうわけですから、これでは単に頭がおかしい人になりかねません。ですから自分が死ぬ事で自分が神格化される、自分が死ぬ事で世界が変わるなんて台詞は本当に余計だと思いました。これじゃどんな名優が演じても怖さは中途半端なところまでしか出ません。

時限爆弾のタイムリミットが迫っている中、なぜか女黒幕のお喋りに付き合う主人公や、その外で意味深な事を言いながら突っ立っていて爆風で飛ばされる警察官僚など、なんとも間抜けな場面が多数みられ、製作者の意図しないところで笑いを誘っていました。脚本が散漫で詰めが甘いので、後は誰が何をやっても退屈になってしまいます。「どう?面白いでしょ?」と言わんばかりの小ネタも、いい加減に飽きてしまいますしね。

どうして日本の大作はこういうパターンに陥りやすいのでしょうか。やっぱり製作委員会制度の問題なんですかね。

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