なぜミルコ・クロコップはアメリカで勝てなかったのか

かつて日本のテレビでも人気だったクロアチアのキックボクサー、ミルコ・クロコップが脳卒中のため現役を引退するそうです。以前にも引退を表明したことがありますが、再び強い衝撃を脳に受けると生命の危機になるそうで、今度は本当に引退するそうです。そこで今回はミルコの話を書いてみたいと思います。



日本では総合格闘技で無類の強さを見せました。しかしアメリカに渡ってUFCに参戦すると格下と思われる相手にKOされるなど、結果を残せずにリリース(契約解除)されてしまいました。PRIDEとUFCでは、そんなにレベルの差があったのかと驚く人もいましたが、そんなことはありません。ミルコは悪いタイミングでアメリカに行ったのです。


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ミルコ・クロコップとは

ユーゴスラビア(現在ではクロアチア)出身のキックボクサーです。15歳で空手を始めるもののユーゴ紛争で一旦は断念し、19歳からキックボクシングを始めました。この時期のクロアチアはユーゴスラビアからの独立を目指し、クロアチアは戦火に見舞われています。ブランコ・シカティックが主催するタイガー・ジムにそんな所属していたため、初来日の頃はミルコ・タイガーと名乗っていました。

※少年時代のミルコ

日本のK-1で名を馳せると、2001年には総合格闘技に進出します。K-1 GP出場権を逃したミルコが正道会館から藤田和之との総合格闘技戦をオファーされた時、ミルコは顔面蒼白になったそうです。ジェロム・レ・バンナは正道会館から出てきたミルコを見かけて声を掛けると、青白い顔をしたミルコに無視され「変な奴だ」と思ったそうですが、藤田戦のことを聞くとミルコをバックアップしています。

一説には、グランプリ初戦で負けて東京ドームに行けなくなったミルコに対し、絶対に断れない状況で藤田戦を持ちかけたK-1側にバンナは憤り、ミルコの応援に回ったともいわれています。ですから藤田に勝利した直後、セコンドについていたバンナは自分のことのように喜んでミルコと抱き合っています。



その後、PRIDEに戦場を移し、寝技有利と言われる中で次々に左ハイキックでKO勝利を重ねて、PRIDEのトップ3に名を連ねました。PRIDEがUFCに吸収された際に、アメリカのオクタゴンに登場しました。UFCからの期待は高く、好待遇での契約だったと言われています。

ミルコのトリック

ミルコは左ハイキックでKOの山を築きましたが、ミルコは従来のPRIDEのストライカーとは、全く異なる戦い方をしていきました。最終的にはストライカーとして戦わないことで、KOできるようになっていたのです。



左利きのミルコは、右手右足が前に出ます。この右をタックルを切るために残し、打撃は左だけで行うようになりました。そしてテイクダウン・ディフェンスだけを徹底して練習していきました。寝技を覚えるのではなく寝技に持ち込まれない方法と、寝技から脱出する方法に特化してトレーニングを行ったのです。ヒョードル戦でぐらついたヒョードルを連打で追いますが、この時も左ストレートだけを出し続けています。右手が体の内側にあれば、タックルを切ることができるからです。

※ミルコはサウスポーに構えます。

左しか打撃に使わないということは、キックボクシングで培ったコンビネーションが使えないということで、コンビネーションができないミルコは、さほど恐ろしいものではないはずです。しかしミルコは左ハイキックだけで、面白いようにKOを重ねました。

なぜ上手くいったのか

コンビネーションが使えず、単発の攻撃しかできないミルコを攻略するのはさほど難しくはなかったはずです。しかし対戦相手のほとんどは、キックボクシングでKOを重ねてきたミルコがコンビネーションを捨てているとは思いませんでした。だから相手は常にミルコのコンビネーションを警戒して、いかにしてタックルを決めるかに集中していました。

※ヒース・ヒーリング戦

タックルの切り方と寝技のディフェンスに特化して、トレーニングを重ねたミルコにタックルを決めるのは容易ではありません。タックルに気を取られた相手が不用意な間合いに入った時にだけ、ミルコは左の打撃を使いました。相手が打撃を警戒するあまりに間合いを遠く取りすぎ、タックルが届かないので徐々に距離を詰めたところを狙いすましてハイキックを打ち込んでいったのです。

ミルコの戦術は、相手がミルコの打撃を警戒するという前提の上に成り立ち、それが功を奏して勝ち続けることができました。ミルコの幻想が相手の動きを限定させていたのです。

ヒョードル戦の誤算

中途半端な間合いに入った瞬間を見逃さずにKOするミルコのスタイルを見て、ヒョードルは思い切って打ち合いに出る作戦をとりました。打撃に自信もあったのでしょうが、これはミルコにとって最も嫌な戦い方でした。右手を使えないので、打撃戦になると押し負けてしまうからです。そのためヒョードルは存分に打撃を振るい、ミルコはほとんど手を出せなくなりました。

※ヒョードル戦ではガス欠で敗退しました。

しかしこの試合では、ヒョードルが押しているように見えて、有効打の数はミルコが上回っていました。ヒョードルは足を止めた瞬間に打ち込まれるので動き続けながら打ち続ける必要があり、ヒョードルにとっても苦しい展開だったはずです。ミルコが不用意にグラついたヒョードルに飛び込まなければ、また別の展開になっていたと思います。しかしこの試合でミルコ対策に確信を持った選手がいました。ジョシュ・バーネットです。

バーネットとの連戦

バーネットは、前に出てパンチを打ち続ければミルコは怖くないと公言して対戦に挑みました。特に2戦目では打撃でバーネットが優位に展開し、グランドでは巧みに逃げるミルコを捉えられないという不思議な展開が見られました。バーネットの言葉通り、前に出てプレッシャーをかけ続けると、ミルコはほとんど打撃に対応できませんでした。この試合で、誰もがミルコは前に出て連打を出されると苦戦するとわかったはずです。

※試合後にバーネットと並んで

ミルコの打撃を恐れて下がるから、ミルコに打撃を決められるのです。連打で前に出ればミルコは手詰まりになります。ミルコのトリックは、バーネットとの連戦によって明かされてしまいました。手品の種明かしをバーネットは行ったのです。

関連記事:世界最強のオタクはナイスガイ /ジョシュ・バーネットは殴れない?

UFC参戦

2007年からUFCに参戦しました。1戦目のエディ・サンチェスはミルコの打撃を警戒して下がっていたので、豪快にKOができました。しかし2戦目のガブリエル・コンザーガは、前に前に出て打撃を繰り返すので、ミルコはテイクダウンを許してしまいます。肘対策を怠っていたミルコは、グランドで肘を何発ももらい、最後は右ハイキックをもらって失神KO負けを喫しました。

※コンザーガにKOされたミルコ

コンザーガはさほど期待されておらず、ミルコは勝てば王座挑戦が決まっていました。ミルコのために用意された試合でしたが、ミルコはなにもできずKOされてしまい、評価を大きく下げることになりました。この試合で多くの人が指摘したのは、ガードポジションの悪さでした。肘が禁止されているPRIDEと肘が認められているUFCではガードポジションの頭の位置が異なるのですが、ミルコはPRIDEと同様にポジションをとってしまったので肘の餌食になったのです。しかしミルコが抱える問題はもっと本質的で、プレッシャーをかけられると打撃で戦えないということでした。

さらに格下と思われたシーク・コンゴとの試合でも良いところなく敗退し、リリースされたのかは不明ですが一時的にUFCから離れることになりました。さらに日本での練習中にギルバート・アイブルと喧嘩になり、双方が大怪我をしてしまいます。ミルコは右肘を痛め、この怪我は後々までミルコを悩ませました。さらにUFC参戦前から手術を繰り返していた膝も、限界になっていました。

2009年のUFC99から復帰しますが、ドス・サントスには打撃で押し込まれてギブアップ負け、フランク・ミアやロイ・ネルソンなど、名のある選手には負けています。ミルコは中堅以上の選手には勝利を収めることができないままUFCを離れました。怪我をしたままの試合も多く、本人にとっても不本意だったはずです。

まとめ

ミルコはストライカーとしての自分のイメージを最大限に活かした戦術でKOの山を築いてきましたが、そのトリックが明かされたうえに怪我が重なった時期にUFCに参戦しました。オクタゴンはリングに比べて広いので、ストライカー全盛のUFCは皮肉にもストライカーのミルコに合っていなかったというのもあります。

アメリカに渡ったミルコは弱くなったのか?おそらくイエスで、手術を繰り返して蹴りすら出せない状態で試合に挑むこともあったので仕方ないと思います。一方で、UFCに渡った選手は禁止薬物を使えなくなったので勝てなくなったという意見には、ミルコは当てはまらないようにも思います。たしかに体が萎んでオクタゴンに立った選手もいましたが、ミルコの体型は大きく変化したように見えなかったからです。

ミルコが最も輝いたのはPRIDE GPの優勝だと思いますが、すでにフジテレビが放送を中止していた大会だったので、その雄姿がテレビで伝えられることはありませんでした。なんとも不運な選手だったと思います。


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