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3月, 2018の投稿を表示しています

犬用シャンプーでダッフルコートを洗ってみた

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タイトルで頭おかしいと思った人もいるでしょうが、深い理由があるのです。そもそも私のダッフルコートは1950年代のイギリス海軍のもので、すでに60年以上経っている古いものなんです。それがここ最近になって、痛みが激しくなっていました。 私のダッフルコート ダッフルコートの着方は、映画「第三の男」のトレヴァー・ハワードにならって、ちょい大きめのサイズで身ごろはたっぷりと余裕を持ち、袖は折って着ています。 ※映画「第三の男」のトレヴァー・ハワード(右) ところが袖の折ったところに、穴が空いてきました。生地がボソボソになっていて、乾燥しすぎているのがわかります。このままではあちこち破れていきそうで、そのために何か手を打つ必要がありました。 ※両袖に空いた穴 ちなみに当時のダッフルコートは、衣料用の生地で作られていません。砲弾や銃を包んでいた布です。手っ取り早く安い生地で作られていたんですね。メルトンなんですが、ゴワゴワします。 生地の潤いを メルトンはウールで、ウールはラノリンという油分が含まれています。このラノリンを加えたら、しっとり感が戻って雨を弾く本来のダッフルコートの機能も取り戻せると思いました。 ※純粋なラノリンは油の塊です。 そこでオムツ用のラノリンスプレーを使ってみたのですが、極厚の乾ききったメルトンにかけても、砂漠に水を撒くようなレベルです。いろいろ考えた末、犬用のシャンプーにラノリンが含まれていることを思い出し、ついでに汚れも落としてしまおうと考えたわけです。 ラノリンシャンプーを購入 ペットショップで「ラノリン入りのシャンプーください」と言うと、キレイな店員さんが「ワンちゃん、痒みとかあります?」とか質問してくるのですが、「ダッフルコートを洗うから大丈夫です」とかは言えません。とりあえず何種類か出してきて、お勧めのものを買いました。約1000円です。 家に帰って洗う前に確認すると、犬に潤いを与える成分はいろいろ入っていますが、ラノリンが入っていないことに気がつきました。これではダメです。店員さんは、犬の痒みを抑えるならラノリンに拘らなくてもいいだろうと思ったのでしょうが、こちらはラノリンに拘ります。 しかし、成分を見ていくと悪くなさそうなので、これで洗うことにしました。オリー

バディ・ガイの復活物語 /孫に見せたかったステージ

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グラミー賞授賞式で、名前を呼ばれたバディ・ガイは「奇跡のようだぜ」と、驚きと興奮を隠しませんでした。この年、全盛期をとっくに過ぎたブルース・ミュージシャンだったバディは、劇的な復活を遂げました。彼の新作アルバムを買い求めた人達の多くは、かつてのバディの全盛期すら知らず、全盛期を知っている人の中には、バディはとっくに死んでいると思っている人もいました。 不運の男 58年にコブラ・レコードからデビューしたバディですが、当時はブルースの人気は陰りが見られていました。ノリの良いリズム&ブルース、そしてロックンロールが全盛で、バディは一流と認められながらも、セールス的には大ヒットに恵まれません。 ※50年代のバディ・ガイ 60年代に入ると、ローリング・ストーンズやエリック・クラプトンの影響でブルースのブームが起こりますが、その時に脚光を浴びたのはハウリン・ウルフやマディウォーターズなど、バディより古い世代のミュージシャンでした。 ※マディ・ウォーターズ アルバムリリースを重ね、シカゴのブルース界の重鎮の1人としてなを連ねるようになりますが、相変わらずセールス的には厳しい状態が続き、ついに81年にアリゲーター・レーベルから出した「ストーン・クレイジー」以来、アルバムを出すこともできなくなりました。 息子の言葉に驚く バディの息子は父親の血を受け継ぎ、幼い頃から音楽に夢中でした。ギターであらゆる曲をコピーし、バディは息子にギターのアドバイスもしていました。 「プリンスのアルバムは全部聞いたから、次は誰のアルバムを聴いたらいい?」 息子に質問されたバディは、「次はジミ・ヘンドリックスだな。プリンスだってジミの大ファンなんだぞ」と答えます。早速ジミのアルバムを聴き漁っていた息子でしたが、ある日血相を変えてバディのところにやってきます。 ※ジミ・ヘンドリックス 「ジミのビデオを見てたら、一番影響を受けたのはバディ・ガイって言ってた。お父さんは有名なミュージシャンだったの?」 息子はバディがシカゴの伝説的ブルースマンだということを知りませんでした。息子に自分の本当の姿を知ってほしいと望んだバディは、息子が大人になると自身が経営するクラブ「バディ・ガイ・レジェンド」に連れて行き、ステージに立つ姿を見せまし

服好きな人=お洒落な人ではないという話

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時々、私なんぞに「お洒落ですね」と言ってくださる人がいるのですが、私は断じてお洒落な人ではありません。単に服が好きなだけなのです。お洒落な人というのは、鍛え方が違うと思うんです。 今回はこの混同されやすく、しかし本質的には全く違うと思うお洒落と服好き、さらに流行が好きな人たちについて書いてみようと思います。 服が好きな人たち 私を含めて服が好きな人は多くいるので、雑誌不況の現在でもファッション雑誌が売られ、ネットにはファッション情報が掲載されています。私が服が好きなのは、ちょっとした変身願望のような一面があるからです。服によって自分の印象が変わり、普段とは気分も変わるからです。 スポーツウェアを着ただけで、逞しくなった気分になる人がいますが、それと似たようなものです。私が蝶ネクタイをしたりワークウェアを着たり、アウトドアウェアを着たりするのは、こういった変化が楽しんですね。 さらに言うとモノに興味を惹かれる性格なので、どのような目的で、どのようにして作られたのかを知るとワクワクしてきます。これは単に物体としての興味が強く、お洒落とは全く無縁の興味です。 この服好きタイプは私以外にも多くいて、大抵の人がファッションを楽しんでいます。 流行好きの人たち 流行を追いかける人は少なくなりましたが、今でも確実に存在します。雑誌の宣伝文句をそのまま語る人達で、中には流行に乗せられていることに気がついていない場合もあります。もっとも経済に貢献しているのはこのタイプの方々で、流行が変わると新たな服を買うので、洋服屋さんにとって優良な顧客でもあります。 ※80年代に流行したファッション メディアが広告主のために育てたいのもこのタイプの人達で、だから熱心に流行を報じて、少し前に流行ったものを着ている人は格好悪いと脅します。流行を追うのに疲れたという人もいますが、流行の先端に身を置くのは時代の変化を感じる意味で、刺激的で面白いことだと思います。 お洒落な人たち 何をもってお洒落かは議論の対象になるでしょうが、私はこのように考えています。 お洒落な人とは、時と場所を選んで、どのように見られたいかという意思を持つ人。自分が何者であるかを知っている人。 小難しい話に

アピールポイントが胸だと言うF美の勘違い

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F美に初めて会ったのは、もう10年以上前になる。某大学の柔道部だった男が「男ばかりの飲み会だと華がないんで、女の子を連れてきます」と言って、連れてきたのがF美だった。身長165cmの長身に、細長の顔が印象的だが、彼女は一度会ったら忘れられない身体的特徴があった。 彼女に会った人は、必ずの胸に目が行ってしまう。いやらしい意味ではない。その立派な胸筋に目が行くのだ。もちろん背中もすごいし、ふくらはぎも強固なワイヤーを絞りきったような凄みがある。しかし男性ボディビルダーのように、胸筋がピクピク動く女性はそんなにいない。 高校時代は新体操で鍛え、大学生活の中でみるみる太っていくのが嫌でスポーツジムに通ったらしいが、なにか鍛え方を間違えたようだ。普通に酒を飲んでいても、Tシャツごしに胸筋がピクっとうごくと、全員の目が行ってしまう。 ※写真はイメージです。ここまで激しくはないですが、こんな感じに近いです。 ある日「今朝、痴漢にあったんです!胸を触られたんです!」と切実な声で騒いでいたが、全員が「痴漢ではなく筋肉への興味」と否定していた。ピクピク動く胸筋をみていると、触りたくなる気持ちもわかる。「なにか入っているのだろうか?」そんな疑問が湧いてしまうのだ。 女性の胸の形容は「ふくらみ」などの言葉が使われるが、彼女の場合は「隆起」がふさわしい。ジムで何度か本格的にボディビルをやって大会に出ないかと誘われたそうだが、「水着で人前に出るのはムリ」と断っている。恥ずかしがり屋で、普段は事務仕事をして、夜になると走り込み、週末になるとジムで汗をかく生活をして30代半ばになったのだ。 「婚活を始めます。結婚相談所に登録もしました」 と、高らかにF美は宣言したが、「アピールポイントは胸って書いときました」と、確実に誤解を招くことを言っている。「私が唯一褒められるのは、この胸筋ぐらいなんですよ」というが、それが婚活においてアドバンテージになるのか疑問だ。さらにこれまでつきあった男性のほとんどはスポーツマンだったのだが、上手くいかないことが多かったのでインドア派で知的な男性がいいと、見た目と180度反対のことを言っている。 長身、ガチムチ、胸筋プルプルのF美に、読書や将棋が趣味の男性が言い寄ってくる様子が想像でき

松岡修造はなぜ応援し続けるのか

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「ボロクソに書いてくださいね」松岡修造は、自分の不甲斐なさにインタビューを断り続け、どうしてもと粘るNumber誌のインタビューを受ける条件として、自分のことをボロクソに書くように依頼しました。怪我に苦しみ、アトランタオリンピックで1回戦敗退の頃だったと思います。 松岡修造は苦しみ、悩み、弱音を吐くことも多い人でした。負けた後に「死んでしまいたい」と語ったこともあります。今日の陽気でハイテンションな姿とは違い、現役の頃は影を引きずるような一面がありました。 兄の存在 1歳年上の兄、 松岡宏泰は幼い頃からテニスに非凡な才能を見せ、ずんぐりむっくりな体型の修造とは異なり、体格にも恵まれていました。温厚で礼儀正しく勉強も常にトップの 宏泰に比べて、修造は腕白坊主で勉強よりも大人にイタズラをしてばかりの少年だったといいます。 ※兄の松岡宏泰東宝東和社長 テニスのコーチは 宏泰にばかり時間を割き、自分にも教えてくれとねだる修造に、慰めのような言葉をかけていました。幼いながら、修造は自分にはテニスの才能はないことを自覚し、その自覚に反してテニスに情熱を注ぐようになります。才能がなくても、なんとかして上手くなりたいと願い、どんどんテニスに入れ込んでいきました。 極貧生活 父親の猛反対を受けながらプロデビューしたため、金銭的な援助は一切受けられない状況でした。幸いマネジメント会社が松岡に興味を持って契約してくれたことから、年間300万円の活動費を得ることができました。しかし300万円で海外を転戦しながら、プロ生活を送るというのは極貧生活を意味しました。  ※高校時代の松岡修造 最も安いモーテルを相部屋で借り、板張りの床で寝る生活が続き、空腹のあまりとなりのテーブルのパン盗むこともあったそうです。そして貧乏だけならまだしも、当時は日本人というだけでテニス界では相手にしてもらえませんでした。 人種の壁 ランキング下位で日本人の松岡は、練習相手に困り壁打ちを続けます。たまに1人で壁打ちをしている選手を見かけると、必死に頭を下げて練習相手になってくれと頼み、蔑むような視線に耐えなくてはなりませんでした。 コートを予約させてくれない。予約しても取り消される。ロッカーを使わせてもらえな

マイケル・ジャクソンが愛したローファー /G.H.BASSの魅力

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私はローファーを一足も持っていません。足に合うローファーに出会ったことがないからです。唯一履けたのは、J.M.ウェストンの超タイトフィッティングで、お値段もすごければ足も痛いで、さっさと諦めました。今回はローファーの元祖と言われる G.H.BASS (バス)のお話です。とってもお安い革靴なんですよ。だから何度も試しているのですが、なかなか購入には至っていません。 歴史 ジョージ・ヘンリー・バスという人物が、片田舎の工場を買い取ったことからブランドが始まります。当時の労働者の靴に不満を感じ、また納得できるアウトドアシューズがなかったことから自ら靴の製作を始めました。1876年にG.H.BASSと名前を変え、靴の製造を始めました。南極探検隊向けの靴を作るなどの開発を続け、1910年にはアウトドア用のモカシン靴を製作してヒットします。 第一次世界大戦では、アメリカ軍のパイロットブーツを納めるまでに成長し、第二次世界大戦ではアメリカ陸軍に防寒用ブーツを支給しています。チャールズ・リンドバーグが大西洋無着陸横断を成功させた時も、BASSの靴を履いていました。そして1950年代に、ウィージャンズと呼ばれるローファーを発表しました。つま先にも踵にも芯がなく、マッケイ製法で作られたこの靴はアイビーリーガー達に高い支持を得ました。60年代には日本でもアイビーブームの際に、ウィージャンズは大ヒットしています。 低価格で可能な限り良い靴を提供する方針のもと、現在では向上をアメリカ国外に移して展開しています。接着剤を使ったセメント製法が全盛の現在、今でも靴底を縫い付けて、わずか1万円代で提供する稀有なメーカーです。靴好きの中にはあれこれ悪く言う人もいますが、この価格でローファーを提供することを実現するには、さまざまな企業努力があったはずです。 マイケル・ジャクソンの靴 フローシャイムなども使用していたマイケル・ジャクソンですが、G.H.BASSが大好きだったようです。オールデンのような高級ブランドを、毎年のように全色買っていたと言われても驚かないマイケルですが、安価なG.H.BASSを愛用していたところに好感が持てますね。 ※ヒット曲「ビリー・ジーン」でもBASSが使われました。 そもそもマイケルはお