投稿

2月, 2012の投稿を表示しています

自殺したワタミの社員は心が弱いのか

イメージ
※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。 ワタミの女性社員が入社2ヵ月後に自殺した件で、さまざまな議論が起こっていますね。遺族の訴えが認められ労災に認定されたのですが、渡邉美樹社長は残念な出来事としたうえで、「労務管理できていなかったとの認識は、ありません」との見解を示し、批難が集まっています。その一方で「自殺するなら辞めればよかった」「無理やりでも休めばよいだけのことで、自己管理ができていなかった」と自殺者の落ち度を指摘する声もあります。 以前、私もこれら被害者を批判する人達と同じ考えでした。私自身も1ヶ月の残業時間が200時間を越える勤務をしていたことがあり、それが数ヶ月続いたことで体調を壊したことがあるからです。この当時、無理やり月に2日は休みをとっていました。周囲の声や批難を無視して休んでいたわけで、そうしないと体がもたないと思っていたからです。上司から「仕事も終わっていないのに、休みだけは一人前に取る気か」と散々嫌味を言われましたが、自分で休むと決めたら休んでいました。 結局体を壊して会社を辞めるのですが、こういうことが自身にあったので「辛いなら休めばいいんだよ」と思っていました。しかし自殺者の急増というニュースを受けて、自殺に関する本をいくつか読んでいくうちに考え方が変わりました。なぜ会社を辞めるわけでも、無理やり休むわけでもなく、自殺という最悪の手段を選んでしまうのか?それは本人が自殺以外の方法を見つけられなくなっているケースが多いようなのです。 労働を苦にして自殺する人は、強いストレスにさらされていることがほとんどです。仕事をこなさなくてはいけないというプレッシャーや、顧客からの叱責、上司からのプレッシャーなど様々なストレスにさらされ、冷静な判断が下せなくなっているのです。会社を休めば上司から叱責されるので休まないという思考を繰り返している人は、上司からの叱責が最大のストレスとなり自殺して楽になろうと思ってしまうわけです。自殺よりも上司の叱責が恐ろしいことになってしまうんですね。 この時、誰かに相談できれば自殺しなくて済むこともあります。相談相手が冷静であれば、上司の叱責より自殺の方が恐ろしいことだと諭すことができるからです。しかし不幸にも相談できる相手がいないと、自殺して苦しみから逃れるという発想に縛られ

橋下徹大阪市長への批判と賞賛

イメージ
※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。 橋下市長は賞賛と批難の両方を浴びていますね。個人的には当然の施策と思うものと疑問符が付くものがあるので、一概に橋下市長をどうこう言うつもりはありません。さらに私は大阪に住んでいないので、細かく政策を見ているわけではないので詳細についての評価は現時点ではできません。そこで私が不思議に思う橋下市長への批判について書いてみたいと思います。 自民党が政権に就いている頃、多くの人は密室政治を批判していました。また国会や個別の委員会の議論は名ばかりで、実際には水面下の根回しで大方が決まってしまうやり方に不満が上がっていました。政治の透明化が叫ばれたのは、こういう不満が背景にあったと思います。密室ではなく開かれた場所で議論が行われれば、それを有権者が見ることで判断材料にできるはずです。 そういった背景があるからかはわかりませんが、橋下市長は議論をオープン化しています。議論の場所がテレビカメラの前だったりネットだったりしますが、行き過ぎの中傷合戦になりかけることもありながら、とりあえずは人が見ている場所でやりあっています。まさに求められていた公の場での議論だと思うのですが、今度はこれが批判されています。 橋下市長は相手構わず反論者に喧嘩を売っているように見えますが、作家の冷泉彰彦氏の反論には極めて落ち着いて返事をしています。もっともこの冷泉氏の反論はイデオロギー論争抜きの数少ない冷静な反論ですから、他と対応が異なるのは当然かもしれません。しかし少なくとも橋下市長が好き好んで喧嘩を売りまくっているわけではないようです。ただ一方的に論戦で相手を叩きのめすと、ファシストといった批判が起こっています。 橋下市長が、もう少し柔らかい言葉で反論すればいいんでしょうか。問題の本質はそうではないように思います。この根底には有権者があるべき政治家の姿がイメージできていないということがあるように思いますが、それは私の考えすぎでしょうかね。それと橋下市長と反対派の間には、政治構造や教育問題といったものとは別にイデオロギーの対立が大きく横たわり、それが議論を変な方向に持っていってしまいます。そしてこのイデオロギー対立を呼び込んだのは、橋下市長の方でした。 上記の冷泉氏の反論の中で、教育改革にイデオロギー論争を持ち込ん

放射線測定のカオス

イメージ
※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。 放射線測定器(以下サーベイメータ)が売れていますね。知人からどれがいいか相談されたのですが、私が指定した機種はどれも売り切れだったようです。もっとも私が言った機種は行政が使っている機種と同等のものだったので、行政がジャンジャン購入しているので品薄なのは必然だったようです。しかし多くの方がサーベイメータを購入してはいるものの、さまざまな混乱が起こっているみたいですね。 混乱する要因を挙げてみたいと思います。 1.サーベイメータの玉石混交 震災後に売れるものだから急に作り出したメーカーがあったり、そもそも高汚染エリアで使うものだったり(関東のような低汚染エリアでは正確に測れない)、あるいは明らかな欠陥品だったりするものまで売られています。国民生活センターがネットで売れている9機種を調査した結果、どれも正確には測れないという結論になったなんて話もありましたね。 2.サーベイメータの誤使用 さすがにハンディタイプのサーベイメータで食品の汚染を測るような間違いはなくなったみたいですが、それでも誤使用は散見されます。例えばガイガーミュラー管を使うタイプで、空間のγ線を測る際にはアルミのキャップをつけて測るものがあります。間違えてキャップを外して使うと、本来の値の数倍から数十倍の値が表示されます。もちろん取扱説明書には書いてあるのですが、物によっては英語の説明書しかないなんてものもあるので、こういう間違いは起こるようです。誤使用の例は、挙げればキリがありません。 3.測定方法が未統一 低い空間線量を測る方法が統一されていないという問題もあります。一応、原子力安全委員会の「緊急時環境放射線モニタリング指針」というのがありますが、ここに書かれているのは「取説通りに点検してね」「地上1mで大地と平行にして測ってね」「10秒間隔で5回以上測って、平均値を出してね」とあるだけです。では室内ではどうやって測るの?屋上に人が集まる場所ではどうする?などの疑問が出てきます。ただこの最低限のルールも浸透していないので、電源を入れて地面に近いところに置いて1回だけ測り、その数値で騒いでいる例もあります。温度計と同じで、電源を入れたすぐなんて値は不正確なんですけどね。 4、公的な安全値が不明 某大