自殺したワタミの社員は心が弱いのか

※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。

ワタミの女性社員が入社2ヵ月後に自殺した件で、さまざまな議論が起こっていますね。遺族の訴えが認められ労災に認定されたのですが、渡邉美樹社長は残念な出来事としたうえで、「労務管理できていなかったとの認識は、ありません」との見解を示し、批難が集まっています。その一方で「自殺するなら辞めればよかった」「無理やりでも休めばよいだけのことで、自己管理ができていなかった」と自殺者の落ち度を指摘する声もあります。



以前、私もこれら被害者を批判する人達と同じ考えでした。私自身も1ヶ月の残業時間が200時間を越える勤務をしていたことがあり、それが数ヶ月続いたことで体調を壊したことがあるからです。この当時、無理やり月に2日は休みをとっていました。周囲の声や批難を無視して休んでいたわけで、そうしないと体がもたないと思っていたからです。上司から「仕事も終わっていないのに、休みだけは一人前に取る気か」と散々嫌味を言われましたが、自分で休むと決めたら休んでいました。

結局体を壊して会社を辞めるのですが、こういうことが自身にあったので「辛いなら休めばいいんだよ」と思っていました。しかし自殺者の急増というニュースを受けて、自殺に関する本をいくつか読んでいくうちに考え方が変わりました。なぜ会社を辞めるわけでも、無理やり休むわけでもなく、自殺という最悪の手段を選んでしまうのか?それは本人が自殺以外の方法を見つけられなくなっているケースが多いようなのです。

労働を苦にして自殺する人は、強いストレスにさらされていることがほとんどです。仕事をこなさなくてはいけないというプレッシャーや、顧客からの叱責、上司からのプレッシャーなど様々なストレスにさらされ、冷静な判断が下せなくなっているのです。会社を休めば上司から叱責されるので休まないという思考を繰り返している人は、上司からの叱責が最大のストレスとなり自殺して楽になろうと思ってしまうわけです。自殺よりも上司の叱責が恐ろしいことになってしまうんですね。

この時、誰かに相談できれば自殺しなくて済むこともあります。相談相手が冷静であれば、上司の叱責より自殺の方が恐ろしいことだと諭すことができるからです。しかし不幸にも相談できる相手がいないと、自殺して苦しみから逃れるという発想に縛られてしまいます。ではどうして相談できる相手がいないのかというと、相談そのものがストレスになってしまうことがあるようです。家族に相談したくても、家族から大きな期待を背負わされていて期待に背けないとか、社外に友人がいないとか理由はさまざまです。

会社が最大のストレスを作って本人を追い込み、周囲が相談の窓口を締め切る程度のストレスを与えているケースというのは珍しくないようです。ここで断っておきたいのは、今回のワタミの女性社員が両親に相談しなかったのは、このケースだと言いたいわけではないということです。この事件に関して私が知る情報は少ないので、そのような断定はできません。自殺する人の中には、こういうケースがあるという話です。

ワタミの件では、以前から社長が社員に無理強いすることを美徳のように語っていましたので、連日の残業や心理的プレッシャーの高さは想像できます。恐らくプレシャーを与え続けるやり方は、社長が自分にあった少数を集めて始める小規模の会社では有効なのだと思います。しかし社員が3000人(グループ連結)を超えるほどの会社になると、こういう社風に合わない人が出てきて当然です。

日本の経営や製造業の品質管理に最も影響を与えた外国人、エドワード・デミング博士の14原則の中に、以下のような項目があります。

Drive out fear.(恐怖を追い出せ)

社員全員が効率的に働けるように、社員の不安を取り除くこと。上司の恐怖による支配をやめることを説いています。さらには数値管理(今月の営業目標は○○万円みたいなこと)すらやってはならないとしています。デミング博士は日本でもアメリカでも高い成果を残しているのですが、日本でもアメリカでもこの教えは忘れ去られようとしているようです。







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