2018年8月11日土曜日

ヤクザに堕ちた世界チャンプ /渡辺二郎の栄光と挫折

渡辺二郎は、日本のボクシング史に残る名チャンピオンでしたが、今では山口組系暴力団の幹部として名を連ね、警察からもマークされています。日本中を興奮に巻き込み、Jrバンタム級(現在のスーパーフライ級)の歴史を作った渡辺二郎は、なぜヤクザになってしまったのでしょうか。



圧倒的デビュー

22歳でボクシングを始め、24歳でプロデビューという遅いスタートを切ります。大学時代は日本拳法部に所属し、世界大会4位になっています。そのため舞台慣れしており、プロデビュー戦では新人離れした落ち着きと風格で圧勝し、デビュー戦を日本タイトルマッチにしても通用したと言われるほどでした。
※日本拳法はこんな感じの競技です。

デビュー数戦目の試合をテレビの解説席で見ていたガッツ石松氏は、インターバル中の渡渡辺がセコンドの話も上の空で、なにかを気にしていることに気がつきます。首を傾けている渡辺の視線を辿ると、ラウンドガールがロープをまたいでリングから降りるところで、渡辺はミニスカートの中が覗けないかと首を傾けていたわけです。

唖然とするガッツ石松氏の視線に気づいた渡辺は、照れ笑いを浮かべながら会釈しました。ガッツ石松氏自身も含めて、殆どのボクサーはデビューから数戦は恐怖や緊張、興奮のあまり周囲の声さえ聞こえないそうです。しかしデビューしたての渡辺は、まるでベテランのような落ち着きとクレバーさ、そして強打を備えていました。

ハングリーさがないという批判

圧倒的な強さを見せながら、渡辺二郎はボクシング関係者やメディアからの評価は低いままでした。その理由は大学を卒業していたからです。マンガ「あしたのジョー」的世界観が王道のボクシング界では、貧乏人でなければ戦えないと信じられていました。

そんな中に大卒の渡辺は異質な存在で、どんなに勝っても「ハングリーさがない」と批判され続けます。「俺はタイトルに飢えている」と渡辺は事あるごとに口にしますが、メディアは辛辣な記事を多く掲載し続けました。

初の世界挑戦

デビュー2年目にして、渡辺は敵地韓国に乗り込んで世界タイトルに挑戦します。しかし15Rの判定負けで王座獲得に失敗しました。これまで敵地で王座獲得に成功した例はなく、無謀で早すぎる挑戦と言われていました。

やはり渡辺はダメだという声があがり、渡辺は失意の中で帰国します。そしてこの頃から、渡辺は試合のスタイルを明確に変えていきます。ハングリーなスタイルと決別し、その正反対に向かおうとします。



ニカラグアの貴公子に憧れて

渡辺はアレクシス・アルゲリョというニカラグアのボクサーに憧れていました。3階級を圧倒的な強さで制覇し、抜群のテクニックと強打を備えたアルゲリョには優雅さがありました。アルゲリョに憧れた渡辺は、相手がダウンする寸前に追撃をせずに背中を見せてニュートラルコーナーに向かうようになります。倒し切れてなくて背中越しに反撃をもらうこともありましたが、かたくなにこのスタイルは続けました。
※アレクシス・アルゲリョ
さらに8割の力で勝てるとわかれば、8割の力しか出さないで勝つようになります。これはボクシング界に不評でしたが、貧乏人のハングリーさを唯一絶対の価値としてとらえがちなボクシング界へのアンチテーゼだったと思われます。渡辺は闘争心剥き出しというより、クレバーさを前面に押し出したボクシングでついに世界タイトルを奪取しました。

統一戦の実現

WBAJrバンタム級王者となり、強敵を次々に撃破していくと強敵がいなくなってしまいました。渡辺はさらなる強敵を求めて、WBC王者との統一選を望みます。パヤオ・プーンタラット(タイ)は、当時のJrバンタム級最強と目されていて、渡辺は自身が最強であることを証明するために対戦を熱望しました。しかし当時のWBAは15回戦なのに対し、WBCは12回戦というルールの違いがありました。パヤオ戦のリングに上がった瞬間に、渡辺のタイトルを剥奪するというWBAの勧告を無視して渡辺はパヤオとの対戦に挑みました。負ければ全てを失う試合です。

「足がのうなったら、どつきあいや!」

戦前に渡辺は珍しく熱くなっていました。そして大観衆が見守る中、苦しみながらパヤオに判定で勝利します。さらにダイレクト・リマッチが組まれ、パヤオを11ラウンドにKOすると、誰もが渡辺二郎を最強のJrバンタム級王者と認めるようになりました。ハングリーではないと不当な評価を受けていた渡辺が、自らの拳で自分を認めさせたのです。


王座陥落

1986年、渡辺の通算12回目の防衛線の相手はヒルベルト・ローマン(メキシコ)でした。静かな展開でスコアが読みにくく、僅差の展開が続きました。10ラウンドが終了した時点で、渡辺はセコンドにポイント差を確認します。「2ポイントは勝ってる」と言われた渡辺は、残りのラウンドを流して試合を終えました。いつも通り、8割りの力で勝てる相手には8割りの力で勝つスタイルです。

「勝者、ローマン」

リングアナウンサーが告げた時、会場は静まり返りました。リング上では渡辺とセコンドが揉めています。渡辺は余力を残して負けました。「ポイントで負けているとわかっていれば、残りのラウンドは倒しにいけた」という渡辺と、ポイントを気にせず全力で行けば勝ててたと主張するジム側との間に深刻な亀裂が生まれます。

転落の始まり

渡辺には悔いが残り、さらに全力で戦わなかったことへの批判が渦巻きました。渡辺の王座統一によって沈黙していた批判派は、ここぞとばかりに渡辺を批判し、ジムとも仲たがいしてしまいました。そんな時に渡辺を支えてくれたのが、その筋の人達だったようです。
※逮捕される渡辺二郎
ボクシングを諦めきれなかった渡辺は5年間も引退を宣言しませんでした。91年に引退を表明するとタレント活動を始めますが、95年に恐喝で逮捕、99年には自動小銃の売買に絡んで銃刀法違反で逮捕され実刑判決を受けます。この頃には大阪府警は渡辺二郎は暴力団の構成員と見ていたそうです。

2007年には再び脅迫罪、そしてタレントの羽賀研二の詐欺事件に絡んで逮捕されています。2012年にも詐欺容疑で逮捕されています。今では暴力団の構成員として立派な顔になっていて、ボクサーだった頃の面影はありません。

まとめ

ヤクザになった経緯には本人の資質もあったでしょう。しかし渡辺二郎が不当に低い評価をされていたのも事実で、全力を出し切らないスタイルも不当な評価がなければ違ったスタイルになっていたでしょう。クレバーすぎて盛り上がりに欠ける試合が多かったですが、パヤオとの2連戦は本当に痺れる試合でした。渡辺が剥奪されたWBAタイトルの王者決定戦で勝利したのが、19回も王座を防衛して歴史に名を刻んだカオサイ・ギャラクシー(タイ)でした。カオサイは、渡辺と試合ができなかったことが心残りと繰り返し、後にエキシビションマッチで対戦が実現します。

あまりに残念な転身で、あまりに大きな損失のように感じます。現在の渡辺二郎は反社会的な人物であり、許されない行為を繰り返しています。一方でボクサーとして逆境の中でも真摯にボクシングに取り組み、大きな足跡を残した人物として私の記憶には残り続けています。









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