戦えない井岡一翔のモチベーションは戻るのだろうか

ボクサーの井岡一翔が11月8日、WBAフライ級王座を返上しました。まだ28歳という若さもあり今後が期待されるのですが、ジムの会長である父親の井岡一法氏は、返上の理由として井岡一翔のモチベーションの低下を口にしています。


輝かしい実績に反比例して、井岡の評価は下降線を辿っていました。そこに王座返上の原因があるかもしれません。数年前は最強の王者と呼ばれていた井岡に何があったのでしょうか。


関連記事

最短で3階級制覇

元プロボクサーの井岡一法を父に持ち、ストロー級世界王者で天才と呼ばれた井岡弘樹を叔父に持つサラブレッドとして、井岡一翔は早い時期から注目されていました。高校ではアマチュア6冠を達成し、オリンピックでも活躍を期待されていましたが、東京農業大学在籍中の全日本選手権決勝でわずか1ポイント差で負けて北京五輪の切符を逃しています。オリンピックという目標が消えたことからプロになる決意をし、大学を中退してプロボクサーとしてデビューしました。

デビュー戦から圧巻の強さを見せつけ、デビュー6戦目で日本王者になると、7戦目でWBCミニマム級世界王者のオーレイドン・シスサマーチャイに挑戦し、2Rと5Rにダウンを奪い世界王座に就きました。その王座を2度防衛すると、WBA世界王者の八重樫東と王座統一戦を行い、そこで勝利してミニマム級統一王者になります。ミニマム級最強を証明した井岡は両団体のベルトを返上し、ライトフライ級に転向すると、ホセ・アルフレド・ロドリゲスとWBAライトフライ級王座決定戦を戦い、6RTKOで2階級制覇を実現しました。

ライトフライ級王座を3度防衛した後、今度はフライ級への挑戦を決め、IBFフライ級王者のアムナット・ルエンロンに挑みますが、この時は僅差の判定で初の敗戦を経験しました。その後、2試合を挟んでからWBA世界王者のファン・カルロス・レベコに挑戦し、18戦目で3階級制覇の最短記録を樹立しました。以前から井岡は4階級制覇を公言していたので、次はスーパーフライ級への転向が期待されていました。


逃げる井岡という評価

ライトフライ級への転向後に、ちょっとしたゴタゴタがありました。すでにWBAライトフライ級王者になっていた井岡と、WBAライトフライ級のスーパー王者に認定されていたローマン・ゴンザレス(以下ロマゴン)で試合をするように、WBAから通達を受けたのです。少しわかりにくいのですが、WBAは世界王者になったボクサーが、他団体の世界王者に勝利すると世界王者ではなくスーパー王者に格上げして、世界王座を空位にしていました。しかしロマゴンに関してWBAは、ライトフライ級世界王座を5回防衛した時点でスーパー王者に認定しており、それによって空位になったWBA世界王座決定戦に出場した井岡が世界王者になったのです。

※ファンが最も望んだゴンザレスとの試合は流れました。

世界王者をスーパー王者に認定し、世界王座が空位になったから王座決定戦を行うという流れは意味不明ですし、世界戦を増やして王座を乱造するWBAの態度は以前から問題視されていました。これではライトフライ級最強がロマゴンなのか井岡なのかわかりません。そのためロマゴンは王座決定戦の勝者と試合をしたいと以前から言っていました。ロマゴンと井岡との対戦は、ファンの望みでもありロマゴン側から言い出したことでもあったのです。

しかし井岡側は当初からロマゴンとの試合に消極的で、交渉によりファイトマネーの割合まで決まったところで試合の入札の中止を言い出しました。ジムの会長の井岡一法氏は準備期間が短いこと、ロマゴン側がラスベガスでの開催を希望したことを理由に挙げましたが、ロマゴンとの試合を熱望していたファンは大きく失望しました。当時のロマゴンはパウンド・フォー・パウンド(全選手が同一階級と仮定した場合最強のボクサー)で1位に君臨する最強のボクサーだったため、井岡が逃げたとまことしやかにささやかれるようになってしまいました。

さらにローマン・ゴンザレス戦の前にもアルベルト・ロッセルという選手との試合を回避したことがあり、一部のファンから井岡は強豪から逃げ回っていると言われるようになりました。

スタイルの問題

強豪を避けていると言われる井岡の防衛線の相手は、下位ランカーが中心になります。井岡は打ってくる相手にカウンターを合わせて距離を取り、確実にポイントを取るボクシングをするので、格下すら倒せないと評価されるようになりました。

さらに悪いのは、ミニマム級の頃は果敢な打ち合いを挑んで、相手を倒していました。そのためライトフライ級に上がってからは、強豪から逃げて試合も面白く無くなったと言われるようになります。

なぜスタイルは変わったか?

階級を上げるとともに、パンチ力の低下が目立つようになりました。力負けしている場面もあり、ミニマム級では力強いボクサーファイターでしたが、フライ級では非力なボクサーになっています。これには2つの可能性があります。

1つは井岡の適正階級がミニマム級だということ。もう1つは、今の井岡の体はフライ級でも軽すぎて減量苦が激しく、もっと上の階級が合っている可能性です。真相は本人にしかわかりませんが、かつてのミニマム級で見せた打撃戦をフライ級で行うのは自殺行為に見えるほど、かつての力強さは失われています。

パワー負けする中であっても、井岡は卓越したボクシングセンスがあり、アウトボクシングも巧みにできるボクサーなので、カウンターを中心にした離れて戦う戦術をとるのは当然のことです。

ジムと思惑の違いはないか

井岡は「レジェンドになりたい」「本物のチャンピオンは1人だけ」「4階級を制覇する」と、ビッグマウスを連発してきました。ミニマム級時代は圧倒的な強さと、時折見せる無邪気な笑顔で、ビッグマウスは肯定的に捉えられてきました。

しかしレジェンドになるにしては、強豪を避けて格下相手の試合が目立ち、発言とのギャップが目立つようになりました。ローマン・ゴンザレスとの試合が流れてからは、特に批判が強まりました。タイトルより強い相手と戦いたいと言い、ランキング上位者を片っ端から指名して試合を続ける井上尚弥とは対極的な印象です。

※アメリカでも評価が高い井上尚弥

気になるのは、なるべく戦いやすい相手を選んでベルトを集める現在の井岡の戦略が、井岡本人が望んでいるのかということです。本人の意に反してジムやテレビ局が主導している可能性もあります。ボクシングの試合は興行でもあるので、選手一人の意志では決められないのです。

タイトルか名誉か

かつてのボクシングでは、世界チャンピオンが世界一の座でしたし名誉も栄誉もありました。しかし世界王座が乱立する現在では、それが揺らいでいます。90年代までは、いくつのベルトを手に入れるかが競われていました。有望選手は同階級の中で最も勝てる可能性が高い相手を選んで試合をし、王者になるとすぐに上の階級に転向して、再び最も勝てる可能性がある世界王者に挑むことを繰り返していました。

しかしフィリピンのマニー・パッキャオは、ファイトマネーが高くなる対戦を優先し、世界王座にも階級にもこだわりませんでした。ファイトマネーが高い試合というのは、ファンが見たい対戦であり、そのためノンタイトル戦が全米の注目を集めるビッグマッチになることもありました。2008年12月に、パッキャオはミドル級も制したSウェルター級のオスカー・デ・ラ・ホーヤとノンタイトル戦を行い、大きな注目を集めました。現在では、世界タイトル戦でなければ盛り上がらないという定説も覆っています。

※マニー・パッキャオ


井岡が行っているのは、90年代までに盛んだったベルトコレクションです。最も勝てる可能性が高い相手を選んで、3階級制覇をしました。ボクシングファンは井岡の対戦相手選びに不満を持ち、さらに試合内容が面白くないために評価を下げることになっています。

TBSの放送スタイル

強豪を避けて格下を指名する井岡の試合を、TBSは長い長い煽りVTRを作成して最強の挑戦者に仕立て上げてきました。情報が極端に少ない時代ならともかく、ネットで簡単に対戦者の情報が得られる現代では、あっという間に見抜かれてしまいます。この過剰な煽りが逆に試合を盛り下げる原因になっていると指摘する人もいます。

まとめ

野心に溢れる井岡がベルトコレクションのために、楽な相手を望んでいるとは思いにくいのです。しかしお父さんで会長の井岡一法氏やTBSなどの意向で、勝てる相手との試合を行っているような気がしてなりません。その結果、タイトルは獲れたし輝かしい実績も残しましたが、批判されるようになったことがモチベーションの低下に繋がっているのではないでしょうか。もちろん私の勝手な想像なので、事実とは全く異なっているかもしれません。しかし才能あるボクサーが病気や怪我でもないのに、リングを離れるのは寂し区思います。


関連記事
ファンにもわかりづらくなったボクシングの判定 /重要になる解説の役目
体重オーバーはアンフェア /山中慎介の敗北
早すぎるストップは遅すぎるストップより良い /ボクシングの話
ヤクザに堕ちた世界チャンプ /渡辺二郎の栄光と挫折
竹原慎二 /日本最強のミドル級チャンピオン
エディ・タウンゼント /日本のボクシングを変えた名伯楽
亀田裁判と日本ボクシングコミッションの闇

コメント

このブログの人気の投稿

アイルトン・セナはなぜ死んだのか

私が見た最悪のボクシング /ジェラルド・マクレランの悲劇

はじめの一歩のボクシング技は本当に存在するのか?

バンドの人間関係か戦略か /バンドメイドの不仲説

鴨川つばめという漫画界の闇 /マカロニほうれん荘の革命