かつて韓国はボクシング大国だった /衰退した現在
かつて韓国はボクシングが盛んで、世界王者を何人も輩出していました。ところが90年代から大きく失速していき、現在は韓国のボクシングは衰退の一途をたどっています。80年代の黄金期から何があったのか、日本人選手の壁として君臨していた韓国ボクシングを振り返ります。
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・体重オーバーはアンフェア /山中慎介の敗北
・戦えない井岡一翔のモチベーションは戻るのだろうか
・衝撃のKO劇 /井上尚弥の強さとは
・復活した村田諒太 /衝撃のKO勝利の要因は?
・亀田裁判と日本ボクシングコミッションの闇
80年代には歴史に名を残す名王者を輩出するようになります。韓国の鷹と呼ばれたJrフライ級の張正九(チャン・ジョング)、Jrフライ級王座を17度防衛に成功した柳明佑(ユウ・ミョンウ)などは、日本でも高い人気を誇りました。また軽量級しか世界王者を輩出できないと言われてきましたが、白仁鉄(ペグ・インチョル)がスーパー・ミドル級王座に就き、重量級でも世界レベルにあることを証明しました。
もちろんテクニシャンやハードパンチャーもいました。上記の柳明佑(ユウ・ミョンウ)は、ソナギ(夕立)と呼ばれるラッシュで勝利をもぎ取っていましたが、柳に挑戦した3人の日本人、小宮山カツミ、徳島尚、大鵬健文は全てボディブローで仕留められていました。この3人を送り込んだジョー小泉氏は悔しさのあまり柳に「あのボディブローには秘密があるのか?」と質問したそうです。すると柳は「多くの選手は相手がパンチを打つと同時にボディを狙うが、私は打ち終わりを狙っている」と説明したそうです。
今でこそパンチの打ち終わりを狙うのは当たり前ですが、当時はかなり珍しいことでした。相手が右ストレートを打つ瞬間は全身に力が入っているうえ、体を捩っているので左ボディフックは斜めに当たります。しかし右ストレートを打った後なら力が抜けているうえに、パンチがお腹の正面に入るので威力が倍増します。柳の説明に小泉氏は感嘆したと言っていました。韓国ではスタミナに任せてパンチを出し続ける選手が主流でしたが、このようなテクニックを駆使するボクサーもいたのです。
韓国国民の怒りは深く、大統領を騙したと批判が殺到し、警察はプロモーターだけでなく替え玉になった挑戦者を詐欺容疑で逮捕しました。この試合は無効になり、権の王座は動かなかったのですが、権は国内で激しい批判を受けました。しかし権も挑戦者が替え玉だとは知らず、彼も被害者の一人だったと言えるでしょう。こうした出来事は、ボクシングのアジアの盟主だった韓国に暗い影を落としました。
2002年に日韓ワールドカップが開催されると、もともと人気が高かったサッカーへの関心が、さらに高まります。ワールドカップでベスト4にまで進むと、その人気は社会現象となり、国民的な関心ごとになりました。サッカー、特に代表選は多くの観客を集めるようになり、他のスポーツ人気を圧倒するようになりました。上記の暗い影に加えて統括団体で不祥事が相次いだボクシングは人気をひそめ、野球やサッカーに人気が向いたようです。こうしてボクシング人気は低迷しました。
日本人ボクサーにとって、地理的に近い韓国からは選手を呼びやすく、タフな選手が多いので世界王座を目指す選手は韓国選手と対戦していました。そういう相手がいなくなってしまったのは、日本のボクサーにとっても不幸なことだと思います。韓国から選手が呼びにくくなった現在、日本のプロモーターは東南アジアから選手を呼ぶことが多いようです。
これによりKBCの運営資金は底をつき、家賃を滞納し、職員の給与も未払いになっていることが発覚し、さらに事故にあった選手のための基金も使い込まれていることがわかり、韓国世論は前執行部を糾弾するようになりました。この騒動で新執行部主導でKBCが運営するようになりますが、人気低迷に加えて内紛騒動とイメージダウンは必至の状態で、前途多難な運営が行われています。
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韓国ボクシングの全盛期
韓国ボクシングの人気は、1966年に金基洙(キム・キス)が、韓国初の世界王者になってから始まります。それ以降、数々の王者を輩出してきました。貧しくても始められるスポーツであり、世界王者になると大統領から祝福の電話が入る栄誉もありました。ボクシング世界王者は、国民から祝福を受ける英雄になれたのです。※張正九 |
80年代には歴史に名を残す名王者を輩出するようになります。韓国の鷹と呼ばれたJrフライ級の張正九(チャン・ジョング)、Jrフライ級王座を17度防衛に成功した柳明佑(ユウ・ミョンウ)などは、日本でも高い人気を誇りました。また軽量級しか世界王者を輩出できないと言われてきましたが、白仁鉄(ペグ・インチョル)がスーパー・ミドル級王座に就き、重量級でも世界レベルにあることを証明しました。
韓国ボクサーの特徴
韓国ではテクニックよりも根性論で指導が行われていたため、とにかく我慢強い選手が多くいました。パンチ力もテクニックもなくとも、打たれても打たれても前に出る選手が多く、根競べのような試合が多く見られました。無尽蔵のスタミナを持つ選手が多く、勝利への執念が強かったので、迫力負けする日本人選手もいました。もちろんテクニシャンやハードパンチャーもいました。上記の柳明佑(ユウ・ミョンウ)は、ソナギ(夕立)と呼ばれるラッシュで勝利をもぎ取っていましたが、柳に挑戦した3人の日本人、小宮山カツミ、徳島尚、大鵬健文は全てボディブローで仕留められていました。この3人を送り込んだジョー小泉氏は悔しさのあまり柳に「あのボディブローには秘密があるのか?」と質問したそうです。すると柳は「多くの選手は相手がパンチを打つと同時にボディを狙うが、私は打ち終わりを狙っている」と説明したそうです。
※柳明佑 |
今でこそパンチの打ち終わりを狙うのは当たり前ですが、当時はかなり珍しいことでした。相手が右ストレートを打つ瞬間は全身に力が入っているうえ、体を捩っているので左ボディフックは斜めに当たります。しかし右ストレートを打った後なら力が抜けているうえに、パンチがお腹の正面に入るので威力が倍増します。柳の説明に小泉氏は感嘆したと言っていました。韓国ではスタミナに任せてパンチを出し続ける選手が主流でしたが、このようなテクニックを駆使するボクサーもいたのです。
暗い影を落としたできごと
82年にラスベガスで行われたWBAライト級タイトルマッチで、王者レイ・ブンブン・マンシーニに韓国の金得九(キム・ドゥック)が挑みました。激しい打撃戦を展開し、14RにマンシーニのKOで決着がつきますが、金得九はリングの上で意識を失い病院に搬送されます。開頭手術が行われますが激しい脳内出血のため意識が戻らず、そのまま亡くなってしまいました。金得九の死を悲観した母親が後追い自殺をし、ストップが遅すぎたと批判されたレフリーのリチャード・グリーネも自殺しました。この事件は世界戦を15回戦から12回戦に短縮するきっかけになりました。この事件の詳細は以下の記事にも書いています。関連記事:私が見た最悪のボクシング2 /マンシーニVS金得九
国際ボクシング機構(IBF)が設立され韓国が参入すると、軽量級の王者は韓国が独占するようになります。その一人、IBF世界スーパーフライ級王者の権順天(クォン・スンチュン)の防衛戦が84年に行われました。権のKO勝利で王座を防衛し、大統領からも祝福の電話を受けたのですが、挑戦者が替え玉で全くの別人だったことが発覚しました。挑戦者に断られたため、全くの別人を名前を偽って呼び寄せたもので、プロモーターはライセンスの永久剥奪になりました。
※リングで意識を失った金得九 |
国際ボクシング機構(IBF)が設立され韓国が参入すると、軽量級の王者は韓国が独占するようになります。その一人、IBF世界スーパーフライ級王者の権順天(クォン・スンチュン)の防衛戦が84年に行われました。権のKO勝利で王座を防衛し、大統領からも祝福の電話を受けたのですが、挑戦者が替え玉で全くの別人だったことが発覚しました。挑戦者に断られたため、全くの別人を名前を偽って呼び寄せたもので、プロモーターはライセンスの永久剥奪になりました。
韓国国民の怒りは深く、大統領を騙したと批判が殺到し、警察はプロモーターだけでなく替え玉になった挑戦者を詐欺容疑で逮捕しました。この試合は無効になり、権の王座は動かなかったのですが、権は国内で激しい批判を受けました。しかし権も挑戦者が替え玉だとは知らず、彼も被害者の一人だったと言えるでしょう。こうした出来事は、ボクシングのアジアの盟主だった韓国に暗い影を落としました。
他の競技の人気
82年に韓国ではプロ野球リーグが始まると、あまりの人気にチケットを求めて暴動が起こるありさまで、その後も人気は上昇を続けます。6球団で始まったプロ野球リーグは8球団になり、観客動員数が年間で100万人を超える球団も出てきました。韓国の野球選手は日本のプロ野球、アメリカのメジャーリーグにも進出して高い関心と注目を集めますが、2002年には観客動員数が全リーグで200万にちょっとまで落ち込みます。その原因はサッカー人気でした。※2002年ワールドカップ |
2002年に日韓ワールドカップが開催されると、もともと人気が高かったサッカーへの関心が、さらに高まります。ワールドカップでベスト4にまで進むと、その人気は社会現象となり、国民的な関心ごとになりました。サッカー、特に代表選は多くの観客を集めるようになり、他のスポーツ人気を圧倒するようになりました。上記の暗い影に加えて統括団体で不祥事が相次いだボクシングは人気をひそめ、野球やサッカーに人気が向いたようです。こうしてボクシング人気は低迷しました。
韓国ボクシングの衰退で変わったこと
日本では日本王座に就くと、世界王座を目指すか東洋太平洋王座を目指す選手が多くいました。東洋太平洋タイトルを目指すということは、韓国選手との対戦が出てくるということであり、日本にとっては韓国の壁を乗り越えなくてはならなかったのです。しかし韓国ボクシングが衰退すると、階級によっては「日本王座を目指すより、東洋太平洋タイトルを目指す方が簡単」などと言われるようになり、アジアの勢力図が大きく変わってしまいました。日本人ボクサーにとって、地理的に近い韓国からは選手を呼びやすく、タフな選手が多いので世界王座を目指す選手は韓国選手と対戦していました。そういう相手がいなくなってしまったのは、日本のボクサーにとっても不幸なことだと思います。韓国から選手が呼びにくくなった現在、日本のプロモーターは東南アジアから選手を呼ぶことが多いようです。
韓国ボクシング委員会の内紛
2010年に韓国のプロボクシングを統括する韓国ボクシング委員会(KBC)で、内紛騒動が起こりました。KBCの運営に反発する反対派が新執行部を設立して、執行部を激しく糾弾したのです。反対派の代表は上記の柳明佑と二階級を制覇した洪秀煥(ホン・スファン)で、KBC執行部は反対派を横領や名誉棄損で訴えて法廷闘争になります。前執行部と新執行部の争いは激化し、ついに新執行部がKBCの事務所を占拠する実力行使に発展しました。これによりKBCの運営資金は底をつき、家賃を滞納し、職員の給与も未払いになっていることが発覚し、さらに事故にあった選手のための基金も使い込まれていることがわかり、韓国世論は前執行部を糾弾するようになりました。この騒動で新執行部主導でKBCが運営するようになりますが、人気低迷に加えて内紛騒動とイメージダウンは必至の状態で、前途多難な運営が行われています。
まとめ
かつて韓国ボクシングは全盛期がありました。アジアの強豪国として君臨し、何人もの名王者を輩出していました。しかし現在では人気が低迷し、サッカーや野球の陰に隠れてしまっています。不正や事故が重なり、さらに近年では統括団体の内紛と、あまり良いニュースが聞こえてきません。かつて日本のリングで何度も見られた、ボロボロになりながらも前進するコリアンファイターと、それを迎え撃つ日本人ボクサーの対戦は楽しみでした。もう、あのような熱い試合が見られないのは、少し残念です。ボクシング関連記事
・私が見た最悪のボクシング2 /マンシーニVS金得九
・竹原慎二 /日本最強のミドル級チャンピオン
・かつて韓国はボクシング大国だった /衰退した現在
・エディ・タウンゼント /日本のボクシングを変えた名伯楽
・体重オーバーはアンフェア /山中慎介の敗北
・戦えない井岡一翔のモチベーションは戻るのだろうか
・衝撃のKO劇 /井上尚弥の強さとは
・復活した村田諒太 /衝撃のKO勝利の要因は?
・亀田裁判と日本ボクシングコミッションの闇
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