プロボクサーの懐事情を考える /バイトなしのボクサー生活

一時期は日本人の世界王者が10人を超えたボクシング界ですが、これだけの世界王者を生むとさぞ潤っているような印象を受けます。しかし現実には厳しい状態が続いていて、ボクサーも生活するので精一杯なんてこともあります。日本にボクシングだけで食べていけるボクサーは、何人いるのでしょうか?世界王者になってもバイトを辞められない、ボクシングの世界を考えてみたいと思います。



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ファイトマネーの基礎知識

ファイトマネーは試合を行うことでもらえるお金です。しばしば勘違いされていますが、試合をすればもらえるので、勝っても負けても金額は同じです。これはボクシングの試合が興行として収益を上げるシステムになっているからです。俳優の出演料みたいなもので、興行成績が悪い(つまりヒットしない)から出演料が減額されることがないのと同じで、ボクサーも勝とうが負けようが、お客さんが入らず会場がガラガラだろうが、ファイトマネーは試合前に決められた額をもらうことができるのです。



ではファイトマネーの額はどうやって決まるのかと言うと、ボクサーの人気で決まります。選手にはランクがありファイトマネーの最低額が決められていますが、高額のファイトマネーを得るには人気が高くないといけません。簡単に言うと、会場に何人お客さんを呼べるか、テレビ放送の視聴率で何%とれるかでファイトマネーが決まるのです。そのためチャンピオンより挑戦者の方がファイトマネーが高いことも稀に起こります。

1988年11月7日、Lヘビー級王者のドニー・ラロンデが挑戦者のシュガー・レイ・レナードを迎えてのタイトルマッチでは、レナードが高額なファイトマネーを約束されたにも関わらず、王者ラロンデのファイトマネーが低いことで話題になりました。中量級のスーパースターで5階級制覇が掛かっているレナードと、パッとせずに名前も売れていないラロンデでは集客力に雲泥の差があったため、ファイトマネーに大きな差がついたのです。

※井上尚弥

井上尚弥のファイトマネーは、今や数億円とも言われています。なぜそんなに高いのかというと、数万人の観客を呼べる集客力に加えてテレビの視聴率も好調で、さらに海外に試合の放映権を売れるからです。井上尚弥はアメリカやヨーロッパを始め、その人気は世界的なものになっています。そのため井上尚弥の試合には大きなお金が集まるので、高いファイトマネーを得ることが可能になっています。

下位選手のファイトマネー

人気だけでファイトマネーが決まるとなると、デビューしたばかりのボクサーは収入がなくなってしまいます。そのため最低限のファイトマネーが決められています。例えばデビューしたばかりの4回戦の選手のファイトマネーは6万円と決められています。

ここからジムがマネジメント料の33%を差し引くので、4万円に満たない額が選手に渡ることになります。そしてファイトマネーの渡し方ですが、ジムによって異なります。全額を現金で渡すジムは少数派で、多くのジムは試合のチケットで渡します。全額チケットなのか半分をチケットで渡すのかもジムによりさまざまなで、選手はチケットを売って現金を得ています。



もちろん6万円というのは最低額で、人気さえあればもっと多くの額を貰えます。例えばオリンピック金メダリストの村田諒太は、プロデビューに大きな注目が集まりテレビでも放送されたので、デビュー戦のファイトマネーは1000万円だったと言われています。しかし村田は例外的な存在で、ほとんどの選手が6万円のファイトマネーから始めています。

※村田諒太


B級ライセンスになり6回戦を戦うようになると10万円、A級ライセンスで8回戦を戦うようになって15万円程度のファイトマネーが入ります。15万円からマネジメント料の33%を引かれると10万円程度なので、毎月試合をしてもボクシングだけでは食べていけないことになります。さらに試合を終えて怪我で病院に行くことになると、収支がマイナスになることも珍しくありません。

日本タイトルマッチになると、もう少し身入りは良くなります。しかしここでは人気でファイトマネーが決まるので、1試合で数百万円の場合もあれば30万円くらいということもあります。多くのボクサーは日本王者になっても、アルバイトを続けなくては生活することは出来ないのです。

世界王者も千差万別

ここ数年、日本人の世界王者は何人も誕生しました。しかし世間にその名前を知られているボクサーは、わずかしかいません。井上尚弥、村田諒太は多くの人に知られていますが、それ以外のボクサーはどうでしょうか?世界王者になっても試合がテレビ中継されない選手もいますし、世界戦が後楽園ホールのような小さな箱でしか行えない選手もいます。そういう世界王者のファイトマネーはいくらぐらいなのでしょうか?

テレビの放映権料が入らず、小さな会場の入場料だけで挑戦者のファイトマネーやレフリーやジャッジにかかる費用、会場使用料など諸々の経費を差し引くと、良くても数百万円、下手をすると数十万円なんてこともあり得るのです。つまり世界王者になってもアルバイトをしなくては、生活できないという現実があります。

世界王者と言っても井上尚弥のように、1試合で数億円を受け取る選手もいれば、アルバイトをしなくては生活できない選手がいます。ボクシングは勝者一人占めの世界と言われますが、そんなことはありません。人気者が一人占めすること世界なのです。実力だけでのし上がれると言われますが、実力に加えて人気がなければならない世界です。

ボクサーの人気とはなにか

その人の試合を見たいか、というのに尽きると思います。全戦全勝の世界王者でも、毎回グダグダのしょっぱい試合を繰り返し、見た後にスッキリしないボクサーの試合にお金を払いたいと思うでしょうか?ボクサーには実力が求められますが、同じくらい人気が求められます。

ここ10年で最も稼いだボクサー、フロイド・メイウェザーJrは、当初は好青年で堅実なボクシングをするボクサーでした。しかし世界王者になっても人気はパッとせず、その他大勢のチャンピオンの1人に過ぎませんでした。そこからキャラを大きく変えて、全米の話題を独占するようになります。

彼は悪役に徹するようになり、対戦相手を徹底的にバカにして記者会見で札束をばら撒くなどの派手なパフォーマンスを行うようになりました。高級車や現金を見せびらかして回り、記者に対してもおちょくるような言動をとるようになりました。当然批判が集中しますが、それでもメイは勝ち続けます。さらに彼にボクシングを教えていた叔父のロジャー・メイウェザーが重度のパンチドランカーになると、徹底的に打ち合いを避けるようになりました。

※フロイド・メイウェザー・ジュニア


相手を倒せる余裕があっても安全運転に徹底し、あえて倒さないで判定で勝利を手にします。見ている人のフラストレーションはマックスになり、誰もが生意気なメイが倒されることを期待するようになりました。その神経を逆撫でするようにメイは傍若無人な発言を繰り返し、いつの間にかメイの試合は最も多くの人が観戦する試合になっていきました。その結果、ファイトマネーは1試合で100億円を超えるようになり、世界で最も稼ぐ選手になったのです。

日本でも亀田兄弟が、試合前に相手を侮辱するような発言を連発したり、減量苦の対戦相手の前でフライドチキンを食べたりするパフォーマンスを繰り返して批判を受けました。これらのパフォーマンスは、試合を盛り上げて自分に世間の注目を集める手段として昔から行われてきたことで、亀田兄弟が特別というわけではありませんでした。しかしボクシングを亀田兄弟で初めて見る人たちが驚き、過剰な反応を起こして亀田兄弟は日本中から批判を集めることになりました。



どんな形であっても、まず注目を集めなければ試合を見てもらえず、見てもらえなければファイトマネーが一向に上がらないという現実があります。そのため相手を挑発するような過激なパフォーマンスは、昔からずっと存在します。

ボクサーにとっての2000万円

以前、元プロボクサーの方と話したことがありますが、プロボクサーで1000万円のファイトマネーともなれば恵まれた方になりますが、同世代のサラリーマンに比べると生活は厳しいと言っていました。

年2試合をして2000万円の収入で、ジムにマネジメント料を払って残るのは1300万円ぐらいです。そこからキャンプ費用、医療費、マッサージ代などを払い、人によってはスパーリングパートナーがいなくて海外から呼んだりすると、残るお金はわずかになってしまい、税金を引かれると食べていくのがやっとという状態になるそうです。

※若き日の大橋秀行


ボクサーは生命保険も条件が多くつき、住宅ローンも組めないので、サラリーマンよりはるかに厳しい生活になっていきます。何ヶ月も体が壊れるような辛いトレーニングに耐え抜き、気が変になりそうな苦しい減量に耐え、一晩に500発も殴られる割には、利益が少ない仕事といえます。井上尚弥が所属する大橋ジムの大橋秀行会長は、現役の時にテレ朝の女子アナから「なぜそこまでしてボクシングをするんですか?お金のためですか?」と質問されて大笑いしていました。

「お金のためなら、もっと違うことやりますよ!」

プロボクサーはお金以外の理由がなければ、続けることが難しい職業と言えるでしょう。

まとめ

ほんの一握りの例外を除けば、プロボクサーとして生計を立てるのは難しいのが現状です。体を壊すリスクが高く、将来の保証がないどころか、世界王者になっても生活は安定しません。それでもリングにしか生きられない男たちがいて、そこで命を削るような戦いが行われるからボクシングには美しさがあるのだと思います。

ボクシングライターの佐瀬稔氏が著書「彼らの誇りと勇気について」で、現代のボクサーのことを書いていました。かつてのヘビー王者ジョー・フレイジャーは貧乏な家庭に生まれ、幼少期から働き続けて家族の生活を支えていました。そんなフレイジャーがボクシングに出会い、世界王者にまで登り詰めていきます。一方で現代の日本のジムでは、なに不自由なく育った若者が1万円の月謝を払って汗を流しています。佐瀬稔氏は、フレイジャーよりもむしろ日本の若者に希望を見ていました。

フレイジャーは貧困から抜け出すにはボクシングしかなかったが、平成の若者はボクシングは必要なものではない。月謝の1万円で酒を飲むことも服を買うことも、友人と遊びに行くこともできるのに、彼らはジムで汗を流し続ける。まだそんな若者がいることに、佐瀬稔氏は希望を感じたのです。現代のボクシングの美しさは、そういうところにあると私も思います。


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