20世紀末の事件簿 /大事件が続いた世紀末
令和に入り凶悪事件や大事件が続いています。これを新時代の不吉な幕開けのように語る人もいますが、個人的には20世紀末の90年代も事件続きで不気味な空気が流れていたことを思い出します。ノストラダムスの予言じゃないですが、1999年までには世の中がおかしくなるんじゃないかと、多くの人が思っていました。そんな世紀末の事件を振り返ってみたいと思います。
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この頃、友人の家にオートバイで向かう途中に横田基地の横を通ると、いつもは閑散としている横田基地に多くの兵士がいて、さまざまな物資を移動していました。開戦が近い雰囲気を感じました。結果的に戦争には至りませんでしたが、一歩手前ぐらいのところまで戦争が近づいた時期だったと思います。
さらに海外からはルワンダでの大虐殺のニュースが届きます。100日間で100万人が殺されることになったこの事件では、ニュースが届くたびに子供を含む大勢の虐殺が報じられて嫌な気持ちになったものです。
北朝鮮の核開発疑惑が落ち着いたものの、最高指導者である金日成の死去が報じられると、北朝鮮の体制崩壊で内戦が起こる可能性が指摘され、朝鮮半島は再び落ち着かなくなりました。アメリカではメジャーリーグが大規模ストライキに入り、日本人メジャーリーガーの野茂英雄の動向が報じられ、年末にはロシアでチェチェン内戦が報じられました。
阪神淡路大震災の傷跡が大きく残る3月に、地下鉄サリン事件が発生します。都内は大混乱になり、多くの死傷者を出しただけでなく、第2波の攻撃が噂され、犯人と目されるオウム真理教への警戒感がピークに達しました。さらに10日後に警察庁長官の国松孝次が銃撃されると、国の治安への不安が一気に高まりました。
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地下鉄サリン事件が起こった日/麻原彰晃死刑囚の執行
この年は国内ではオウム真理教のニュース一色になり、北海道で起こったハイジャック 事件でも教組の麻原彰晃の解放を犯人が要求しているとの情報が飛び交いました。海外ではオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件もあり、テロの脅威が話題になり、国内では漫画「ドラゴンボール」の連載が終わったことも話題でした。そしてWindows95の発売で、秋葉原に徹夜して並ぶ人たちの姿も話題になりました。
そして9月に沖縄で起こった、米兵による少女暴行事件は全国的な批判運動に広がり、今日の普天間基地移設につながります。
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また2月には厚生省が、薬害エイズに関して責任を認めました。菅直人大臣が責任を認める発言も謝罪を行い、薬害エイズ訴訟に大きな進展がありました。同時に製薬会社と国がエイズの危険性がある薬を販売していた事実に、大きな衝撃が走りました。
さらにこの年は5月と7月に大規模な食中毒事件が発生し、病原性大腸菌O157が全国的に知られることになりました。特に7月の大阪では患者数が9000人を超え、児童3名が死亡しました。菅直人大臣が「カイワレの可能性を否定できない」と発言したためカイワレ大根の風評被害が起こりました。結果的にカイワレからO157は検出されず、菅直人大臣がテレビカメラの前でカイワレを食べるパフォーマンスが話題になりました。
そしてこの年の年末に、ペルーでは日本大使館占拠事件が起こります。
97年の後半はアジア通貨危機が起こります。それに連動して円の急騰、そして北海道拓殖銀行の破や山一證券の廃業などで金融不安が一気に高まりました。山一証券の社長が号泣しながら謝罪し、廃業を報告する様子は何度もテレビで報じられ、ずさんな経営が明るみになると、銀行をはじめとする金融機関への不信感が生まれました。この頃からタンス預金という言葉も流行るようになります。
この年は、サッカーW杯アジア最終予選で、日本が初めてのW杯出場を決めてサッカー人気が一気に高まりました。ジョホールバルで行われたイラン戦では、日曜の深夜にも関わらず48%という驚異的な視聴率を叩きだしました。
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この頃から事件がネットを舞台にするようになります。闇サイト殺人事件では、「闇の職業安定所」というインターネットサイトに集まった面識のない3人が、強盗殺人を行いました。またドクター・キリコを名乗る人物が、自殺志願者に毒物を配布して自殺ほう助で訴えられるなど、インターネットを利用した事件が話題を呼びます。しかしこの年に最も注目を集めた事件は、和歌山毒入りカレー事件でしょう。夏祭りの会場で配られるカレーにヒ素が混入され、67人が搬送されて4人が死亡しました。
その7月に全日空61便のハイジャック事件が起こりました。犯人は28歳の男性で、統合失調症で通院歴があり、犯行の動機に「宙返りをしたかった」「レインボーブリッジの下をくぐりたかった」と語り、世間を驚かせました。パイロットが犯人に刺されて死亡しており、アスペルガー障害などがありましたが、責任能力があると判断されて無期懲役になっています。
4月には光市母子殺害事件が起こり、再び少年法が議論されます。未成年の男が女性を凌辱する目的で家宅侵入し、抵抗されたために母親を殺して屍姦したうえ、泣き叫ぶ乳幼児を殺害した凶悪な事件で、死刑が妥当か否かで長い間議論になります。9月には池袋通り魔事件が発生し、金づちと包丁で武装した男が次々と通行人を襲い、2人が死亡し6人が重軽傷を負いました。さらに9月には下関で通り魔事件が起こりました。レンタカーで駅舎に突っ込み人々を次々にはねると、包丁を振り回して無差別に切り付け、5人が死亡し10人が重軽傷を負いました。
11月に起こった文京区幼女殺人事件では、「お受験」「公園デビュー」といった言葉が有名になり、子供の受験とママ友の歪な関係が起こした殺人として、多くの人に衝撃を与えます。そして10月には桶川ストーカー殺人事件が起こります。被害者が一方的に悪者として報じられ、後に警察のずさんな対応が招いた事件として、大きな話題になりました。不可解な警察の対応が続き、被疑者が自殺して事件が終わる後味の悪さも目立ちました。
この年は東芝クレーマー事件や、横山ノック大阪府知事のわいせつ事件などもあり、年末は2000年問題で揺れたまま年を越すことになりました。
現在、令和になってから事件が相次いでいるので話題になっていますが、このように90年代も大事件や衝撃的な事件が相次ぎました。時代の変わり目に変な事件が頻発するのかわかりませんが、こうした残忍な事件が続かないことを祈るばかりです。
戦争の脅威が高まった90年代前半
国際的な大ニュースとして、北朝鮮が93年に核拡散防止条約を脱退、94年に国際原子力委員会を脱退し、北朝鮮の核開発が疑惑から確信に変わったことでした。アメリカは空爆も辞さない構えで、朝鮮半島で戦争が起こる可能性が一気に高まりました。関連記事:カーター元大統領の訪朝は面白い一手
この頃、友人の家にオートバイで向かう途中に横田基地の横を通ると、いつもは閑散としている横田基地に多くの兵士がいて、さまざまな物資を移動していました。開戦が近い雰囲気を感じました。結果的に戦争には至りませんでしたが、一歩手前ぐらいのところまで戦争が近づいた時期だったと思います。
海外ニュースが多かった94年
この年、日本で大きな話題となった海外のニュースは、5月のアイルトン・セナの死亡のニュースでした。日本でも人気の高かったF1ドライバーの事故は、F1を中継していたフジテレビ以外でも大きく報じられ、悲しみの声が溢れました。※アイルトン・セナ |
さらに海外からはルワンダでの大虐殺のニュースが届きます。100日間で100万人が殺されることになったこの事件では、ニュースが届くたびに子供を含む大勢の虐殺が報じられて嫌な気持ちになったものです。
※ルワンダの虐殺でできた無数の墓 |
北朝鮮の核開発疑惑が落ち着いたものの、最高指導者である金日成の死去が報じられると、北朝鮮の体制崩壊で内戦が起こる可能性が指摘され、朝鮮半島は再び落ち着かなくなりました。アメリカではメジャーリーグが大規模ストライキに入り、日本人メジャーリーガーの野茂英雄の動向が報じられ、年末にはロシアでチェチェン内戦が報じられました。
自然災害と事件に混乱した95年
坂上忍が飲酒運転で事故を起こし逃亡のうえ逮捕されるという芸能ニュースに呆れた日から3日後の1月17日に、阪神淡路大震災が発生しました。転倒した高速道路や燃え上がる神戸市内の映像のインパクトに加え、村山総理大臣が地震をNHKの朝のニュースで知ったと発言して、国の危機管理に不安が高まりました。※阪神淡路大震災の被害 |
阪神淡路大震災の傷跡が大きく残る3月に、地下鉄サリン事件が発生します。都内は大混乱になり、多くの死傷者を出しただけでなく、第2波の攻撃が噂され、犯人と目されるオウム真理教への警戒感がピークに達しました。さらに10日後に警察庁長官の国松孝次が銃撃されると、国の治安への不安が一気に高まりました。
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地下鉄サリン事件が起こった日/麻原彰晃死刑囚の執行
この年は国内ではオウム真理教のニュース一色になり、北海道で起こったハイジャック 事件でも教組の麻原彰晃の解放を犯人が要求しているとの情報が飛び交いました。海外ではオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件もあり、テロの脅威が話題になり、国内では漫画「ドラゴンボール」の連載が終わったことも話題でした。そしてWindows95の発売で、秋葉原に徹夜して並ぶ人たちの姿も話題になりました。
※地下鉄サリン事件 |
そして9月に沖縄で起こった、米兵による少女暴行事件は全国的な批判運動に広がり、今日の普天間基地移設につながります。
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揉める普天間基地 /反対派と賛成派と混ぜ返す人
インフラと健康の不安が広がった96年
2月に北海道のトンネル岩盤崩落事故が起こり、インフラへの不安が広がりました。崩落したのは国道229号に設置された豊浜トンネルで、崩落はバスを直撃して20人以上が亡くなりました。これを機に全国のトンネルや橋で安全点検が始まり、さまざまな問題が露呈します。※豊浜トンネル崩落事故 |
また2月には厚生省が、薬害エイズに関して責任を認めました。菅直人大臣が責任を認める発言も謝罪を行い、薬害エイズ訴訟に大きな進展がありました。同時に製薬会社と国がエイズの危険性がある薬を販売していた事実に、大きな衝撃が走りました。
※厚生省エイズ研究班の安部英。薬害エイズの主犯と言われました。 |
さらにこの年は5月と7月に大規模な食中毒事件が発生し、病原性大腸菌O157が全国的に知られることになりました。特に7月の大阪では患者数が9000人を超え、児童3名が死亡しました。菅直人大臣が「カイワレの可能性を否定できない」と発言したためカイワレ大根の風評被害が起こりました。結果的にカイワレからO157は検出されず、菅直人大臣がテレビカメラの前でカイワレを食べるパフォーマンスが話題になりました。
そしてこの年の年末に、ペルーでは日本大使館占拠事件が起こります。
金融不安が広がった97年
この年の上半期の最大の事件は、神戸連続児童殺傷事件です。通称、酒鬼薔薇事件と呼ばれるこの猟奇殺人は、全国を恐怖に陥れました。さらに犯人として少年が逮捕されると、恐怖がさらに広がったように思います。この頃には世紀末の混乱が言われるようになり、もう何が起こっても驚かないような空気ができていたように思います。そして東電OL殺人事件が起こり、エリートOLの異常な日常が話題になり、報道とプライバシーが問題になりました。※酒鬼薔薇事件の脅迫状 |
97年の後半はアジア通貨危機が起こります。それに連動して円の急騰、そして北海道拓殖銀行の破や山一證券の廃業などで金融不安が一気に高まりました。山一証券の社長が号泣しながら謝罪し、廃業を報告する様子は何度もテレビで報じられ、ずさんな経営が明るみになると、銀行をはじめとする金融機関への不信感が生まれました。この頃からタンス預金という言葉も流行るようになります。
※山一証券の会見 |
この年は、サッカーW杯アジア最終予選で、日本が初めてのW杯出場を決めてサッカー人気が一気に高まりました。ジョホールバルで行われたイラン戦では、日曜の深夜にも関わらず48%という驚異的な視聴率を叩きだしました。
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再び事件に震撼した98年
堺市通り魔事件から98年は始まります。シンナーを吸って酩酊した男が、15歳の女子高校生を刺し、逃げる女子高生を追いかける途中で5歳児と母親を刺して逮捕されました。2月には香川県で鉄塔のボルトが何者かに抜かれて倒壊する事件が起こりました。1万7000戸が停電する騒ぎになりましたが、80本ものボルトを抜く手際の良さから犯人像が絞られましたが、逮捕には至りませんでした。※和歌山毒入りカレー事件の現場 |
この頃から事件がネットを舞台にするようになります。闇サイト殺人事件では、「闇の職業安定所」というインターネットサイトに集まった面識のない3人が、強盗殺人を行いました。またドクター・キリコを名乗る人物が、自殺志願者に毒物を配布して自殺ほう助で訴えられるなど、インターネットを利用した事件が話題を呼びます。しかしこの年に最も注目を集めた事件は、和歌山毒入りカレー事件でしょう。夏祭りの会場で配られるカレーにヒ素が混入され、67人が搬送されて4人が死亡しました。
世紀末の99年
プロレスラー、ジャイアント馬場の死去で始まった99年は、さまざまな事件が起こりました。3月に北朝鮮の不審船を日本が銃撃し、同月には歌手の安室奈美恵の母が義弟に殺害される事件も起きました。7月はノストラダムスが予言した世界の終わりの月で、その話題が多く語られました。その7月に全日空61便のハイジャック事件が起こりました。犯人は28歳の男性で、統合失調症で通院歴があり、犯行の動機に「宙返りをしたかった」「レインボーブリッジの下をくぐりたかった」と語り、世間を驚かせました。パイロットが犯人に刺されて死亡しており、アスペルガー障害などがありましたが、責任能力があると判断されて無期懲役になっています。
※光市母子殺害事件の被害者家族 |
4月には光市母子殺害事件が起こり、再び少年法が議論されます。未成年の男が女性を凌辱する目的で家宅侵入し、抵抗されたために母親を殺して屍姦したうえ、泣き叫ぶ乳幼児を殺害した凶悪な事件で、死刑が妥当か否かで長い間議論になります。9月には池袋通り魔事件が発生し、金づちと包丁で武装した男が次々と通行人を襲い、2人が死亡し6人が重軽傷を負いました。さらに9月には下関で通り魔事件が起こりました。レンタカーで駅舎に突っ込み人々を次々にはねると、包丁を振り回して無差別に切り付け、5人が死亡し10人が重軽傷を負いました。
11月に起こった文京区幼女殺人事件では、「お受験」「公園デビュー」といった言葉が有名になり、子供の受験とママ友の歪な関係が起こした殺人として、多くの人に衝撃を与えます。そして10月には桶川ストーカー殺人事件が起こります。被害者が一方的に悪者として報じられ、後に警察のずさんな対応が招いた事件として、大きな話題になりました。不可解な警察の対応が続き、被疑者が自殺して事件が終わる後味の悪さも目立ちました。
※桶川ストーカー殺人では、上尾署の捜査一課長代理が笑顔で会見する異常性がありました。 |
この年は東芝クレーマー事件や、横山ノック大阪府知事のわいせつ事件などもあり、年末は2000年問題で揺れたまま年を越すことになりました。
まとめ
90年代後半は毎年のように大事件が起こっていて、もう何が起こっても驚かないという空気がありました。殺人事件の動機も理解できないものが急増し、インターネットが新しいコミュニケーション空間として台頭したため、そこからも新たな犯罪が急増します。個人的に印象深いのは神戸連続児童殺傷事件で、この時は飲み屋で女性から「子供が殺されて、生首が校門に置かれてた」と言われ、てっきりドラマか映画の話をされていると思っていました。まさか現実に、そんな事件が起こるとは思えなかったのです。現在、令和になってから事件が相次いでいるので話題になっていますが、このように90年代も大事件や衝撃的な事件が相次ぎました。時代の変わり目に変な事件が頻発するのかわかりませんが、こうした残忍な事件が続かないことを祈るばかりです。
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