國松警察庁長官狙撃事件の犯人は誰だったのか

1995年3月30日午前8時31分、荒川区南千住の自宅マンションで発砲事件が起こりました。撃たれたのは國松孝次警察庁長官で、3発の銃弾を受けて重傷でした。警察のトップが自宅で撃たれるという衝撃的な事件で、日本の治安を揺るがす大事件でした。しかし犯人は捕まることなく事件は迷宮入りになっています。なぜこのような大事件が未解決になったのでしょうか。

※国松元警察庁長官

事件の概要

警察庁長官の國松孝次は午前8時31分頃、出社のため秘書官に迎えられて自宅マンションのアクロシティ(東京都荒川区南千住6丁目37番11)を出ました。その時、待ち伏せていた男が國松長官の背後から発砲し背中に命中します。倒れた國松長官に秘書官が覆いかぶさりますが、犯人はさらに2発を國松長官に命中させ、銃声を聞いて駆けつけた警備の警察官らに向けて1発を発砲した後に自転車で逃走しました。

現場には朝鮮自民軍のバッヂや10ウォン硬貨が落ちているのが見つかり、事件の1時間後にはテレビ朝日に犯行声明の電話がかかって来ています。内容は次の標的として警視総監や内閣情報調査室長の名前を挙げ、オウム真理教への強制捜査を止めるよう脅迫する内容でした。

公安部による捜査

銃撃事件、殺人未遂事件の捜査ですから警視庁刑事部が担当するのが定石ですが、この事件は警視庁公安部が捜査しました。警察庁長官を狙うという大胆不敵な犯行は、組織犯罪の可能性が高いという理由でしたが、実際には警視庁の台所事情が大きかったようです。1995年は、警察にとって激動の年でした。

3月20日:地下鉄サリン事件
3月22日:上九一色村強制捜査

※地下鉄サリン事件

警視庁はオウム真理教に絡む捜査の真っ最中で、刑事部は人員の大半を上九一色村に投入して、不眠不休の捜査に当たっていました。そんな最中に起きた國松長官狙撃事件に、投入する人員が不足していたのです。また警視庁のトップにも、刑事部には麻原彰晃逮捕に全力を注いで欲しいという考えもあったようです。こうして狙撃事件の捜査は公安部に委ねられるのですが、事件捜査のノウハウが少ない公安部にとって、かなり厳しいものとなりました。

こういった事件では、聞き込みなどの地道な調査によって容疑者を割り出し、その容疑者の当日の行動から人間関係、生い立ちなど全てを丸裸にしていきます。聞き込みの過程で市民からは警察への苦情が大量に寄せられることもあります。その苦情は交通課のねずみ取りや侵入禁止の取り締まり、近隣住民が出している騒音に警察の対応が遅いなど、捜査とは何の関係もないものだったりします。刑事部の刑事たちはそれらの苦情を聞きつつ、事件の目撃情報などを集めていくのです。

しかし公安部は過激派など予め危険だと思われている人物を監視下に置き、背後関係を徹底的に洗い出していきます。さまざまな団体や組織に目を光らせつつ、監視下に置いている人物が犯した犯行の証拠を固めていくのです。つまり刑事部はどこにいるかわからない犯人を探し出すのに対し、公安部は危険だと思われる人物を追い詰めるのですから、正反対のアプローチになります。どちらが簡単とか上とか下はありません。捜査対象が異なるので、それぞれ適したアプローチを行っているわけです。ですから刑事事件を任された公安部は、捜査に苦戦する事になります。

自白した現職警察官と隠蔽工作

そんな中で、現職の警察官でありオウム真理教の信者でもあった巡査部長が、長官狙撃を自供しました。これは警察にとって大スキャンダルとなるため、公安部は慎重に捜査を進めると同時に上層部への報告もしませんでした。後に隠蔽工作と呼ばれるこの行為には、公安部にも言い分がありました。巡査部長の証言は下見に行ったことなどは具体的に話すものの、肝心の狙撃した際の記憶が抜け落ちていました。さらに供述が二転三転する部分もあり、信憑性に重大な問題があったのです。ですからすぐに上層部に報告するのではなく、確実な証拠を掴んでから報告したかったのです。

※現場捜査の様子

しかしこの隠蔽は匿名による当初で明るみになります。犯人は警視庁の警察官という内容の手紙が各メディアに配られると、各社が一斉に報道を始めました。警視庁公安部の行為は仲間内の警察官を庇う行為だと批判に晒され、メディアに押される形で公安部は巡査部長が凶器の拳銃を捨てたと供述した神田川の捜査を行いました。しかし銃は発見されませんでした。この隠蔽は警察の大スキャンダルになり、公安部長は更迭されて警視総監が責任をとって辞職する事になります。

※マスコミに送られた匿名の手紙

犯人はオウムなのか?

警察庁長官を狙撃するという大胆さに加え、下調べや武器の準備、逃走ルートの確保などを考えると、組織による犯行と考える関係者は多くいました。そのため公安部はオウム真理教による犯行と考え、捜査を行っています。しかし後にオウムは坂本弁護士一家殺人、地下鉄サリン事件、松本サリン事件などの凶悪犯罪について認めましたが、警察庁長官狙撃事件だけは認めませんでした。数々の凶悪犯罪を認め死刑が確定しても、警察庁長官狙撃事件だけは認めないのは、オウムの犯行ではないからでは?とも思えます。これは今日まで疑問として残っています。

※奇跡的に回復して退院する国松長官

刑事部でもオウム犯行説は根強かったようですが、やがて安部のオウム一辺倒の考え方に疑問を持つ人もいました。そんな中、全くの別件から長官狙撃の容疑者が現れました。その男は複数のパスポートや運転免許証を持ち、大量の銃器を所有し、アメリカで銃の訓練を受けていました。そして國松長官を狙撃したのは自分だと自供しています。この男に注目が集まりました。

以下、次回に続きます。

次回記事:國松警察庁長官狙撃事件の犯人は誰だったのか2 /中村泰は犯人か



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