地下鉄サリン事件が起こった日/麻原彰晃死刑囚の執行

麻原彰晃死刑囚の死刑が執行されたようです。ほかにも井上嘉浩死刑囚、早川紀代秀死刑囚、中川智正死刑囚、遠藤誠一死刑囚、土谷正実死刑囚、新実智光死刑囚らの死刑も執行されました。

麻原彰晃

ニュースを聞いて、地下鉄サリン事件が起こった95年3月20日のことを鮮明に思い出しました。95年は事件が多い年で、警察庁長官狙撃事件、村井秀夫刺殺事件、上九一色村強制捜査などのオウム関連だけでなく、ANA857便ハイジャック事件、沖縄米兵少女暴行事件、八王子スーパー強盗事件など、次々に凶悪事件が続きました。


関連記事:聖路加国際病院と地下鉄サリン 小説「ジェネラル・ルージュの凱旋」の元ネタ

埼玉県の某所で

当時私は建設会社に勤務していて、現場監督をしていました。大規模マンションの新築工事で、その週は雨どいの施工業者がなかなか来なくて工事が遅延していました。そこで前日に来た職人に「明日も絶対に来いよ」と念押しし、地下鉄サリン事件が起こった3月20日を迎えました。



私は新宿駅を経由して埼京線で現場に向かいました。工事現場は朝8時から始まるので、何事もなく現場に着いて仕事を始めました。しかし雨どい屋がいませんでした。イライラした私は、当時はまだ持っている人が少ない携帯電話を雨どい屋が持っていたことを思い出し、電話しましたが電話は不通になっていました。

仕方なく雨どい屋抜きで仕事を始め、11時頃に事務所に雨どい屋から電話がかかってきました。悪びれた様子もなく、雨どい屋はこんな風に言いました。

「まだ東京にいるんですよ。東京に毒ガスが巻かれたの知ってる?700人ぐらいが死んで、警察が規制して道路が動かないんだよね」

私は怒りに震えながら「今まで聞いた言い訳の中でも最低だ。もっとマシな嘘をつけ」と言いましたが、雨どい屋は「テレビを見てくれ、本当だから」を繰り返します。そしてテレビのニュースで築地駅が地獄絵図になっているのを見たのです。

安否確認

埼玉方面から来ている職人が多く、朝7時半頃には大半の職人もゼネコンの職員も来ているため、サリン事件はほとんどの人が知りませんでした。そこで、今日来るはずなのに来ていない職人のリストアップが始まりました。しかし安否確認をしようにも、連絡がとれないのです。次に午後に入ってくるはずの材料が搬入されるか確認をしようとしましたが、どこにも電話はつながりませんでした。電話回線がパンクしていたのだと思います。


安否確認ができるようになったのは、夕方ぐらいになってからでした。来ていない職人の多くは、東京や神奈川に住んでいる職人で、電車や地下鉄が止まったために来られないだけでした。ケガ人がいなくて安心したのですが、会社の総務の人がサリンを吸って搬送されたことがわかりました。そして友人たちにも連絡して、安否を確認すると夜には福岡の実家に電話して自分は無事だと伝えました。

数日間の混乱

事件が起きた日は月曜日で、1週間は何かと混乱がありました。そして日曜日に原宿にいると救急車が通りました。それまでの喧騒が一瞬で消え、救急車のサイレンだけが原宿に響き渡る異様な雰囲気でした。誰もが次の攻撃に怯え、ちょっとした異変にも過敏になっていたのです。

※明治神宮前交差点が静まりかえりました。

BS放送で海外のニュース番組を見ると、どの局も地下鉄サリンのことをやっていました。アメリカのCNNやドイツのZDF、香港のテレビも地下鉄サリンがトップニュースでした。そしてオウム真理教が関与しているという噂だけが広まり、何が本当なのかわからずに事態を見守る日が続きました。

仕事を休んだ左官屋

腕の良い左官屋が、現場に来なくなりました。難しい仕事を任せていたので、この職人が来ないと仕事に支障が出ます。これが問題になり、左官の親方に相談しますが「俺も事情はわからないんだけど、とにかく仕事には行けないって言うんだ」と、なんともよくわからない話でした。そこで会社に電話をすると、社長も歯切れが悪い答えしかしません。すぐに現場に来させてくれと何度もお願いすると、

「どうもあいつの妹が、上九一色村にいるみたいなんです。それで説得に向かったと聞いています」

とのことでした。上九一色村はオウム真理教の本拠地で、警察の一斉捜索が始まるといわれています。こればかりは仕方ないとなり、この職人が来るのを諦めました。数か月後にこの職人は戻ってきますが、詳細は全く語りませんでした。

まとめ

この事件から数か月にわたり、オウム真理教が再びテロを起こすという噂が何度も広まり、仕事にも私生活にも支障が出ました。麻原彰晃が逮捕される日がXデーと呼ばれ、逮捕と同時にテロが起こると言われて本気で心配する人が多くいました。新宿など人が集まるところを避ける人もいて、落ち着かない1年だったと思います。警察庁長官狙撃事件もオウムの犯行といわれていて、警察のトップでも攻撃される状況では不安しかありませんでした。

もう20年以上前のことになりますが、この時のことは今も鮮明に覚えています。そして95年のあらゆる事件は現在にも影響を与えています。そのことは、また改めて書きたいと思います。


コメント

このブログの人気の投稿

アイルトン・セナはなぜ死んだのか

私が見た最悪のボクシング /ジェラルド・マクレランの悲劇

はじめの一歩のボクシング技は本当に存在するのか?

バンドの人間関係か戦略か /バンドメイドの不仲説

TBSが招いた暗黒時代の横浜ベイスターズ /チーム崩壊と赤坂の悪魔