聖路加国際病院と地下鉄サリン 小説「ジェネラル・ルージュの凱旋」の元ネタ

300時間近く録画が溜まっているHDDを見返すと、映画「ジェネラル・ルージュの凱旋」が録画されていて、思わず見返してしまいました。海堂尊の小説「チーム・バチスタの栄光」の続編で、映画も同じく続編として作られています。主演の竹内結子と阿部寛は相変わらずとして、堺雅人や山本太郎の好演が光る映画でした。この話は地下鉄サリン事件における聖路加(せいるか)国際病院が元ネタなのですが、知らない人もいると思うのでそのことを書いてみたいと思います。


聖路加国際病院とは

東京の築地にある総合病院で、1901年に設立されています。皇室との関係でも有名ですが、この病院は名誉院長となる日野原重明氏によって高い評価を得ることになります。1941年から内科医として勤務し、1971年にはよど号ハイジャックに遭遇するなど、なにかと話題の多い人物です。

※日野原重明氏

1992年に新病棟が完成するのですが、日野原院長は周囲の反対を押し切って施設内のあらゆる壁に酸素供給口を設け、礼拝堂やロビー・ホールをぶち抜きにして救急救命医療ができるようにしました。空間の無駄遣いという強い批判の中、日野原院長は東京大空襲の体験や、海外の総合病院視察で絶対に必要だと押し通しています。コンサートが開けるほど広大な空間は、「よほどベッド数を増やさないと採算がとれない」と他の病院から笑われたそうです。

地下鉄サリン事件発生

1995年に発生した地下鉄サリン事件は、築地駅で多くの負傷者が発生しました。消防から「爆発事故があった。何人ぐらい受け入れ可能か?」との問い合わせに、聖路加国際病院の石松医師は「4~5人」と答えています。しかし運ばれてきた患者に外傷がなく、心停止していることに驚き、ただ事ではないと確信します。石松医師の指示で現場に向かった若手の医師は、築地駅に200人以上の患者がいることと、それらの患者の受け入れ先がないことを知ります。

※地下鉄から次々と搬出される被害者

この医師は緊急性が高いと判断して、病院に連絡なしで重傷患者を病院に連れていき、事態を悟った石松はすぐに理事の日野原に報告します。日野原院長はすぐに館内放送を行いました。

「本日の外来は中止。患者は全て受け入れる」

何人の患者がいるのかはっきりしない中、全員は無理かもしれないというスタッフに「かまわん、全員を受け入れろ」と日本の救急病院としては異例の無制限受け入れを宣言します。東京大空襲で患者を十分に受け入れられず、多くの患者が死んでいった経験から日野原院長には、一人でも多くの患者を受け入れることに関して、絶対に引かないという決意があったようです。

ホールの待合室の椅子が移動され、非番だった医者や看護婦もかけつけて、すぐに野戦病院のようになったと言います。さらに意識のある患者がタクシーなどでやってくると、礼拝堂を開放して救急医療を実行しました。無駄だと言われていた広いホールは、東京最大の受け入れ場所となりました。日野原院長は陣頭指揮を執りつつ、若手医師らと一緒にトリアージに奔走します。

※サリン患者を受け入れた聖路加病院の廊下の様子

信州大学付属病院からのファックス

危篤状態の患者が多く運ばれる中、警察にも消防にも聖路加国際病院の医師たちにも原因はわかりませんでした。医師たちには半年前に起こった松本サリン事件の記憶があり、サリンの解毒剤PAM(パム)を使うかで意見が分かれました。強力な解毒剤であり猛毒でもあるPAMは、安易に使えば患者の命を奪うことになります。先ほどの石松医師は判断に苦しみます。

※礼拝堂での救急救命

そんな中、信州大学付属病院の柳沢医師から電話があります。彼は松本サリン事件の患者を治療した経験があり、テレビで患者の症状を見て「サリンの可能性が高い」と連絡してきたのです。柳沢は治療方法などを簡潔にまとめてファックスし、それを見た石松医師はPAMの投入を決めました。PAMを投入した患者の症状が緩和し、効果があることが確認されると、聖路加国際病院はPAMの在庫確保に動き出します。

足りないPAM

聖路加国際病院には20人分しかPAMの在庫がありませんでした。そもそもほとんど作られていない薬であり、東京全体でもそんなにあるものではありません。薬剤担当者は名古屋のスズケンに電話を入れて、ありったけのPAMを東京に送ってくれと依頼します。しかしスズケンにも多くはありませんでした。

※特効薬だったPAM(パム)

スズケンは西日本の営業所に片っ端から電話をし、ありったけの在庫を確保します。PAMを抱えた社員が新幹線に乗車し、停車駅ホームでその地の在庫を受け取っていく方法をとり、2800セットのPAMが東京に運ばれました。都内では保管していた営業所から病院に運ぶためパトカーが先導して搬送を続け、さらには自衛隊のヘリによる空輸も行われました。1分の差で生死を分ける状態の中、考えられる限りのあらゆる手段が用いられたのです。

ジェネラル・ルージュの凱旋では

製薬会社と癒着を噂されていた救急救命センター部長の速水医師は、大規模事故の発生にともなって「片っ端から受けまくれ!全部受け入れろ!」と指示を出します。これは聖路加国際病院の日野原がモデルです。何を考えているのかわからない速水医師は、理解されない救急救命の現状に憤っていたわけですが、それは日野原院長に向けられた批判に通じるものがあります。

※速水医師を演じる堺雅人

映画としてはドラマの構成などに注文をつけたくなる部分が多々あるのですが、クライマックスの救急搬送のシークエンスは圧巻で、これを撮りたいがために前半のドラマがあったと言ってもよいほどの迫力でした。堺雅人はキレキレの怪演で、好き嫌いが分かれると思いますが、前半の世間離れした嫌味な演技もクライマックスに活かされてきます。最後の速水医師の収賄の容疑も、これ以上なくほのぼのとした収賄で、前半のダルさは後半の迫力で相殺されました。

まとめ

地下鉄サリン事件では、多くの問題が浮き彫りになりました。聖路加国際病院のような救急体制を敷くには、普段からかなりの利益率を保たねばならないというのも、その一つでしょう。ギリギリの経営でやっている病院では、このような大規模な受け入れ態勢を整えることは不可能なのです。聖路加国際病院は640人を受け入れ、死者は1人だけだったそうです。

そしてこの事件の裏側に、多くの人の命をつなぐ活動があったことは、もっと知られて良いと思います。本文では触れませんでしたが、利益率が悪いPAMの製造を何度もやめようとしながら、有機リン系の農薬を作っている以上は解毒剤も作るのが使命だとして、PAMの製造を細々とでも続けていた住友製薬がなければ、もっと多くの死者がでていたでしょう。多くの人の協力や決断が、前代未聞の事件の被害を減らした事例だと思います。



コメント

このブログの人気の投稿

アイルトン・セナはなぜ死んだのか

私が見た最悪のボクシング /ジェラルド・マクレランの悲劇

TBSが招いた暗黒時代の横浜ベイスターズ /チーム崩壊と赤坂の悪魔

バンドの人間関係か戦略か /バンドメイドの不仲説

はじめの一歩のボクシング技は本当に存在するのか?