MMAファイターはケンカが弱い!?/いい加減にケンカの話はやめませんか?
ボクシングでもキックボクシングでもMMA(総合格闘技)でも、この選手はケンカが強かったとか、今でもケンカなら負けないとか、スポーツであるにも関わらずケンカの話がよく出てきます。また選手の個性として、かつて不良だったことなどが頻繁に語られます。いい加減に、この手の話は時代遅れだと思うのです。
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元不良というブランド
いわゆる格闘技と呼ばれるジャンルでは、元不良の肩書きは選手の宣伝に使われがちです。キックボクシングやMMAの大会を見れば、元暴走族や少年院あがりやケンカ自慢が大量にいます。そのためMMAやキックボクサーがケンカ自慢と戦う企画がYouTubeでも人気があり、多くの選手がこうした企画で動画を撮影しています。
これは昭和から続くヤンキー文化の名残です。家庭が貧しく、勉強もできず、チームスポーツにも馴染めない男がケンカに明け暮れていく姿が大人気だった時代があるのです。少年漫画では不良漫画は鉄板の人気コンテンツで、ケンカの強さが人気に直結しました。今やヤンキーは絶滅危惧種になりましたが、ケンカ自慢は今でも息づいています。
現在もテレビタレントは「俺も若い頃はやんちゃでさ」と、不良だった時代のエピソードを語りますし、不良漫画は減りましたが細々と続いています。ただし世間の目が暴力に厳しくなったので、かつてのようにおおっぴらではありません。しかしMMAの大会などになると、そのような不良エピソードも大々的に語ることができるのです。MMAやボクシングにおいて、元不良というのはブランドになるのです。
今も息づく梶原一騎の影響
ヤンキー文化に加えて、梶原一騎の影響も強く残っています。漫画の原作者として人気だった梶原一騎は「巨人の星」「タイガーマスク」「あしたのジョー」「空手バカ一代」など人気作品の多くを手がけています。梶原一騎の原作には同じようなテーマが流れていて、それは男の生き方を示しています。男なら戦え、金や名誉や女のためではなく、強い相手を倒してこそ男なのだというメッセージです。
※梶原一騎 |
梶原一騎イズムとも呼ばれるこのメッセージは、汗と涙と根性が合わさって昭和のスタンダードになりました。今でも格闘技の中継などでは、この文脈で選手が紹介されることが多くあります。実際にはお金のためにプロになった人がほとんどで、お金があれば別のことをやるかもしれません。しかし梶原一騎イズムはロマンとして扱われ、現在でも多くの選手が売り出される際に梶原一騎の文脈に沿って紹介されています。元不良がブランドになるのは、昭和に人気を博した梶原一騎の影響を無視することができません。
そもそもケンカとは何か?
日本でケンカといえば、1対1の素手での戦いを指します。複数で1人を殴るのは卑怯と言われますし、ナイフやバットなどの武器を使うのも卑怯だと言われます。日本では侍の伝統があるから1対1の同条件の戦いが好まれると言う人が多くいますが、私は懐疑的です。侍文化よりも、戦後のアメリカ映画の影響の方が強いように思うのです。
素手による1対1の殴り合いというのは、西部劇の鉄板です。1942年製作の西部劇「スポイラース」のラストシーンは、「丸腰の男を撃つのか?」と問われたジョン・ウェインが「それなら素手で勝負だ!」と銃を投げ捨てて殴り合いを展開します。この映画から大男の殴り合いは多くの映画で模倣され、しかも殴り合いは雨の中で行うことが流行りました。
※映画「スポイラース」 |
またジョン・ウェインは1952年の「静かなる男」でも、クライマックスでは殴り合いを演じました。全力で殴り合い、違いを認め合った2人がビールで乾杯して終わるという結末で、こちらも多くの模倣を生むことになります。日本の漫画や映画で使われるケンカの多くは、これらを模倣していることがほとんどだと思います。なぜ1対1で素手で殴り合うのかと問われれば、ジョン・ウェインが格好良かったからではないでしょうか。この2本の映画を見ると、どれほど多くの漫画で模倣されているかわかります。日本やアメリカの素手ごろのケンカへのロマンや憧れは、ジョン・ウェインの影響がかなり大きいと思います。
アメリカから見たケンカ
この話題をアメリカ人と話したことがあるのですが、最初は不良のケンカが1対1の素手というのがピンとこなかったようです。彼にとって漫画の中のケンカは日本のファンタジーだと言っていました。それはアメリカで不良といえばストリートギャングになり、彼らのケンカは綺麗事ではないからです。もちろんアメリカでも1対1の素手の殴り合いだってありますが、それは小競り合いだと言っていました。
ギャングのケンカの多くは縄張りや商売に絡むものです。それは彼らの生活に直結しているので、絶対に妥協できません。そのためケンカとなれば、負けた方が命を落とすことになりがちです。ケンカは相手が1人なら5人で行いますし、同じ人数なら使える最大の武器を使います。そのため銃やナイフが出てくるのは当たり前で、少数を大人数で袋叩きにすることも珍しくありません。そして不意打ち・闇討ち・騙し打ちが基本で、それは卑怯ではなくやられた方が間抜けと呼ばれます。
そのような世界から見ると、親に学費を出してもらい、親に食事を作ってもらい、暖かい寝床と小遣いを与えられる子供がギャングのように振る舞うのは、お坊ちゃんが拗ねている程度のことでしかなくなってしまうのです。素手ごろのケンカこそが正当だと言うのは、生活も生死もかかっていない安全な場所での小競り合いだからと言えるでしょう。そしてこのような世界で喧嘩に強いのは、仲間を大勢集めることができ、人の命を軽んじるタイプです。このようなタイプは短命か、刑務所に出たり入ったりする人種になります。
UFCファイターはケンカが弱い?
多くのUFCファイターは学校に通っていたスポーツエリートで、ギャングのケンカのようなことはやっていません。ギャングは一度加入すると生きている限り辞めることができないので、元ギャングの選手というのは基本的にいないからです。もちろんフランシス・ガヌーのようにカメルーンの貧困層に生まれて、学校にもろくに通えなかった選手もいます。しかしガヌーはギャングに入ることを断って、ボクサーとして生計を立てることを夢見ていました。
UFCのケンカ自慢と言えばホルヘ・マスヴィダルです。路上のケンカを何度も行ったと言っていますが、高校にも通っていますし、成績の低迷で退部させられるまではレスリング部に所属していました。マスヴィダルと同様にギャングスターと呼ばれるネイト・ディアスにしてもそうで、マリファナを売ったりしていましたが高校には通っていました。彼らはギャングに身を落とす代わりにジムに通い、目標を持ってハードワークに励んだので現在の地位にいるのです。
※ベン・アスクレンを開始5秒でKOしたマスヴィダル |
ヘビー級王座防衛最多記録を持つスティーぺ・ミオシッチは、大学に通っています。レスリングでもボクシングでも好成績を記録し、野球ではメジャーリーグにも声を掛けられています。こういったスポーツエリートがひしめくUFCで、街中で殴り合ったり大勢で誰かに重傷を負わせるような経験がある選手の方が少ないのです。
喧嘩が強い≠格闘技が強い
多くの場合、喧嘩が強いから格闘技が強いというのは、1対1で素手で殴り合うというルールの元で行われるフィクションの喧嘩から生まれた幻想です。現実のボクシングや総合格闘技では純度の高いアスリートが成功を収めていますし、大勢で1人を襲う凶悪な人種でもありません。むしろ反対のタイプが格闘技の世界には多く、喧嘩と格闘技の強さは関係ないと言って良いと思います。
まとめ
今でも梶原一騎の影響は残っていて、日本の格闘技興行はそれを利用してきました。それにより、格闘技と喧嘩のイメージは強く結びついていますが、現実には不良が強くなったというより、不良のイメージを使って選手が宣伝されています。しかしこの手の手法は、もう時代遅れではないでしょうか。確かに不良に憧れる層は一定数いますし、それで人気者になっている選手がいるのも事実です。しかし昭和から続く劇画のイメージが、今後も続くとはどうしても思えません。今後は変わっていくと思いますし、喧嘩のイメージをつけていては、ファンの拡大も限定的になるように思います。
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