賭けに勝ったダナ・ホワイト /UFCが世界最高峰になった理由

2003年、着実に成長を始めていたUFCは消滅の危機にありました。新たなスポンサーを獲得し、ペイ・パー・ビューTV(以下PPV)の売上も順調でしたが、それを上回る負債が運営するズッファ社にのし掛かっていました。もはやPPVに加えて新たな資金源が必要なのは明らかで、これ以上の大口のスポンサーも見込めませんでした。ズッファ社のダナ・ホワイトは、新たなTV番組の企画に賭けることを決めました。しかし彼らの提案に同調することテレビ局はありませんでした。



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UFCの誕生

広告代理店役員のアート・デイビーのアイデアから、UFCは始まりました。彼はたまたま見たグレイシー柔術のビデオに、彼らが道場破りと戦ったり、ほぼノールールのケンカのような格闘技の試合をしている様子が収められていたことから、企画を思いつきました。デイビーは、映画脚本家のジョン・ミリアスがグレイシー柔術を習っていることを知ると、ミリアスに企画を持ち込みました。

※アート・デイビー


ジョン・ミリアスは、70年代から80年代にかけて多くのヒット作に関わったことで名を馳せた脚本家で、最も有名な作品はコッポラが監督をした「地獄の黙示録」です。ミリアスはデイビーから持ち込まれた、ほぼノールールのケンカのような格闘技の大会をアメリカで行うという企画に驚き、ホリオン・グレイシーを紹介しました。ここで話がまとまったことから、デイビーは資金を調達してWOWという会社を立ち上げました。


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※ジョン・ミリアス


93年11月12日、コロラド州デンバーで第1回UFCが開催されました。素手で殴り合い、金的と目への攻撃と噛みつきが禁止されただけの大会は、その暴力性から大きな話題になりました。特にジェラルド・ゴルドー が、倒れた力士の顔をサッカーボールを蹴るように蹴り上げ、顔面を骨折させた場面はUFCの暴力性を象徴する場面としてあちこちで放送されました。

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※片手だけボクシンググローブをつけた選手もいました。


大会は大きな話題になりましたが、テレビカメラを持ち込みケンカを公に放送したことに批判が集まります。ほとんどルールが存在しないUFCを、多くの人はスポーツだとは思わず、残虐ショーだと感じたのです。

法律での規制へ

第1回のUFCが成功したことから、WOWはすぐにUFC2の企画に取り掛かりますが、会場選びから難航しました。多くの施設がUFCに貸すのを嫌がったのです。また多くの州では、警察などの行政が開催に難色を示しました。なんとか会場を探して大会を続けますが、ホリオン・グレイシーとアート・デイビーは、UFC5を最後にUFCの所有権をPPV会社のSEGに売却しました。

※ホリオン・グレイシー


UFCの暴力性への批判は高まっていき、ついには2000年に大統領選挙にも出馬した共和党の大物議員ジョン・マケインが、声高に批判を展開する様になります。マケインはアメリカ50州全ての知事に書簡を送り、UFCの開催を禁止するように訴えました。マケインはテレビでUFCの野蛮さを批判し、暴力事件を触発する可能性にも言及しました。その結果、36州で総合格闘技を禁止する法案が成立しました。ノー・ホールズ・バード禁止法と呼ばれるこの法律は、UFCの開催を困難にしました。

※ジョン・マケイン議員


さらに法律で禁止しなかった州でも、アスレチック・コミッションが試合の許可を出さないケースが多くありました。そのためUFCはごく一部の州でしか開催できなくなってしまいました。さらにジョン・マケインは、PPV業界に圧力をかけてUFCの放送を締め出させました。その結果、UFCはアメリカではマイナーな衛星放送でしか視聴出来なくなり、消滅の危機を迎えました。

ルールの整備

存亡の危機に立たされたUFCは、各州のアスレチック・コミッションと協議を重ねました。どの州でもスポーツと呼ぶには、あまりにルールが少ないことが問題視されており、ルールの整備が行われました。体重が無差別で、反則が3つ(目を攻撃しない、金的を攻撃しない、噛みつかない)しかない状態では、スポーツとは認めがたいといわれたのです。そこでまず階級制がUFCに導入され、ヘビー級とライト級が設置されました。その結果、97年2月にアラバマ州ドーサンの市民センターで、UFC12の開催に漕ぎ着けました。

※初代ヘビー級王者のマーク・コールマン


さらにオープンフィンガー・グローブが導入されたことで、97年7月にアラバマ州バーミングハムでUFC14の開催にこぎつけます。さらに会合を重ね、かねてから問題視されていた禁止行為を具体的に追加していきました。その結果、頭突きの禁止、後頭部への打撃と指などの小さな関節への攻撃の禁止、倒れた選手への蹴りが反則になりました。これらのルールは97年10月にミシシッピー州セントルイスで開催されたUFC15から適用されました。

※オープンフィンガー・グローブ


さらに無制限ラウンド制が改められ、99年7月に開催されたUFC21では1ラウンド5分の3ラウンド(タイトルマッチは5ラウンド)までで、ジャッジが導入されました。こうして徐々にルールを整備してスポーツに近づけていき、アスレチック・コミッションの中にも理解を示す人が出てきました。そしてついにニュージャージー州アスレチック・コミッションとの間でユニファイド・ルールが決定しました。

2000年11月、ニュージャージー州アスレチック・コミッションの許可を受けてUFC28が開かれました。ついにUFCは全米の包囲網から抜け出し、合法的なスポーツとしての歩みを始めることになりました。この大会はユニファイド・ルールが適用され、シューズや道着の着用が禁止され、首や脊髄への肘打ちなどが禁止されました。

ズッファ社の参入

ようやく公的な大会にこぎつけたUFCですが、財政事情は悪化の一途でした。運営するSEGは、これ以上のUFCの継続は不可能と判断して、権利の売却を決めました。売却先はラスベガスのカジノ、「ステーション・カジノ」を運営するフェティータ兄弟と、そのビジネスパートナーでボクシングプロモーターのダナ・ホワイトでした。3人はUFCの権利を買い取ると、ズッファ社を設立しました。

※ダナ・ホワイト


ロレンゾ・フェティータはネバダ州アスレチック・コミッションの委員でもあり、早速ネバダ州でUFCの開催を実現しました。ネバダ州での認可の影響は大きく、以降各州との合意に向けてズッファ社は動き出します。そして長い間禁止されていたケーブルテレビでの放送も再開させます。PPVでの収益は確実に伸びていき、さらに新たなスポンサーも獲得しました。ズッファ社は広告宣伝日を惜しむことなく使い、UFCの知名度は飛躍的に向上しました。しかしその一方で、ズッファ社の負債も飛躍的に増えていきました。

ジ・アルティメット・ファイター

増える収益に対して負債の方が大きくなる現状を見たズッファ社は、近い将来に経営的に行き詰まると考えました。新たな収入源が必要なのは明らかで、リアリティ番組を制作する案が幹部から持ち上がりました。フェティータ兄弟はカジノでリアリティ番組に関わったことがあり、その影響力を知っていたのです。

UFCファイターの発掘と育成を行う企画書をまとめたダナ・ホワイトは、あちこちのテレビ局に持ち込みます。しかし前向きに話を聞く局が1つもないどころか、ほとんどの局ははっきりと拒否してきました。少しづつスポーツとして認知され始めていたUFCでしたが、まだまだ暴力のイメージが強く、家族や友人達と一緒に視聴されることが多いリアリティ番組にそぐわないと考えられたのです。

※現在はパラマウントの傘下です。


しかしこの番組の成功を確信していたホワイトは、何度も企画を練り直してテレビ局に持ち込み、粘り強い交渉を続けました。その結果、スパイクTVが条件付きで制作を認めました。条件はズッファ社が製作費の1000万ドル(約10億円)の負担でした。金を出すなら作ってやるという屈辱的な条件でしたが、ズッファ社は条件を飲みました。そしてこの時から「ジ・アルティメット・ファイター」と名付けられたこの番組は、ズッファ社とUFCの命運を賭けた番組になりました。

ジ・アルティメット・ファイター シーズン1

ズッファ社はコーチ役として、名の知れたチャック・リデルとランディ・クートゥアに任せました。ライトヘビー級とミドル級の候補者8名ずつ計16名が共同生活を送り、トレーニングを受けてUFC選手を目指すもので、生き残った選手にはプロ契約が約束されていました。2005年1月から放送が始まると、スパイクTVの予想に反して大きな反響を呼びます。

※シーズン1の参加者


この番組は、UFCが暴力を見世物にしているのではなく、成功を求めて努力を続け、過酷で厳しいプロの世界で戦い続ける若者達のドラマが詰まっていることを伝えました。UFCのファンは一気に拡大し、最終回で放送されたプロ契約を賭けたトーナメントでは高視聴率を叩き出しました。この成功を受けて、すぐにシーズン2が企画され、この番組は長い間人気番組になっていきます。

ズッファ社は賭けに勝ち、スパイクTVはUFC関連番組を増やしていきました。ズッファ社の収益は大幅に改善し、その資金力を活かして総合格闘技団体を次々に買収しめいきます。

他団体の買収

2006年に資金難から活動を停止していたWFAを買収し、クイントン・ジャクソン、リョート・マチダ、ヒース・ヒーリングらをUFCに参入させました。さらに2007年にはテレビ放送がなくなり立ち往生していた日本の総合格闘技団体PRIDEを買収します。しかしこのPRIDE買収は、ダナ・ホワイトが悪夢と語るほど選手の契約が複雑化しており、さらに暴力団とPRIDEの関係が露呈したため、そのままPRIDEを継続すると、ズッファ社が組織犯罪に関与したとしてFBIの捜査対象になる可能性も出てきました。

※Lヘビー級王者になったリョート・マチダ

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PRIDEの主力選手をUFCに移し、マウリシオ・ショーグンやアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラなどが活躍しました。さらに2010年にはWECを買収して、ジョゼ・アルドやドミニク・クルーズ、アンソニー・ベティスなどを獲得し、軽量級を中心に選手の充実を図りました。そして2011年にはストライクフォースを買収し、ニック・ディアスやアリスター・オーフレイムなどを獲得しています。経営難になった他団体を買収するとこで、まだまだ選手層の薄い総合格闘技の世界で、UFCは圧倒的な選手層を誇るようになりました。

※フェザー級絶対王者と呼ばれたジョゼ・アルド


またストライクフォースの買収は、女子部門の設立にも繋がりました。かつては女子の総合格闘技はお金にならないとも言われましたが、バンタム級王者のロンダ・ラウジーの人気が爆発し、ラウジーが衝撃的なKOで王座から陥落した試合は、ニューヨークタイムズまで報道しました。今やメインイベントが女子の試合になることも珍しくなく、UFCの人気コンテンツになっています。


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まとめ

UFCはさまざまな困難を潜り抜け、大きな集金力を得るようになりました。特に「ジ・アルティメット・ファイター」の成功により、ファン層を拡大できたことで、多くの視聴者を引きつけるコンテンツに変貌し、1億円以上のファイトマネーを得る選手も出てきました。

まだまだズッファ社は多くの課題を抱えていますが、着実な成長を続けてきました。現在の最も大きな問題は選手層でしょう。ランキングを見ると、何年も同じような顔ぶれの階級があります。女子は特に深刻で、新設されたフェザー級は、バンタム級女王のアマンダ・ヌネスが王座を獲得してから、ほとんど動きがありません。他団体の買収が落ち着いた現在、新たな発掘と育成が必要になっています。今後、UFCがどのようになるのか、ダナ・ホワイトの手腕が期待されます。


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