ナイフ一本で40人の武装強盗に立ち向かった兵士 /勇猛果敢なグルカ兵
2010年の秋、インドで40人もの武装強盗にだった1人で立ち向かい、撃退した兵士のニュースが外信から入ってきました。兵士が手にした武器はナイフ1本で、まるでハリウッド映画のような出来事に、にわかには信じられませんでした。しかしこの出来事は事実だったようで、複数の通信社が伝えていました。今回は、この映画のような事件を振り返ってみたいと思います。
夜になりシュレスタも多くの乗客も眠っていましたが、突然列車が止まり銃やナイフで武装した40人もの強盗団が乗り込んできました。彼らは乗客を脅して財布や時計、ノートパソコンなどを奪っていきました。シュレスタは抵抗せず、強盗団に貴重品を渡しました。乗客の中には、強盗に抵抗して怪我を負った人もいました。シュレスタは沈黙を守り、ただじっと強盗団の様子を見ていました。
このまま強盗団が、金品を奪って去っていれば強盗事件の1つとして多くの人の記憶に刻まれることもなかったでしょう。しかし強盗団の1人が、シュレスタの近くにいた18歳の少女の服を引き裂き、レイプしようとしたことで状況は一変しました。少女の妹と思われる女の子が「お姉ちゃんを助けて」と泣き叫んでいたそうです。「こういう状況は、もう沢山だと思いました。私は彼女を自分の妹のつもりで行動しました」と、シュレスタは語っています。
ククリナイフを抜いたシュレスタは、少女に襲いかかる男の喉を切り裂きました。次に喉を切り裂かれた男を掴むと、彼を人間の盾にして他の強盗に応戦しました。列車の中では銃声が響き、血が飛び散ります。10分ちょっとの戦いの中で、シュレスタは3人を殺害し8人を負傷させました。強盗団は退散して、乗客は守られました。シュレスタは左腕を負傷し、激しく出血してその場に倒れたようです。列車は次の駅に向かい、そこでシュレスタを含む怪我人が病院に搬送されました。
フォークランド紛争にもグルカ兵は投入され、グルカ兵が攻めてきたと聞いたアルゼンチンの部隊が、基地を放り出して逃げたという逸話があるほどグルカ兵の強さは知れ渡っています。平均身長が150cm程度と山岳民族特有の小柄さで、ククリナイフと呼ばれる鉈とナイフの中間のような武器がシンボルになっています。その白兵戦での強さは、精鋭を集めたSAS(Special Air Service)でも手こずらされるほどで、特に体格差による優位性が少なくなる斜面地では圧倒的な強さを見せたそうです。イギリスだけでなくインド軍にも10万人ほどのグルカ兵がいて、グルカ連隊を構成しています。
軍隊の世界では「死を恐れないと言う奴がいたら、そいつは嘘つきかグルカ兵だ」と言われるほど、勇猛果敢さで知られています。
伝統的なククリナイフのハンドルは、水牛の角か広葉樹で作られています。しかし近年では金属製や象牙など、さまざまなバリエーションがあります。叩き切ることに特化した大型ナイフであり、他では見ることない特徴的な武器になっています。現在ではさまざまなメーカーが、ククリナイフを販売しています。
インド政府は、シュレスタの勇気と献身さに勲章を授与しました。退役を決めていたシュレスタですが、インド軍はシュレスタを一時的に軍務に戻すと昇進させて、より高額な年金が支給されるようにしました。さらに5万ルピーのボーナスと終身無料航空券や銀のククリナイフを送るなど、シュレスタに最大限の待遇を与えています。
このニュースが報じられると、インドとネパールを中心に大きな反響が起こり、そのニュースが正確に大々的に報じられたことについて、彼は感謝の言葉を述べています。どうも列車で大暴れしたシュレスタは、自分も強盗の一味と間違われることを恐れていたようで、刑務所行きではなく多くの感謝を受けることができて良かったと述べています。またインドの映画スタジオは、彼の生涯を映画化すると発表しましたが、未だ実現していません。
もっともこの指摘に合わせて、おそらくシュレスタは命を捨てる覚悟で挑んだであろうし、その勇猛さやインド兵士として市民を守る誇り高さ、そして何より慌てず相手が隙を見せるまで待つ冷徹さと、日頃から戦う準備を怠らなかったことは最大限に称賛されることだとも言っていました。そのうえに幸運が重なったことが、生還を可能にしました。さらにこの方は、軍の精鋭なら誰でも武装集団に1人で対峙出来るとは思わないで欲しいとも付け加えていました。
事件の流れ
2010年9月、インドのラーンチーからゴーラクプルに向かう列車に、ヴィシュヌ・シュレスタ(Bishnu Shrestha)というインド兵が乗っていました。彼はインド陸軍に所属するグルカ兵で、退役して実家に帰る途中でした。それは西ベンガルのジャングルの景色を眺める、のんびりとした旅になるはずでした。夜になりシュレスタも多くの乗客も眠っていましたが、突然列車が止まり銃やナイフで武装した40人もの強盗団が乗り込んできました。彼らは乗客を脅して財布や時計、ノートパソコンなどを奪っていきました。シュレスタは抵抗せず、強盗団に貴重品を渡しました。乗客の中には、強盗に抵抗して怪我を負った人もいました。シュレスタは沈黙を守り、ただじっと強盗団の様子を見ていました。
このまま強盗団が、金品を奪って去っていれば強盗事件の1つとして多くの人の記憶に刻まれることもなかったでしょう。しかし強盗団の1人が、シュレスタの近くにいた18歳の少女の服を引き裂き、レイプしようとしたことで状況は一変しました。少女の妹と思われる女の子が「お姉ちゃんを助けて」と泣き叫んでいたそうです。「こういう状況は、もう沢山だと思いました。私は彼女を自分の妹のつもりで行動しました」と、シュレスタは語っています。
ククリナイフを抜いたシュレスタは、少女に襲いかかる男の喉を切り裂きました。次に喉を切り裂かれた男を掴むと、彼を人間の盾にして他の強盗に応戦しました。列車の中では銃声が響き、血が飛び散ります。10分ちょっとの戦いの中で、シュレスタは3人を殺害し8人を負傷させました。強盗団は退散して、乗客は守られました。シュレスタは左腕を負傷し、激しく出血してその場に倒れたようです。列車は次の駅に向かい、そこでシュレスタを含む怪我人が病院に搬送されました。
グルカ兵とは
ネパールのグルカ族で構成される軍隊で、白兵戦では世界屈指の強さを持つと言われています。1814年に起こったイギリスの東インド会社とネパール王国の戦争(グルカ戦争)で、グルカ兵に手を焼いたイギリス軍は、彼らを徴用するようになりました。その後、イギリス軍に正式に編入され、現在もイギリスにはグルカ旅団が存在します。※インドのグルカ兵 |
フォークランド紛争にもグルカ兵は投入され、グルカ兵が攻めてきたと聞いたアルゼンチンの部隊が、基地を放り出して逃げたという逸話があるほどグルカ兵の強さは知れ渡っています。平均身長が150cm程度と山岳民族特有の小柄さで、ククリナイフと呼ばれる鉈とナイフの中間のような武器がシンボルになっています。その白兵戦での強さは、精鋭を集めたSAS(Special Air Service)でも手こずらされるほどで、特に体格差による優位性が少なくなる斜面地では圧倒的な強さを見せたそうです。イギリスだけでなくインド軍にも10万人ほどのグルカ兵がいて、グルカ連隊を構成しています。
軍隊の世界では「死を恐れないと言う奴がいたら、そいつは嘘つきかグルカ兵だ」と言われるほど、勇猛果敢さで知られています。
ククリナイフとは
起源はさまざまな説がありますが、くの字型の刀身が特徴です。大型のナイフで、農機具だったという説や宗教儀式の道具だったという説があり、真相は不明です。ブレードの根元が特徴的な形で欠き込まれていて、これは血液や樹液がハンドルに垂れないためとか、ヒンドゥー教徒が崇拝する牛の足の形であるとか、シバ神の性器であるとか、戦闘で相手のブレードを挟んで叩き落とすためとか、さまざまな説が交錯しています。伝統的なククリナイフのハンドルは、水牛の角か広葉樹で作られています。しかし近年では金属製や象牙など、さまざまなバリエーションがあります。叩き切ることに特化した大型ナイフであり、他では見ることない特徴的な武器になっています。現在ではさまざまなメーカーが、ククリナイフを販売しています。
その後のヴィシュヌ・シュレスタ
左腕を負傷したシュレスタは、2ヶ月もの入院を余儀なくされました。動脈を切っていたため、かなりの出血があったようですが、治療とリハビリによって回復したそうです。助かった少女の家族は、シュレスタにお礼と多額の報酬を渡そうととしましたが、兵士である自分は市民を守るのが仕事だからと断っています。しかし単なる義務とは言えない彼の英雄的な行動は、多くの称賛を集めました。インド政府は、シュレスタの勇気と献身さに勲章を授与しました。退役を決めていたシュレスタですが、インド軍はシュレスタを一時的に軍務に戻すと昇進させて、より高額な年金が支給されるようにしました。さらに5万ルピーのボーナスと終身無料航空券や銀のククリナイフを送るなど、シュレスタに最大限の待遇を与えています。
このニュースが報じられると、インドとネパールを中心に大きな反響が起こり、そのニュースが正確に大々的に報じられたことについて、彼は感謝の言葉を述べています。どうも列車で大暴れしたシュレスタは、自分も強盗の一味と間違われることを恐れていたようで、刑務所行きではなく多くの感謝を受けることができて良かったと述べています。またインドの映画スタジオは、彼の生涯を映画化すると発表しましたが、未だ実現していません。
幸運に恵まれたという意見
アメリカのニュースだったと思いますが、元軍人の方が、シュレスタは幸運に恵まれたから生還できたとコメントしていました。どんな屈曲な兵士でも、40人もの武装強盗団に立ち向かって勝てるものではないというのです。夜間の列車内という視界が悪く、動きにくい場所で突然襲われた強盗団はパニックに陥ったのだろうと予想していました。列車を完全に制圧し、警戒心も薄れた頃にシュレスタが反撃に出たため、パニックはより起こりやすい状況だったようです。※エリザベス女王とイギリスのグルカ兵 |
もっともこの指摘に合わせて、おそらくシュレスタは命を捨てる覚悟で挑んだであろうし、その勇猛さやインド兵士として市民を守る誇り高さ、そして何より慌てず相手が隙を見せるまで待つ冷徹さと、日頃から戦う準備を怠らなかったことは最大限に称賛されることだとも言っていました。そのうえに幸運が重なったことが、生還を可能にしました。さらにこの方は、軍の精鋭なら誰でも武装集団に1人で対峙出来るとは思わないで欲しいとも付け加えていました。
グルカ兵は本当はグルになるやグループに関係する軍隊用語である。
返信削除ぐるになるのぐるはグループが語源ではなく 浄瑠璃などでも出てくる日本語らしいですよ
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