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11月, 2017の投稿を表示しています

最上を目指したワークブランド フィルソン

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ここ数年、アメリカのワークブランド、 フィルソン がバッグを中心に人気を集めています。フィルソンは過酷な自然の中で働く人のための製品を100年以上作り続けているブランドで、とにかく丈夫なつくりが特徴です。この20年ほど、多くのアパレルブランドは数年に一度は買い換えてもらうために、何十年も使い続けるような製品を作らなくなりました。フィルソンの人気は、そういったアパレル業界へのアンチテーゼを感じます。 ※フィルソンのニューヨーク店 関連記事 とにかく丈夫なフィルソンのバッグ フィルソンのバッグ /リュックサックをレビュー フィルソン・マッキーノクルーザー /森のタキシードと呼ばれる傑作アウター クリントン・C・フィルソンとゴールドラッシュ オハイオ州で車掌の仕事をしていたクリントン・C・フィルソン は、1897年にシアトルで起業します。当時のシアトルはゴールドラッシュによって急速に人口が増えつつあり、一攫千金を狙う山師を相手に商売を始めたわけです。 ※クロンダイクのゴールドラッシュ 一部のフィルソンの解説では、1949年に始まったカリフォルニアのゴールドラッシュと混同していますが、フィルソン が商売を始めたのは1896年から始まったカナダのユーコン準州クロンダイクで起こったゴールドラッシュです。30万人がクロンダイクを目指し、厳しい自然環境のためにたどり着けたのが3万人弱で、金塊にありつけたのが5000人に満たなかったと言われています。 山師のためから木こりのためへ あまりの過酷さに、山師達はフィルソン の店に貼られた天候情報を見て、フィルソン の防寒具を買ってクロンダイクに向かいました。ゴールドラッシュはフィルソンを繁盛させましたが、ゴールドラッシュは数年で終わり客足が遠のいてしまいます。 フィルソンが新たに顧客にしたのは、木こりでした。さらに鉱夫などの作業着も展開します。これで一時は停滞したフィルソン が復活し、過酷な環境で働く人たちのための丈夫な服として100年以上もアメリカで愛されています。 代表的なモデル マッキノウ・クルーザー 最近はマッキーノと書かれていますが、Mankinawをマッキーノと読むのは気持ち悪いので、マッキノウと書きます。クルーザーは息の長い商品

魅力的なボールペン ロットリング 4 in 1

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手帳をに記入するボールペンは、ずっと4色ペンを使っていました。黒で予定を書き、赤や青で注釈をつけるからです。しかしずっと使っていたラミー2000の4色ペンの軸が折れてしまい、現在は ロットリング の4 in 1を使っています。これはなかなか優秀なペンです。ロットリングと言えば、建築関係で有名なメーカーですよね。製図をする人なら一度は使ったことがあるメーカーだと思います。 ※ロットリング4in1 ロットリング 4 in 1とは 3色ボールペン(黒、赤、青)に加えて、シャープペンシルを内蔵したペンです。これだけの機能を有しながら、細いのが魅力です。ボールペンのリフィル(芯)は4C規格なので、ジェットストリームなどの日本製のリフィルが使えます。 ボールペンの切り替えは、ノックで行います。赤を使いたい時は、軸に印字された赤のマークを上にノックすれば赤の芯が出てきます。青を上にしてノックすれば青が出てくる仕組みです。日本の多色ボールペンのように、ノックボタンが色の数だけあるわけではないので細くできるんですね。 ロットリングとは 1928年にドイツのハンブルクで単除したブランドです。ニブがなく針のようなペン先の万年筆ティンテンクリを開発しました。ティンテンクリは34カ国で大ヒットになりますが、第二次大戦の激化によって会社は縮小することになります。 1953年には製図ペンを製作し設計の分野で人気となると、1979年に製図用シャープペンシル、ティッキーを発売して大ヒットになります。1989年に発売したロットリング600は、現在でも製図用シャープペンシルの定番で、素材が異なる300、500とともに建築や機械の分野で広く使われています。 ロットリングの代表作 ロットリング500 これとステッドラー社の925が、製図用シャープペンシルの代名詞とも言えるペンです。建築学科、機械工学科がある大学なら、校内の売店でも売っている定番品です。私も0.7mmを持っていました。やや前掛かりの重心が絶妙で、これに慣れるとずっと使い続けたくなります。ただし握る力が強い人からは、グリップがやすりみたいで痛いという声もあります。 ポイント5倍 【メール便可】 ロットリング メカニカルペンシル 500N 製図用シャープペンシル (

祝婚約!やっぱりお騒がせなヘンリー王子

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イギリスのヘンリー王子が、アメリカ女優のメーガン・マークルと婚約を発表しました。ヘンリー王子が交際を宣言していましたが、婚約が実現するとは思いませんでした。イギリス王室は猛反対したはずで、メーガンには3つのハンデがあったのです。 (1)離婚歴がある。 (2)アメリカ人である。 (3)黒人の血を引いている。 関連記事 なぜイギリス王室の男性は結婚指輪をしないのか ヘンリー王子は王室の反逆者か メーガン・マークルとは 1981年生まれのアメリカの女優で、オランダ系アイルランド人の父とアフリカ系アメリカ人の母の間にロサンゼルスで生まれました。2011年から始まったテレビドラマ「 スーツ 」で主要キャストのパラリーガルを演じ、幅広い人気を獲得しました。映画プロデューサーのトレヴァー・エンゲルソンと結婚しましたが、1年後に離婚しています。 ※「スーツ」に出演していたメーガン・マークル 離婚歴のハンデ イングランド国教会は離婚が禁じられていて、国王の夫人には離婚歴がある女性は好ましくないとされてきました。エリザベス女王の父の兄にあたるエドワード8世は、国王の地位に就いたにも関わらず離婚歴のある女性との結婚を望み、退位しました。この退位は、イギリスの開戦を上回る衝撃だったと言われています。 ※エドワード8世 しかしヘンリー王子の父、チャールズ王太子はダイアナ妃と別れて離婚歴のあるカミラと結婚しているので、以前ほど離婚に関してはとやかく言われなかったのかもしれません。婚約を発表したということは、エリザベス女王の許可が降りたということでもあります。 ヘンリー王子とは チャールズ王太子とダイアナの間に生まれた2番目の子供です。兄はウイリアム王子で、王位継承順位は第5位になります。子供の頃からスキャンダルが多く、お騒がせ王子として有名です。 14歳でアルコール中毒になる。 18歳でマリファナを吸う。その後、麻薬中毒患者のセミナーに参加する。 イートン校卒業後には、不正疑惑が持ち上がる。 21歳の時にナチスの制服を着てパーティに参加。激しい批判を浴びる。 22歳の陸軍士官学校の卒業パーティで、ストリッパーと大騒ぎしている写真を撮られる。 その他、全裸写真やパンチラ写真、ポロの試合での落馬などタブロ

なぜ福岡出身のミュージシャンが多いのか

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福岡県出身の芸能人は多く、中でもミュージシャンは特に多いので、なぜ福岡ばかりがと言われることがあります。比較的最近の人だと、家入レオ、YUI、浜崎あゆみ、MISIA、草野マサムネ(スピッツ)、ナンバーガール。少し遡ると徳永英明、チェッカーズ、中村あゆみ、陣内孝則、アップ・ビート、ルースターズ、石橋凌(ARB)、ザ・モッズ、鮎川誠(シーナ&ロケッツ)。もう少し遡ると、井上陽水、郷ひろみ、武田鉄矢、財津和夫(チューリップ)などなど、挙げだすとキリがありません。これにアイドルの松田聖子や酒井法子、篠田麻里子あたりまで加えだすと、とんでもない数になってしまいます。 そこで、よく質問される「なぜ福岡出身のミュージシャンが多いのか?」を考えてみたいと思います。 東京から遠い経済圏 九州最大の都市なので人が集まりやすく、福岡だけでミュージシャンが何とか食べていける環境があります。そのため福岡県以外の出身者が、福岡で音楽活動をしているケースもあります。その代表例が、鹿児島出身の長渕剛です。福岡の大学に進学し、ライブハウスやバーで歌っていました。 また80年代に人気を得たアンジーというバンドも、山口県出身ながら福岡で活動して人気バンドになりました。85年のロックイベント「天神解放地帯」のパフォーマンスや、東京でメジャーデビューが決まった時のビブレホールでのコンサートなどは伝説になっています。嘘か本当かわかりませんが、客がジャンプしすぎてビブレホールのコンクリートの梁にヒビが入ったなんて言われていました。 ※アンジー 経済圏としてそれなりの規模があり、東京に行くには遠すぎるという地域性が、多くの人材を育てた一因かもしれません。そして東京と距離があるために、東京で成功することを夢見て多くのミュージシャンが東京へ進出して成功をおさめました。 祭り好き 「山笠があるけん博多たい!」じゃないですが、基本的にお祭りが好きな人が多く、伝統的な祭りにこだわらずに人な集まって何かをやるのが好きです。そのため音楽イベントが多く開催されていて、そこを足がかりに知名度を上げる人が少なからずいます。 1965年のエレキギター禁止令により、教育現場や公共の場所での排除が全国的に高まった時期も、なんだかんだで福岡ではイベントが開かれ

「ダメ。ゼッタイ。」では薬物中毒者は助からない

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違法薬物に手を出すのはダメですが、そもそもなぜ禁止されているのか?なにが危険なのか?ということは、知っているようで知られていない部分が多くあります。覚醒剤と麻薬の違いを説明できる人は少ないですし、それらがどんな薬でどんな症状があるのか曖昧なままになっている人の方が多いのではないでしょうか。 薬物の話は多岐にわたるので、今回は覚醒剤に絞って書いてみようと思います。日本でも広く出回っている違法薬物で、暴力団の有力な資金源だからです。 1.覚醒剤ってなんなの? 覚醒剤にはアンフェタミンとメタンフェタミンの2種類があり、どちらも脳神経を活性化させる薬です。アンフェタミンは19世紀にドイツで、メタンフェタミンは同じく19世紀に日本で合成されました。市販は戦前のアメリカで始まり、ぜんそくの薬として販売されています。 日本では太平洋戦争が始まる1941年に、滋養強壮剤として販売が始まります。住友製薬のヒロポンや武田薬品のゼドリンがそれで、長時間労働者や夜間に働く人の眠気止めとして人気でした。戦時中は疲労困憊した兵士の間で人気が高まり、軍隊も支給しています。戦後も労働者を中心に疲労回復薬として、特にヒロポンが人気でした。マンガ「サザエさん」にも登場し、間違って子供が飲んで陽気になる話があります。 しかし使用者が増えてから、高い中毒性と副作用があることがわかり、日本だけでなく世界各国で禁止されました。治験の時から中毒性は指摘されていましたがタバコ程度と認識され、さらに副作用はほとんど認識されていませんでした。日本では1951年に禁止されています。 2.覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか 覚醒剤を1回でもやれば、中毒になってしまうという警告が繰り返し行われています。しかし上記のように、覚醒剤は10年間も薬局で売られていた薬で、1回で中毒になってしまうなら治験の時にわかっていたはずです。これは過剰な脅し文句です。 そのため、覚醒剤を使った人に対する脅しにはなりますが、興味本位で使った人には、大したことはないと錯覚させてしまいます。大したことないから再度使用し、使用を繰り返すうちに中毒になってしまいます。過剰な脅しは、逆効果になる場合もあります。 「覚醒剤やめますか、それとも人間止めますか」は、 日本民間放