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1月, 2019の投稿を表示しています

ジェントルマンズ・ナイフという廃れた文化

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ジェントルマンズ・ナイフという言葉は欧米でも死語に近いようで、英語の掲示板でも「ジェントルマンズ・ナイフって何を指すの?」といった質問が出ていたりします。そこで今回はジェントルマンズ・ナイフとは何なのかという話を書いてみたいと思います。 ナイフ関連記事 刃物の危険さを知らない人たち /子供から刃物を奪って消えたもの スパイダルコ ドラゴンフライ2 /机の中の小道具 スパイダルコ デリカ4 /スタンダードすぎるナイフ モキナイフの美しさ /グローリーの紹介  ビクトリノックスの世界 /マルチツールの長い歴史 イギリスのシェフィールドが発祥? いくつかの資料によると、ジェントルマンズ・ナイフはイギリスのシェフィールドで作られたのが最初だと書いてあります。確かに18世紀半ばにシェフィールドではスイッチブレードのナイフ(日本では飛び出しナイフと呼ばれる)、つまりボタンを押すとバネで刃が飛び出してくるナイフが発明され、ワンタッチで使える便利さから広く普及しました。 18世紀半ばといえばジェントリ階級の人々が増えていき、ジェントルマンと呼ばれる人たちが力を持っていた時代ですから、このスイッチブレード式ナイフを発祥と考えるのも間違いではない気がしますが、同じような用途のものはそれ以前から用いられています。 かつてはナイフの持ち歩きが常識だった ジェントルマン、つまり紳士の身だしなみとしてナイフを持ち歩いていました。手紙を開ける時、服のほころびから出た糸を切る時、チーズを切り分ける時、ワインのコルクまわりの包みを開ける時など、ちょっとした際に使うためのナイフを持っておくのは常識だったのです。そしてそれらのナイフは威嚇的ではなく、攻撃性もなくエレガントなものだったのです。 ジェントルマンではなくてもナイフは多くの人が持っていました。上記と同じような理由です。日本でも同様で、小型のナイフを持ち歩くのは当たり前のことでした。日本の子供にいたっては小刀を持たなければ鉛筆を削ることもできず、山に入って竹とんぼを作ったりして遊ぶこともできませんでした。まともに遊びたければ小刀は必需品だったのです。 ※小刀 楽天より 話をジェントルマンに戻すと、彼らは身分に応じて高価な材料をハンドルに使い装飾を施したものを持ちました

シャイで謙虚でパワフルな女王 /大坂なおみが全豪優勝

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大坂なおみが全米オープンで優勝した時に英語掲示板に書かれた「コートでは勇敢でパワフルなのに、コートの外では謙虚でシャイ。なんてキュートなんだ」というコメントに、多くの賛同が集まっていました。今回の全豪オープンでは、勇敢さとパワフルさに加えて、少しだけ老獪さも加わったように思います。それにしても四大大会連覇という偉業は、本当に素晴らしい! 関連記事: 大坂なおみは日本に残るだろうか /アメリカ市場と二重国籍 全豪オープンの特徴 四大大会の全英はグラスコート(芝)、全仏はクレイコート(赤土)、 ですが、全米と全豪はハードコートと呼ばれるコンクリートの硬いコートで行われます。そのため球足が速く、パワーのある選手に有利になる傾向があります。 そして全豪といえば暑さで有名です。なぜ真夏に開催されるのかは知りませんが、気温が40度になることも珍しくなく、そんな時は熱せられたコート上は50度を超え、熱中症が多発する大会としても知られています。あまりの暑さに試合中の記憶が飛んでいることもよくあるそうで、安全面への配慮から40度を越える場合には屋根を閉めて試合が行われます。 選手の生命を脅かしているとして、開催時期の変更などが何度も議論されており、この暑さのために番狂わせも多く起こる大会です。しかし大坂は暑いほど自分が輝くと言い、この暑さを歓迎しています。決勝戦も40度を超えていて、気温も味方をしたのかもしれません。 走り込んできた大坂なおみ とにかく走り込んで体力をつけた大坂は、今大会では運動量で相手を上回っていました。特徴的だったのはフットワークが細かくなったことで、従来なら1歩で移動するところを2歩で移動するように、急激な変化に対応できるようになっていました。 運動量で上回ると、思い切った手に出ることも増え、3回戦ぐらいまではドロップショットを使っていました。これは大きな変化だと思います。このような一面に、大坂なおみの伸びしろを感じます。 インナーピースを手にした 決勝戦の第2セットは、マッチポイントを奪いながら自らのミスを絡めて奪われるという、精神的に最も辛い展開でした。ラケットを叩きつけそうになり、大声で叫び、気持ちが追い詰められていました。しかし第3セットでは感情を押し殺すように無表情で、淡々とエースを奪っていきま

揉める普天間基地 /反対派と賛成派と混ぜ返す人

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最近になって芸能人の参戦もあり、普天間基地の問題がさらに揉めています。反対派と賛成派の主張が入り乱れ、さらにわざわざ問題をややこしくする人もいるので、こじれにこじれてしまいました。実にわかりにくい普天間基地移設問題を、私なりに解説したいと思います。 ※普天間基地 発端は1995年の事件 住宅街音真ん中にある普天間基地の返還は、以前から声を上げる人がいました。しかし返還の機運が一気に高まったのは、米兵による暴行事件がきっかけです。95年9月、米海兵隊の2名と米海軍の1名、計3名が商店街で買い物をしていた12歳の少女を拉致し、強姦する事件が発生しました。沖縄県警はあらゆる証拠から米兵の関与は明白だとして逮捕状を請求しますが、日米地位協定によって犯人の身柄が引き渡されない可能性が出てきました。 ※米兵の蛮行を批判する集会 これには沖縄県だけでなく日本全国で怒りの声が上がり、犯人の引き渡しだけでなくアメリカ軍の沖縄からの撤退を求める声が上がります。司令官の「レンタカー代で女が買えた」という不適切発言も手伝って、沖縄では激しいデモが起こりました。これをきっかけに、普天間基地の移設問題が日米両政府の間で持ち上がります。 近隣住民も米軍も嫌がる普天間基地 不動産業者に聞くと、普天間基地の周辺は人気エリアだそうです。学校にも買い物にも近いので便利が良いそうですが、戦闘機の離着陸の騒音はすさまじく、住民の悩みになっているようです。米軍機の事故が起こるたびに住民は冷や冷やするそうで、住宅をかすめて戦闘機が通るのは心理的にも怖いと思います。 一方で、米軍も住宅街のど真ん中で離着陸するのは恐ろしいのです。飛行機がオーバーランしたり、離着陸時にトラブルがあれば住宅に突っ込むのですから普通の空港より神経を使います。周囲に何もなければ不時着も可能ですが、鉄筋コンクリートの学校に飛行機が突っ込めばパイロットだって命の保証はありません。特に夜間のスクランブルなどは神経を使うそうで、近隣住民同様に米軍も移転を望んでいます。 橋本内閣の奮闘 1996年に橋本龍太郎が内閣総理大臣に就任すると、橋本の強い意向で日米首脳会談のテーブルに普天間基地問題をのせました。橋本総理は公使に渡って十分な勉強をしてきたようで、並々ならぬ意気込みを見せて周囲を驚かせ

WHOも認めたゲーム障害 /ゲームは脳に障害を与えるのか

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かつてゲーム脳という言葉が流行ったことがありました。日本大学の森昭雄教授が出版した「ゲーム脳の恐怖」という本が発端で、テレビゲームをすると脳に悪影響を及ぼすと警告して話題になりました。しかしこの本には科学的な誤りが散見され、似非科学と批判を受けるようになり忘れられていきました。しかし2018年に世界保健機関WHOが「国際疾病分類」にゲーム障害というのを掲載し、再びゲームによる脳への影響が議論されるようになりました。 ゲーム脳は何が変だったのか? 2002年に「ゲーム脳の恐怖」が出版されると、多くのメディアが取り上げてゲームの危険性を伝えました。しかし森教授が独自に作った簡易脳波測定機は医学的な手続きを踏んでいなかったため、正しく脳波を検出しているのか不明でした。 さらに本の中には何度もα波やβ波が登場しますが、脳科学で使われるα波やβ波とは説明が異なり、これらが何を示しているのか不明でした。そもそも森教授は体育学科の教授で、脳科学の専門家ではなかったため、α波やβ波の意味すら理解していないのでは?という疑問が生まれました。 またゲーム脳を支持する柳田邦男(民俗学者の方でもジャーナリストの方でもなくノンフィクション作家の人)をはじめとする人達の論調も、科学的というより感情的なものが多く、やがてゲームを理解できない世代のヒステリーのように扱われていきました。 ゲーム障害とは オンラインゲーム、オフラインゲームを問わずにゲームに熱中しすぎて生活に支障をきたすことを指します。韓国では86時間も続けてプレイした結果、エコノミークラス症候群で死亡した例もあり、アジアを中心にプレイ時間の規制などが始まっています。 MRIで脳を観察すると、ゲームに依存している人の脳はアルコール依存やギャンブル依存の人と同様の反応を示しているという報告や、前頭葉の萎縮といった症状が見られるという報告もあり、ゲームが脳に悪影響を及ぼしていると言われています。 脳への影響への疑問 脳に何らかのトラブルを抱えている人がいるのは事実でしょうが、そもそも寝食を忘れて1日に何時間も何かをすれば、それが読書であれ絵を描くことであれ、悪影響が出るのは当然だと思います。被験者として例に出てくる人は、1日に20時間もプレイしていたような人の場合が多く、これほど長時間を同

オピネルのナイフ入門 /久しぶりに買ってみました

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オピネルというナイフをご存知でしょうか?キャンプをする人にはおなじみのナイフで、フランスでは子供に与える最初のナイフだそうです。日本の肥後守のフランス版と思っていいと思います。安価で使いやすく安定した品質を誇るナイフですが、日本での人気は今ひとつの状態です。それは買ってからすぐに使えないオピネルらしい思想が、日本には受け入れられないからだと思います。 ナイフ関連記事 ガーバー社のナイフの世界 /使い勝手と安さで人気 スパイダルコのナイフを紹介 /機能性を追求したナイフ モキナイフの美しさ /グローリーの紹介  コールドスチール /登山からゾンビの襲来まで備えるメーカー 私とオピネル 小1の時に母に肥後守を渡されて以来、文具としてナイフを使っていました。しかし肥後守は次第に売り場から消えていき、ある時出会ったのがオピネルでした。肥後守より高価ですが、フランスの洒落たデザインに惹かれたのです。以降、キャンプにも使いましたが、私が持っていたNo6は刃渡りが短すぎて調理には向かないので、No12を包丁代わりに使ったりしました。 ※肥後守 楽天より この10年くらいはナイフと言えばカッターナイフを使っていたのですが、2018年を振り返るとカッターナイフの消費量が多く、オピネルを研ぎながら使った方が経済的ではないか?と思い立って十数年ぶりに購入してみました。 オピネルは折りたたみナイフの元祖 1890年にフランスのジョセフ・オピネルが考案しました。折りたたみができて、ブレードロック機構が付いたオピネルのナイフは、その後の折りたたみナイフの基本形となりました。 さまざまなサイズが用意され、用途によって選ぶことができます。サイズはナンバーで表され、数字が大きくなるとナイフのサイズも大きくなります。またそれぞれのサイズにカーボンスティール(炭素鋼)とステンレスのブレードがあり、用途によって選べます。 炭素鋼かステンレスか 両者の違いは硬さとメンテナンスのしやすさです。炭素鋼はメンテがしやすい反面、錆びやすいという欠点があります。ステンレスは錆びにくいですが、炭素鋼よりも硬いので刃が切れにくくなった時に研ぎにくいうのがあります。切れ味は炭素鋼の方が優れていると言われますが、研ぎ方によって切れ味が変わるので、個人的