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シエラデザインのマウンテンパーカー /リバイバル人気のアウトドアウェア

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昨年あたりから、 シエラデザイン のマウンテンパーカーを着る人をちょくちょく見かけるようになりました。スーツの上から軽く着ている人や、今風のカジュアルな服に合わせている人などさまざまな着方を見かけます。着ている人も若い方から、50歳代以上と思われる人まで様々で、リバイバル人気が高まってきているように思います。そこで今回は、シエラデザインのマウンテンパーカーについて書いてみたいと思います。 関連記事 フィルソン・マッキーノクルーザー /森のタキシードと呼ばれる傑作アウター バブアーの歴代モデルを紹介 /それぞれの特徴とは バラクータ 着る人を選ぶアウター N-3Bを米兵から買った話 /暖かさ抜群のコートでした シエラデザインとは 1965年にジョージ・マークスとボブ・スワンソンによって、カリフォルニア州に設立されたアウトドアメーカーです。60/40クロスと名付けられた生地を使い、マウンテンパーカーをリリースして以降、アウトドア用品を次々に開発していき、現在に至ります。 ジョージとボブはアウトドアを楽しむ仲間でしたが、彼らは経験上、遭難などの際には着る物によって生存率が変わることを知っていました。しかし彼らを満足できるアウトドアウェアはどこにも存在せず、2人で作ることにしました。綿は汗などを吸ってくれるうえ、通気性もある優れた素材です。水分を吸うと繊維が膨張して雨などの侵入も防いでくれます。しかし耐久性に問題があり、過酷な条件下のアウトドアでは耐摩耗性や破れに弱いという欠点があります。強靱さを考えるとナイロンの方が圧倒的に優れており、また撥水性でも綿より優れています。しかしナイロンには通気性がないため、汗をかくと蒸れてしまいます。 ジョージとボブはこの2つの素材の良い部分だけを使えるように、試行錯誤しました。そして2人が出した結論が、綿60パーセント、ナイロン40パーセントの配合で織られた生地でした。2人は60/40クロス(ろくよんくろす)と名付け、これを使ってマウンテンパーカーを製造することにしました。彼らはミシンを持ち込み、マウンテンパーカーの製造に励みます。このマウンテンパーカーは評判を呼び、1966年には小売店を持つことになりました。 1968年、正社員が28人にまで増え、新たにミイラ寝袋を発売します。この...

N-3Bを米兵から買った話 /暖かさ抜群のコートでした

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また90年代の前半だったと思います。オートバイでフラフラしていた私と友人は、食事を取ることにしました。なんとなくアメリカンな雰囲気の食堂に入ると、数名の米兵が食事をとっていました。彼らは軽く酔っていて、私たちにオートバイを見せろとか言って、話しかけてきました。 関連記事: フライトジャケットはロマンで着る なぜか宴会に どうやら米兵の1人が帰国することになったそうで、みんなで飲んでいたようです。私たちが「オートバイに乗ってきたから」とアルコールを断ると「俺が爆撃機で家まで送ってやる」というメチャクチャなことを言い出し、さらに店のオーナーが端っこに駐めているなら明日取りに来ればいいと言い出して、なぜか私たちも加わって酒盛りになっていきました。 1人だけ女性兵士がいて、彼女は飛行機の整備士だと言っていました。他はヘリのパイロットで、無駄に陽気なノリにくたくたになりながら、呂律の怪しい彼らの話を聞いていました。とりあえず悪い人たちではなさそうで、とにかく面白かったですね。 バイクを見たい 私たちは古いハーレーダビッドソン(私のは76年製、友人のは65年製だったと思います)に乗っていたので、それをじっくり見たいと言い出し、私たちは駐車場に出ました。あまりの寒さに全員が店に戻り、アウターを着て震えながらバイクの前であーだこーだと話が続きます。その時に、女性兵士がN-3Bを着ているのに気がつきました。 私「それ、暖かい?」 女「最高よ」 私「俺も欲しい」 女「その革ジャンと交換して」 試しに交換して着てみると、お互いにほとんどピッタリでした。女性兵士は、みんなにヒューヒュー言われて、ストリッパーのような怪しげなセクシーダンスを踊ります。寒空の駐車場でも、この人達のノリは変わりません。ちなみに彼女はセクシー系というより、いかにも軍隊にいそうなドスコイ系でした。 【売り尽くし★冬クリアランスSALE】送料無料 ALPHA INDUSTRIES アルファ インダストリーズ ジャケットNー3B フライト ジャケット Nー3B FLIGHT JACKET MJN31000C1 メンズ 価格:19400円(税込、送料無料) (2019/12/21時点) 楽天で購入 ※アルファ社のN-3B ...

M-51パーカーを買おうと思って考えたこと /モッズコートと呼ばれるアレ

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何年かの周期でM-51を買おうかと考えます。というのも仕事がら埃っぽいところに行くことがあって、そんな時にウールのコートなんかを着てると残念な気持ちになるんです。M-51ならジャブジャブ洗えばいいですし、あまり大事にせずに使い倒せるからです。濡れようが汚れようが気にならないコートって、一着あると便利な気がするんです。そこで今回はM-51パーカーの話です。 関連記事 フライトジャケットはロマンで着る イギリスのモッズとは何かを知っている範囲で整理してみる /モッズパーカーってなんだ? M-51ってなんなの? アメリカ陸軍に支給された防寒着です。1950年代に採用された、いわゆる51年型の防寒着になります。M-51フィールドジャケットというのがあり、寒い時にはその上から羽織る防寒着としてM-51パーカーは支給されました。そのためフィールドジャケットより着丈が長く、身頃もゆったりしたシルエットになっています。このM-51は防寒着の重ね着が前提になっているのです。 M-51は、日本ではモッズコートと呼ばれることがあります。軍事放出品が大量にイギリスに持ち込まれ、モッズと呼ばれた若者たちが着ていたことから呼ばれるようになりました。彼らがM-51を着たのは、とびっきりめかし込んだスーツが汚れないようにするためで、お金がない人が安く手に入るM-51をスーツの上から羽織っていたのです。実際には当時の写真を見るとM-51だけでなくさまざまなコートが使われているのですが、モッズの写真集などの影響もあり、モッズと言えばM-51になりました。これらモッズの話は、以前にも書いたことがあるので割愛します。 関連記事: イギリスのモッズとは何かを知っている範囲で整理してみる /モッズパーカーってなんだ? 一時期、このコートは「青島コート」とも呼ばれていました。大ヒットしたドラマ「踊る大捜査線」で、主人公の青島刑事を演じる織田裕二が来ていたからです。つまりこのコートを着ると、モッズ好きか織田裕二のファンと勘違いされるため、どちらでもない人には実に着るのが難しいアイテムでもありました。 ヒューストンのM-51 どこにでも売っているので、もっとも手軽に購入できるのが ヒューストン のM-51です。上記の「踊る大捜査線」で使われたのもヒューストン製で、ド...

フライトジャケットはロマンで着る

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日本には不要な機能に憧れる人が、案外多くいます。カナダグースのダウンジャケットが日本で売り始めた時、南極の寒さに耐えられるジャケットなんて日本では不要と思っていましたが、大ブームになってしまいました。バイクに乗らない人がライダースジャケットを着たり、飛行機に乗るわけでもないのにフライトジャケットを着ます。過剰なスペックにはロマンがあるわけで、必要かどうかなんて関係ないという考えが、日本のファッションには大きく影響していると思います。 そんなわけで、今回はフライトジャケットの話です。某洋服店の店長が、毎年のように「今年の冬はフライトジャケットが流行ますよ」と言っていて、ちっとも流行らないので書いてみたくなりました。 なぜ初期のフライトジャケットは革製なのか 1908年に、アメリカではT型フォードが発売されました。当時の労働者の年収600ドルに対しT型フォードは850ドルで、従来の自動車よりはるかに安く売られたのです。アメリカでモータリゼーションが始まり、人々は馬車から自動車に乗り換えました。 急激なモータリゼーションは、馬具の生産者達の仕事を奪いました。馬に乗らなくなれば鞍も手綱も不要ですし、馬に乗るためのブーツも入らなくなりました。仕事を奪われた馬具の製造者は、革の加工技術を活かして自動車やオートバイ用の服を革で作るようになりました。特に全身が露出するオートバイに乗る人にとって、安全を守るための脛当てや手袋は必需品でした。馬具職人は、やがてオートバイに乗った時の寒さから体を守るジャケットを作るようになります。ライダースジャケットは、こうやって生まれました。 ※1900年の写真 関連記事: ライダースジャケットを考える /ハード過ぎない着こなし方 1903年にライト兄弟が飛行機の初飛行に成功しますが、飛行機はまだまだ珍しい乗り物でしたし、そもそも飛行機で何ができるかわかりませんでした。しかし極寒の上空では防寒対策が必要になり、多くのパイロットがライダースジャケットを着て飛行機に乗っていました。初期のフライトジャケットはライダースジャケットでした。こうした経緯により、パイロットが着る服は革製であることが当たり前になっていきます。 フライトジャケットの誕生 1914年に始まった第一次世界大戦に、飛行機は偵察用として使われ...