シエラデザインのマウンテンパーカー /リバイバル人気のアウトドアウェア
昨年あたりから、シエラデザインのマウンテンパーカーを着る人をちょくちょく見かけるようになりました。スーツの上から軽く着ている人や、今風のカジュアルな服に合わせている人などさまざまな着方を見かけます。着ている人も若い方から、50歳代以上と思われる人まで様々で、リバイバル人気が高まってきているように思います。そこで今回は、シエラデザインのマウンテンパーカーについて書いてみたいと思います。
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ジョージとボブはアウトドアを楽しむ仲間でしたが、彼らは経験上、遭難などの際には着る物によって生存率が変わることを知っていました。しかし彼らを満足できるアウトドアウェアはどこにも存在せず、2人で作ることにしました。綿は汗などを吸ってくれるうえ、通気性もある優れた素材です。水分を吸うと繊維が膨張して雨などの侵入も防いでくれます。しかし耐久性に問題があり、過酷な条件下のアウトドアでは耐摩耗性や破れに弱いという欠点があります。強靱さを考えるとナイロンの方が圧倒的に優れており、また撥水性でも綿より優れています。しかしナイロンには通気性がないため、汗をかくと蒸れてしまいます。
ジョージとボブはこの2つの素材の良い部分だけを使えるように、試行錯誤しました。そして2人が出した結論が、綿60パーセント、ナイロン40パーセントの配合で織られた生地でした。2人は60/40クロス(ろくよんくろす)と名付け、これを使ってマウンテンパーカーを製造することにしました。彼らはミシンを持ち込み、マウンテンパーカーの製造に励みます。このマウンテンパーカーは評判を呼び、1966年には小売店を持つことになりました。
1968年、正社員が28人にまで増え、新たにミイラ寝袋を発売します。この頃はジョージの母親も縫製部門で手伝っていました。手狭になった彼らは1971年にカリフォルニア州のバークレーに移動し、塗装工場だった建物を本社工場にします。1976年にはAフレームテントをリリースして、総合的なアウトドアメーカーに発展していきます。77年にはドームテント、ダウンジャケットなども発売します。そして79年にはゴアテックスを使った最新のアウトドアウェアを展開するようになりました。その後、会社は順調に成長を続け、94年に本社をカリフォルニア州エメリービルに移し、95年には女性用の寝袋を開発します。このようにシエラデザインは、アウトドアメーカーとして着実な歩みを続けている会社なのです。
76年にMEN'S CLUBが「ヘビアイ党宣言」と題して、「ヘビーデューティ」な服を「アイビー」っぽく着こなす方法を紹介したのが最初と言われており、アウトドアウェアが街に溢れることになります。ジーンズではなくカーゴパンツなどのワーク系パンツ、またはコーデュロイのパンツなどを合わせ、マウンテンパーカーの下にダウンベストを着るのがお洒落でした。今とは全く違う着こなし方ですね。
しかし周囲の評判は最悪でした。当時付き合っていた女性からは「超ダサイ。捨てて」と言われ、友人達からも「これからキャンプに行くの?」とか、「なんで街中で、山に行く格好してるの?」などと散々言われました。なにせ当時は渋カジの流行が残っていて、ビッグシルエットのアメカジが流行っている時代です。ナイキのエアマックスが空前のブームになり、スポーツウェアではチャンピオンのパーカーなども流行っていた頃です。
そして当時は何より、木村拓哉が着たものが大ヒットする時代で、野暮ったいマウンテンパーカーなど、絶対に木村拓哉が着そうにないファッションでした。あまりの評判の悪さに、私はひっそりと実家のクローゼットに仕舞いました。引越しの時に捨てられてなければ、まだ実家にあるはずです。
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シエラデザインとは
1965年にジョージ・マークスとボブ・スワンソンによって、カリフォルニア州に設立されたアウトドアメーカーです。60/40クロスと名付けられた生地を使い、マウンテンパーカーをリリースして以降、アウトドア用品を次々に開発していき、現在に至ります。ジョージとボブはアウトドアを楽しむ仲間でしたが、彼らは経験上、遭難などの際には着る物によって生存率が変わることを知っていました。しかし彼らを満足できるアウトドアウェアはどこにも存在せず、2人で作ることにしました。綿は汗などを吸ってくれるうえ、通気性もある優れた素材です。水分を吸うと繊維が膨張して雨などの侵入も防いでくれます。しかし耐久性に問題があり、過酷な条件下のアウトドアでは耐摩耗性や破れに弱いという欠点があります。強靱さを考えるとナイロンの方が圧倒的に優れており、また撥水性でも綿より優れています。しかしナイロンには通気性がないため、汗をかくと蒸れてしまいます。
ジョージとボブはこの2つの素材の良い部分だけを使えるように、試行錯誤しました。そして2人が出した結論が、綿60パーセント、ナイロン40パーセントの配合で織られた生地でした。2人は60/40クロス(ろくよんくろす)と名付け、これを使ってマウンテンパーカーを製造することにしました。彼らはミシンを持ち込み、マウンテンパーカーの製造に励みます。このマウンテンパーカーは評判を呼び、1966年には小売店を持つことになりました。
1968年、正社員が28人にまで増え、新たにミイラ寝袋を発売します。この頃はジョージの母親も縫製部門で手伝っていました。手狭になった彼らは1971年にカリフォルニア州のバークレーに移動し、塗装工場だった建物を本社工場にします。1976年にはAフレームテントをリリースして、総合的なアウトドアメーカーに発展していきます。77年にはドームテント、ダウンジャケットなども発売します。そして79年にはゴアテックスを使った最新のアウトドアウェアを展開するようになりました。その後、会社は順調に成長を続け、94年に本社をカリフォルニア州エメリービルに移し、95年には女性用の寝袋を開発します。このようにシエラデザインは、アウトドアメーカーとして着実な歩みを続けている会社なのです。
マウンテンパーカーの日本での流行
70年代のアイビーブームの最中、シエラデザインのマウンテンパーカーは日本に上陸しました。ジャケットの上に軽く羽織るアウターとしてMEN'S CLUBが紹介し、POPEYE(当時は女性誌ananの別冊だった)などが追随します。こうしてアメトラ(アメリカン・トラッド)やアメカジ(アメリカン・カジュアル)が大好きな人達の間で、マウンテンパーカーは大人気になります。70年代のアメリカでは自然回帰やエコロジーが話題になっており、アウトドアスポーツが人気になっていました。そうしたアメリカのライフスタイルを日本のファッション雑誌が紹介し、ヘビーデューティなアウトドアウェアが日本でも人気が高まっていた時期でした。マウンテンパーカーだけでなく、ダウンジャケットなどもこの頃から人気になっていきます。76年にMEN'S CLUBが「ヘビアイ党宣言」と題して、「ヘビーデューティ」な服を「アイビー」っぽく着こなす方法を紹介したのが最初と言われており、アウトドアウェアが街に溢れることになります。ジーンズではなくカーゴパンツなどのワーク系パンツ、またはコーデュロイのパンツなどを合わせ、マウンテンパーカーの下にダウンベストを着るのがお洒落でした。今とは全く違う着こなし方ですね。
私とシエラデザイン
95年頃に古着屋でマウンテンパーカーを見つけて購入しました。5000円もしなかったのにコンディションが良く、お買い得だと思って購入しました。色は定番のオレンジで、色褪せた感じが良い味を出していて、それでいてホツレや破れは一切ありませんでした。当時の私はゼネコンの現場監督で、ホコリっぽい建築現場に通勤するのに、M-65をよく着ていました。シエラデザインのマウンテンパーカーも、このような使い方にピッタリだと思ったのです。しかし周囲の評判は最悪でした。当時付き合っていた女性からは「超ダサイ。捨てて」と言われ、友人達からも「これからキャンプに行くの?」とか、「なんで街中で、山に行く格好してるの?」などと散々言われました。なにせ当時は渋カジの流行が残っていて、ビッグシルエットのアメカジが流行っている時代です。ナイキのエアマックスが空前のブームになり、スポーツウェアではチャンピオンのパーカーなども流行っていた頃です。
そして当時は何より、木村拓哉が着たものが大ヒットする時代で、野暮ったいマウンテンパーカーなど、絶対に木村拓哉が着そうにないファッションでした。あまりの評判の悪さに、私はひっそりと実家のクローゼットに仕舞いました。引越しの時に捨てられてなければ、まだ実家にあるはずです。
代表モデル
マウンテンパーカー(60/40クロス)
こちらがシエラデザインの定番になります。60/40クロスを使い、ラグランスリーブで4ポケットになります。着ていくとヨレた感じが出るようになり、独特の風合いになります。ミドル丈なのでジャケットの上から着ても裾が出ることがありません。以前のモデルに比べて袖が細くなっており、よりモダンな感じになっています。マウンテンパーカー(60/40クロス)ショートパーカー
現代風に着丈を短くしたマウンテンパーカーです。ショップにもこちらの方が品揃えが多いことが多く、ショート丈の方が売れているようです。ペンドルトン・ラインド・マウンテンパーカー
ライナーにペンドルトン・ウーレンミルズ社の羊毛生地を使ったモデルです。ミリタリー・マウンテンパーカー
シルエットは従来のマウンテンパーカーと同じですが、ライナーに薄手のマイクロフリースを採用し、保温性を高めたモデルです。フロントがダブルジッパーになっています。ライトパーカー
素材を60/40クロスではなくナイロン100%にし、軽量化を図ったモデルです。4つポケットではなく、ハンドウォーマーに縦ポケットを備えています。ダウン・シエラ・ベスト
60/40クロスにダウンとフェザーを配合した中綿を採用したベストです。ダウンとフェザーの配合は85:15になっています。ダウン・シエラ・ジャケット
ダウンとフェザーを配合したダウンジャケットで、ショート丈になっています。ゆとりのある身頃になっているので、厚手のシャツやセーターを合わせて着ることができます。安価な中国製もある
ライセンス契約により中国の企業が製造しているモデルもあります。値段なりのもので、アメリカ製と比較すると安っぽく見えます。生地のシャリシャリ感もなく、耐久性はあまりなさそうです。それでも数シーズン着られれば良いと割り切っている人にとっては、この価格は魅力的だと思います。まとめ
70年代に日本でも流行したシエラデザインのマウンテンパーカーが、再び人気になっています。ゴアテックスがマウンテンパーカーの主役になった現在、シエラデザインのマウンテンパーカーは、性能的にはさほど大したものではありません。汗で蒸れやすく、雨が浸みやすく、山に登るなら他のマウンテンパーカーをお勧めします。しかし頑丈さにおいては、さすがロングセラー商品といったところで、街着として使うには必要十分です。現在のモデルはかつて流行ったモデルよりモダナイズされているので、気になる方は試してみてください。関連記事
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