戦争の正義とは何かを子供と一緒に考える /アニメ「ブラックラグーン」に見る正義
夏休みに中学生の娘の読書感想文や作文の宿題を見る中で、戦争の正義とは何かという話になりました。そしてたまたま娘が見返していたアニメ「ブラックラグーン」のOVAが良いヒントになり、これらの問題をこのアニメを使って考えてみました。登場人物が多く、さまざまな思惑が入り乱れ、事態の推移とともに思惑も変化してくるので中学生には難解なアニメですが、戦争と正義を考えるのには良い作品でした。
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OVAはベネズエラのラブレス家の当主が、アメリカの秘密作戦で爆殺されるところから物語が始まります。元FARC(コロンビア革命軍)のゲリラであり、ラブレス家にメイドとして仕えていたのロベルタは、爆殺犯がアメリカNSAの正規軍(通称グレイフォックス)であることを知ります。ロベルタは当主の復讐のため、ラブレス家の御曹司ガルシアには何も告げず、グレイフォックスが潜伏するロアナプラに向かいました。
キャクストン少佐率いるグレイフォックスは、ベネズエラの爆殺事件の後、タイ・ミャンマー・ラオスに接する黄金の三角地帯で麻薬畑を管理するシュエ・ヤン将軍を逮捕するため秘密裏にロアナプラに潜伏していました。一方、ロベルタの失踪と目的を知ったラブレス家の新当主ガルシアは、ロベルタを連れ帰るためにメイドのファビオラと共にロアナプラに到着します。
そしてロアナプラを事実上取り仕切る香港マフィアの三合会の張(チャン)は、事態を収拾するためにマフィアの連絡会を開きます。しかしロシアン・マフィアのホテル・モスクワは米軍との戦争を望み、コロンビアのマニサレラ・カルテルは、FARCを裏切ったロベルタの首を狩るチャンスといきり立ちます。こうして様々な思惑がロアナプラに渦巻き、やがて血生臭い抗争に発展していきます。
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物語のあらすじ
タイの港町ロアナプラを舞台に、運び屋のラグーン商会を中心にしたバイオレンスアクションです。主人公の岡島(通称ロック)は、日本の大手商社に勤務していましたが、仕事で乗っていた貨物船がラグーン商会にシージャックされ、さらに会社に見捨てられたことからラグーン商会の仲間になりました。※ラグーン商会のメンバー |
OVAはベネズエラのラブレス家の当主が、アメリカの秘密作戦で爆殺されるところから物語が始まります。元FARC(コロンビア革命軍)のゲリラであり、ラブレス家にメイドとして仕えていたのロベルタは、爆殺犯がアメリカNSAの正規軍(通称グレイフォックス)であることを知ります。ロベルタは当主の復讐のため、ラブレス家の御曹司ガルシアには何も告げず、グレイフォックスが潜伏するロアナプラに向かいました。
※爆殺現場 |
キャクストン少佐率いるグレイフォックスは、ベネズエラの爆殺事件の後、タイ・ミャンマー・ラオスに接する黄金の三角地帯で麻薬畑を管理するシュエ・ヤン将軍を逮捕するため秘密裏にロアナプラに潜伏していました。一方、ロベルタの失踪と目的を知ったラブレス家の新当主ガルシアは、ロベルタを連れ帰るためにメイドのファビオラと共にロアナプラに到着します。
※ガルシアとメイドのファビオラ |
そしてロアナプラを事実上取り仕切る香港マフィアの三合会の張(チャン)は、事態を収拾するためにマフィアの連絡会を開きます。しかしロシアン・マフィアのホテル・モスクワは米軍との戦争を望み、コロンビアのマニサレラ・カルテルは、FARCを裏切ったロベルタの首を狩るチャンスといきり立ちます。こうして様々な思惑がロアナプラに渦巻き、やがて血生臭い抗争に発展していきます。
それぞれの異なる目的
この物語は、それぞれの目的を持った異なる人や団体が入り乱れるために、難解な印象を与えます。そこでそれぞれの目的を整理してみましょう。NSA(アメリカ国家安全保障局)
彼らの目的は、黄金の三角地帯で麻薬畑を管理しているシュエ・ヤン将軍を逮捕することです。そのためキャクストン少佐率いるグレイフォックス部隊を、ロアナプラに潜入させました。ライバル機関のCIAが麻薬の密輸で活動資金を得ているため、その資金源を断ち、アメリカの諜報活動の主導権を握ろうとしています。CIA(中央情報局)
以前から黄金の三角地帯で作られる麻薬をロアナプラ経由で密輸して、活動資金を得ていました。暴力教会を拠点とし、NGO団体を使って密輸する様子が以前の話に描かれています。そのためCIAの目的は、シュエ・ヤン将軍逮捕の阻止です。しかしそれ以上にNSAがCIAの縄張りに土足で踏み込んだことに怒っており、NSAの作戦の阻止が最大の目的になります。またロベルタがロアナプラでグレイフォックスを全滅させた場合、米軍の介入や捜査が始まるため、グレイフォックスに早期にロアナプラから出てもらいたいと思っています。
このようにCIAと三合会の利害は一致しており、CIAが三合会に情報を提供することになります。グレイフォックスがロアナプラを脱出した物語の後半からは、三合会の目的はロベルタにグレイフォックスを全滅させることになります。グレイフォックスにシュエ・ヤン将軍を逮捕させるわけにはいかないからです。
※これら組織によって目的が異なるため、中盤のロアナプラでの銃撃戦は、ロベルタがグレイフォックスを追い、そのロベルタをマニサレラ・カルテルとFARCが追い、ホテルモスクワの遊撃隊がグレイフォックスに支援射撃をして逃がすというややこしい展開になります。
父の仇を目の前にして苦悩するガルシアは、キャクストンに「復讐もまた正しい動機だ」と言われ、その復讐の権利を行使しない自由を選びます。暴力の行使だけが解決の手段だと信じる者たちが父を奪ったことから、自分は死の舞踏にはつき合わないことを決めました。暴力に対して暴力を使わないことが、ガルシアの正義になったのです。2人は異なる正義をぶつけ合わせたことで、ある種のシンパシーを感じたかもしれません。
ロックの正義は後述しますが、彼の場合は複雑です。ロベルタを無事にガルシアの元に帰すことを願っていますが、それが正義だとは全く思っていません。
ガルシアの目にロックが、どう映っていたでしょうか。ロックの相方のレヴィは、人を撃つときは人を看板だと思えと言い、死にかけている敵兵士に容赦なく銃弾を撃ち込みます。ファビオラは過剰殺人だと抗議しますが、レヴィはそれを鼻で笑いました。一緒にいたシェンホアもファビオラの抗議を「道徳の時間」と言って、片付けてしまいます。ガルシアもファビオラも暴力しか解決手段を持たないロアナプラに嫌気がさしています。
ガルシアとファビオラがレヴィ達とともに銃弾の雨の中で必死にロベルタを追いかけ、山のように積みあがる死体の中を走り続けていた時、ロックは安全な車の中にいました。ロックは常に安全な場所から指示を出すだけで、自ら手を汚すどころか危険な場所にすら出てこないのです。少し時間を戻すとロベルタの捜索を始めた時、ロックは全く成果をあげられませんでした。ロベルタの足取りがわかるのは、レヴィが参加してからです。ロックは口先だけで結果を出せない人物に映っていても不思議ではありません。
人殺しを何とも思わない悪党とつるむ、口先だけの男がロックでしょう。だからガルシアの視点に移った後半のロックは、どんどん悪人顔になっていきます。そしてガルシアもファビオラも、ロックが張にケンカを売って大博打に挑んだことを知りません。ファビオラは最後にロックに向かって、自分のために若様(ガルシア)に命を張らせ、最高にスリルのあるギャンブルをしたかっただけなんだと怒りをぶちまけます。しかしロックは自らの命もチップにして賭けていました。
ガルシアの視点に移ったため、ロックは悪人のように見えてしまいます。しかし見ている人は、ロックが悪人ということに違和感を覚えてしまいます。ガルシアとファビオラがロックを糾弾する時、2人の言い分はわからなくもないけど、何かが違うという気がしてしまうのです。この違和感がこの物語の本質だと思います。それは正義とは都合の良い方便でもあるからです。
キャクストンはグレイフォックスを率いるリーダーで、彼には部下を守り敵勢力を排除する義務があります。ガルシアとの話がなんであれ、軍人としてはロベルタを発見次第、攻撃するべきでした。しかし黄金の三角地帯で、部下がロベルタに殺され続けても、キャクストンは交戦許可を出しませんでした。ガルシアの父を殺してしまった贖罪の気持ち、そしてガルシアが家族と呼ぶロベルタを手にかけることができず、ロベルタをガルシアの元に帰すことがキャクストンにとって正義となったのです。
キャクストンにとって、自身の正義の前では部下が命を落とすのも仕方のないことでした。つまりキャクストンは部下を見殺しにしたうえ、国際指名手配犯で元FARCゲリラのロベルタの逃亡を幇助しました。これは明らかな軍規違反ですし、アメリカの法律に照らし合わせても犯罪行為です。彼は私情で部下を見殺しにしたのです。
ガルシアにとっても同様で、ガルシアは復讐しない自由を選ぶことで暴力でしか解決できない人達に抵抗しました。しかしロベルタが次々にグレイフォックスを殺していっても、キャクストンに反撃を認めませんでした。ガルシアはロベルタの暴力を容認したのです。ガルシアにとっても、自身の正義に比べるとグレイフォックス隊員の命は軽かったのです。つまりキャクストンとガルシアは共謀して、グレイフォックスの隊員を見殺しにしたのです。
「自分の力を行使するでもなく、他力本願で他の誰かの死を願う。お前の言う正義だって、随分と生臭いぞ」
そして死を目前にしてロックが吐き出した言葉が、「義理などではなく、正義という言葉も方便だ。理由なんてたった『ひとつ』だ。そいつは……俺の趣味だ」でした。ロックは正義というのは、利己的で都合よく使われる言葉だということをこの時に学びました。だからロベルタをガルシアの元に帰すことも、ロックは正義ではなく趣味として割り切っています。ロックの行動に正義はありません。そしてロベルタややガルシアのために行うわけでもありません。ロックは自分のために、ロベルタを無事にガルシアの元に帰そうとしています。ガルシアやキャクストンとロックが決定的に相容れないのは、ロックが誰かのためではなく自分のために行動しているからです。そして正義を信じる2人と正義を信じないロックが、理解しあえるはずもないのです。
実はもう一人、他人のためではなく自分のために行動している人物がいます。ロベルタです。彼女はラブレス家を離れる際に、これは復讐ではなく戯れた犬の共食いだと言っています。復讐なら殺されたラブレス家当主の無念を晴らすためですが、ロベルタは自分のためにグレイフォックスを追うことを自覚していました。ロックに最も近いのは、怒りと麻薬の過剰使用で暴走し、狂人となったロベルタなのです。その意味で、最も狂っているのはロックだと言うこともできるでしょう。ガルシアとキャクストン、ロックとロベルタの4人は目的だけでなく行動原理も異なっていました。そしてこの中で、誰が正しいと言えるでしょうか。
正義とは都合が良い言葉で理不尽に抗う意味として使われることもありますが、国民を団結させるため、戦争を始める口実、独裁政治の言い訳などにも使われています。戦争は正義と正義の対立によって起こるとも言えますし、正義という方便を使って国民を騙しているとも言えます。現実の正義も、このアニメのように複雑な構造を持っていて、誰が正しいというわけではないのです。
ファビオラはロックに不満をぶちまけて去っていきました。ロックの賭けがなければロベルタが帰って来る可能性はほとんど0であったにも関わらずです。そしてグレイフォックスもロックの賭けがなければ、全滅していた可能性があります。しかし誰もロックに感謝しませんでした。正しいことをしようと盲目的になり、正義を背負っていると錯覚している者は、大局を知ることもなく自己中心的な結論に行き着きます。この物語では、正義とは誰かの願望や利益を守るために使われる自己中心的な方便ではないのか?と問いかけています。
正義を掲げた戦争が、戦勝国によって都合よく解釈され、それが歴史となっていく。そんなことを子供と話しました。
三合会(リーダーは張)
三合会の資金源は黄金の三角地帯の麻薬なので、シュエ・ヤン将軍の逮捕を阻止することが最大の目的です。そしてロベルタの復讐により、グレイフォックスがロアナプラで全滅した場合、ロアナプラに米軍が介入することを恐れています。それを防ぐために、グレイフォックスにロアナプラから早く出て行って欲しいと思っています。このようにCIAと三合会の利害は一致しており、CIAが三合会に情報を提供することになります。グレイフォックスがロアナプラを脱出した物語の後半からは、三合会の目的はロベルタにグレイフォックスを全滅させることになります。グレイフォックスにシュエ・ヤン将軍を逮捕させるわけにはいかないからです。
ホテル・モスクワ(リーダーはバラライカ)
ソ連軍の軍人であった矜持から、当初はグレイフォックスとの直接対決を望んでいました。しかし張との話し合いにより、グレイフォックスをロアナプラから逃がすことに同意します。マニサレラ・カルテル(リーダーはアブレーゴ)
FARC(コロンビア革命軍)と協力体制にあるため、FARCを裏切った賞金首のロベルタの命を狙っています。米軍の介入やその他の事には関心がありません。※これら組織によって目的が異なるため、中盤のロアナプラでの銃撃戦は、ロベルタがグレイフォックスを追い、そのロベルタをマニサレラ・カルテルとFARCが追い、ホテルモスクワの遊撃隊がグレイフォックスに支援射撃をして逃がすというややこしい展開になります。
ガルシア
父を殺したグレイフォックスに恨みがありますが、彼の第一の目的はロベルタを無事にベネズエラに連れ帰ることです。連れてきたメイドのファビオラも同様です。ロベルタ
ラブレス家の当主を爆殺したグレイフォックス全員を殺害することを目的に、ロアナプラにやって来ました。彼女は元FARCゲリラだったスキルを最大限に使って、グレイフォックスを追い詰めます。自分を拾ってくれた当主の仇打ちですが、FARC在籍時に行ってきた暗殺の贖罪でもありました。ロック
彼は2つの目的で動いています。1つ目はロベルタを無事にガルシアの元に返すこと。これを公言してロックは渦中に入っていきます。しかしもう一つ、シュエ・ヤン将軍をグレイフォックスに逮捕させ、ロアナプラの悪党(三合会やホテルモスクワ)に経済的な打撃を与えることも考えています。それぞれが信じる正義
キャクストン少佐はベトナム戦争中に、村の娘をレイプしようとした部下を射殺しています。軍人であるキャクストンは、自身の正義のために人を助けますし殺しもします。そして人殺しを生業としている以上、いつか殺される覚悟もできているようです。キャクストンはガルシアに「復讐もまた正しい動機だ」と言います。キャクストンは正しい動機さえあれば、殺人を容認しているのです。※ガルシアに復讐を促すキャクストン |
父の仇を目の前にして苦悩するガルシアは、キャクストンに「復讐もまた正しい動機だ」と言われ、その復讐の権利を行使しない自由を選びます。暴力の行使だけが解決の手段だと信じる者たちが父を奪ったことから、自分は死の舞踏にはつき合わないことを決めました。暴力に対して暴力を使わないことが、ガルシアの正義になったのです。2人は異なる正義をぶつけ合わせたことで、ある種のシンパシーを感じたかもしれません。
ロックの正義は後述しますが、彼の場合は複雑です。ロベルタを無事にガルシアの元に帰すことを願っていますが、それが正義だとは全く思っていません。
視点の変化
このアニメが巧妙なのは、物語が主人公のロックの視点を中心に語られていたにも関わらず、途中からガルシア寄りの視点に移行していることです。ガルシアが服を着たまま水に浸かりロベルタ救出をファビオラと誓う場面あたりから、視点はガルシア寄りのものに変化しています。ガルシアの目にロックが、どう映っていたでしょうか。ロックの相方のレヴィは、人を撃つときは人を看板だと思えと言い、死にかけている敵兵士に容赦なく銃弾を撃ち込みます。ファビオラは過剰殺人だと抗議しますが、レヴィはそれを鼻で笑いました。一緒にいたシェンホアもファビオラの抗議を「道徳の時間」と言って、片付けてしまいます。ガルシアもファビオラも暴力しか解決手段を持たないロアナプラに嫌気がさしています。
※シェンホワ |
ガルシアとファビオラがレヴィ達とともに銃弾の雨の中で必死にロベルタを追いかけ、山のように積みあがる死体の中を走り続けていた時、ロックは安全な車の中にいました。ロックは常に安全な場所から指示を出すだけで、自ら手を汚すどころか危険な場所にすら出てこないのです。少し時間を戻すとロベルタの捜索を始めた時、ロックは全く成果をあげられませんでした。ロベルタの足取りがわかるのは、レヴィが参加してからです。ロックは口先だけで結果を出せない人物に映っていても不思議ではありません。
人殺しを何とも思わない悪党とつるむ、口先だけの男がロックでしょう。だからガルシアの視点に移った後半のロックは、どんどん悪人顔になっていきます。そしてガルシアもファビオラも、ロックが張にケンカを売って大博打に挑んだことを知りません。ファビオラは最後にロックに向かって、自分のために若様(ガルシア)に命を張らせ、最高にスリルのあるギャンブルをしたかっただけなんだと怒りをぶちまけます。しかしロックは自らの命もチップにして賭けていました。
※悪人顔になっていくロック |
ガルシアの視点に移ったため、ロックは悪人のように見えてしまいます。しかし見ている人は、ロックが悪人ということに違和感を覚えてしまいます。ガルシアとファビオラがロックを糾弾する時、2人の言い分はわからなくもないけど、何かが違うという気がしてしまうのです。この違和感がこの物語の本質だと思います。それは正義とは都合の良い方便でもあるからです。
見方によって変わる正義
キャクストンとガルシアは異なる正義をそれぞれ行い、ロックは人の命でギャンブルを楽しんだように見えます。だからガルシアはロックを軽蔑し、キャクストンも嫌気がさした顔をします。しかし見方を変えるとキャクストンとガルシアの正義も怪しく見えます。キャクストンは自身の正義のために人殺しを容認しています。言い換えれば、自分の考えで人殺しを正当化してきたと言えます。誰を助け、誰を殺すかはアメリカの大義とキャクストンの考え方ひとつで決まるのです。キャクストンはグレイフォックスを率いるリーダーで、彼には部下を守り敵勢力を排除する義務があります。ガルシアとの話がなんであれ、軍人としてはロベルタを発見次第、攻撃するべきでした。しかし黄金の三角地帯で、部下がロベルタに殺され続けても、キャクストンは交戦許可を出しませんでした。ガルシアの父を殺してしまった贖罪の気持ち、そしてガルシアが家族と呼ぶロベルタを手にかけることができず、ロベルタをガルシアの元に帰すことがキャクストンにとって正義となったのです。
キャクストンにとって、自身の正義の前では部下が命を落とすのも仕方のないことでした。つまりキャクストンは部下を見殺しにしたうえ、国際指名手配犯で元FARCゲリラのロベルタの逃亡を幇助しました。これは明らかな軍規違反ですし、アメリカの法律に照らし合わせても犯罪行為です。彼は私情で部下を見殺しにしたのです。
ガルシアにとっても同様で、ガルシアは復讐しない自由を選ぶことで暴力でしか解決できない人達に抵抗しました。しかしロベルタが次々にグレイフォックスを殺していっても、キャクストンに反撃を認めませんでした。ガルシアはロベルタの暴力を容認したのです。ガルシアにとっても、自身の正義に比べるとグレイフォックス隊員の命は軽かったのです。つまりキャクストンとガルシアは共謀して、グレイフォックスの隊員を見殺しにしたのです。
正義という言葉も方便だ
この物語の前にある「東京編」で、ロックは正義という言葉を使いました。鷲峰組の組長、雪緒の命を救うためにホテル・モスクワのバラライカに、鷲峰組と敵対する香砂会を叩くべきだと進言しました時です。「あなたにも信じるべき正義があるだろう!」というロックの言葉はバラライカの逆鱗に触れ、銃を突きつけられます。「自分の力を行使するでもなく、他力本願で他の誰かの死を願う。お前の言う正義だって、随分と生臭いぞ」
※バラライカに銃を突きつけられるロック |
そして死を目前にしてロックが吐き出した言葉が、「義理などではなく、正義という言葉も方便だ。理由なんてたった『ひとつ』だ。そいつは……俺の趣味だ」でした。ロックは正義というのは、利己的で都合よく使われる言葉だということをこの時に学びました。だからロベルタをガルシアの元に帰すことも、ロックは正義ではなく趣味として割り切っています。ロックの行動に正義はありません。そしてロベルタややガルシアのために行うわけでもありません。ロックは自分のために、ロベルタを無事にガルシアの元に帰そうとしています。ガルシアやキャクストンとロックが決定的に相容れないのは、ロックが誰かのためではなく自分のために行動しているからです。そして正義を信じる2人と正義を信じないロックが、理解しあえるはずもないのです。
実はもう一人、他人のためではなく自分のために行動している人物がいます。ロベルタです。彼女はラブレス家を離れる際に、これは復讐ではなく戯れた犬の共食いだと言っています。復讐なら殺されたラブレス家当主の無念を晴らすためですが、ロベルタは自分のためにグレイフォックスを追うことを自覚していました。ロックに最も近いのは、怒りと麻薬の過剰使用で暴走し、狂人となったロベルタなのです。その意味で、最も狂っているのはロックだと言うこともできるでしょう。ガルシアとキャクストン、ロックとロベルタの4人は目的だけでなく行動原理も異なっていました。そしてこの中で、誰が正しいと言えるでしょうか。
現実世界に置き換えてみる
正義ということばはあちこちで使われていますが、多くの場合は都合の良い方便として使われています。戦争をする両国はそれぞれが正義を掲げていますし、独裁者も正義を掲げて国民から搾取します。ヒトラーは戦争犯罪人として知られていますが、失業率やハイパーインフレに苦しむドイツにとって、雇用を生み出しインフレを止めて領土を取り戻したヒトラーは英雄でした。だからドイツ国民はヒトラーに熱狂したのです。正義とは都合が良い言葉で理不尽に抗う意味として使われることもありますが、国民を団結させるため、戦争を始める口実、独裁政治の言い訳などにも使われています。戦争は正義と正義の対立によって起こるとも言えますし、正義という方便を使って国民を騙しているとも言えます。現実の正義も、このアニメのように複雑な構造を持っていて、誰が正しいというわけではないのです。
まとめ
このアニメでは、正義というのは利己的で個人や集団の都合により、どのようにでも変わるものとして扱っています。現実の世界でも正義はあらゆる場面に登場し、戦争は互いの正義をぶつけ合う場所になっています。言ってみれば戦争には正義しかないという見方もできますし、本来の正義はないとも言えます。ファビオラはロックに不満をぶちまけて去っていきました。ロックの賭けがなければロベルタが帰って来る可能性はほとんど0であったにも関わらずです。そしてグレイフォックスもロックの賭けがなければ、全滅していた可能性があります。しかし誰もロックに感謝しませんでした。正しいことをしようと盲目的になり、正義を背負っていると錯覚している者は、大局を知ることもなく自己中心的な結論に行き着きます。この物語では、正義とは誰かの願望や利益を守るために使われる自己中心的な方便ではないのか?と問いかけています。
正義を掲げた戦争が、戦勝国によって都合よく解釈され、それが歴史となっていく。そんなことを子供と話しました。
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