第二次世界大戦を関ヶ原の合戦に例えると /日本が常任理事国になるには
2022年5月23日、日米首脳会談でアメリカのバイデン大統領が国連の安保理改革が実現した場合には、日本が常任理事国になることを支持したと報じられました。しかし日本が国連の常任理事国になることはあるのでしょうか?それを考えるには、第二次世界大戦を関ヶ原に、国連を江戸幕府に例えるとわかりやすいと思うので、今回はその話を書いてみます。
関ヶ原の合戦とは
豊臣秀吉は天下統一を実現しましたが、秀吉の死後は独裁体制から脱皮して徳川家康や前田利家らの五大老が治める政治体制に移行しました。しかし五大老の政治抗争が始まり、この体制は徐々に崩壊していきます。この政治抗争は紆余曲折を経て、徳川家康と豊臣家再興を目指す石田三成との争いが関ヶ原で決戦を迎えることになりました。
この戦いに徳川家康は勝利し、江戸幕府を開いて長期政権を築くことになります。家康は自分とともに戦ってくれた大名と、関ヶ原の合戦に敗れて徳川に就いた大名を明確に分けました。石田三成の配下だった大名は外様と呼ばれ、僻地へ左遷されて幕府の要職を任されることもありませんでした。有名な外様大名には島津家(薩摩藩)や毛利家(長州藩)、前田家(加賀藩)などがあります。
明治維新での逆転
外様大名は何かと差別されており、些細なミスが原因で屋敷を取り上げられたり身分を剥奪されたりと、何かと不利な立場に置かれていました。要職を与えず、僻地に飛ばし、参勤交代で財産を溜め込まないようにし、常に裏切らないように目をつけていたのです。徳川幕府にとって外様はいつまで経っても豊臣側であり、真の味方ではなかったのです。その一方で、関ヶ原で最初から味方だった大名は譜代大名と呼ばれ、いつも重用されるのは彼らでした。
この立場が逆転するのは明治維新です。薩摩藩や長州藩などの外様が中心になり、幕府を倒して明治政府を立ち上げました。将軍徳川慶喜は天皇に政権を返上したものの、依然として政府への影響力を維持しようとしたとされていますが、戊辰戦争などを経て徳川家は政権から完全に追い出されました。こうして260年以上も続いた江戸幕府は終わり、外様大名が政府の中心に就くことになりました。
日本は外様大名
第二次世界大戦を関ヶ原に置き換えると、アメリカやイギリスの連合国は徳川軍でドイツ・イタリア・日本らの枢軸国は石田三成軍です。そして連合国が勝利し、その後の国際秩序は連合国によって守られることになりました。日本では連合国(United Nation)は国際連合(国連)と訳されています。この国連は徳川幕府といえますし、国連本部がニューヨークにあるのでニューヨーク幕府と言っても良いでしょう。
徳川幕府が関ヶ原で共に戦った大名を譜代大名として要職に就かせたように、ニューヨーク幕府も共に戦い勝利に大きく貢献した5カ国(中国、フランス、ロシア、イギリス、アメリカ)を国連安全保障理事会の常任理事国として、特別な権限を与えました。それ以外は非常任理事国として、2年の任期しかありません。また常任理事国に比べて、権限も役割も制限されています。さらに国連憲章では枢軸国だった国々への措置が明示されており、いわゆる敵国条項と呼ばれるものまであります。1995年の国連総会で、敵国条項の改正と削除が賛成多数で可決されましたが、未だに国連憲章の改正は行われていません。
このように日本は徳川幕府の外様大名のようなもので、幕府の要職に就けないのはもちろん、常に動向を監視されることになります。戦後の日本にも在日米軍基地が置かれました。これはドイツやイタリアでも同様で、米軍基地は戦略上の理由以外に監視の目的もあったように思います。戦後の日本は江戸時代の外様大名と同様で、共に血を流して戦った人達の仲間には入れてもらえないのです。
日本が常任理事国になるには
当然ながら国連では敗戦国の立場は弱く、何かと肩身が狭いこともあるようです。国連の化学兵器禁止機関で働く春具(はるえれ)さんはメールマガジンの中で、ドイツの職員と「次の戦争ではお互い上手くやりましょうね」とガッチリ握手をかわしてきたとブラックジョークを書いていました。分担金を増やしただけで常任理事国になれないのは、徳川幕府を見ていても明らかで、このままでは何も状況は変わらないと思います。
ここまで来れば本稿の結論はお分かりかと思いますが、日本が常任理事国のような決定権を持つ立場になるには、明治維新がなければ無理なのです。しかし明治維新を国連で起こすということは、常任理事国の中国、フランス、ロシア、イギリス、アメリカの全てを追い出すか、一部を追い出して新体制に変えて空いた席に座るぐらいのことが必要です。かつての敵国を迎えるのですから、日本を加えてみんなで仲良くなんて、できるはずもありません。
日本と関係なく第三次世界大戦が勃発したとして、日本は憲法9条があるからと非戦を決め込めば、新たな世界秩序の中で日本がリーダーシップを取ることはできないでしょう。大きな犠牲を出した後に、一緒に汗をかくことも血を流すこともなかった人から、あれこれ言われるのは誰だって嫌なはずです。第三次世界大戦後には新たな国際機関が生まれるでしょうが、その中に日本の椅子があるでしょうか。そんな甘い話があるとは思えません。
まとめ
第二次世界大戦後に戦勝国で組合を作ったのに、敗戦国が組合の理事になりたいと名乗り出ても相手にされないのは当然だと思います。分担金をどれほど増やしても、我々は乱された世界秩序を取り戻しているのだから、秩序を乱した国が資金を負担するのは当たり前と思われているでしょう。日本が国連の常任理事国になるには、明治維新のように新たな秩序を生み出すしかないと思います。国連改革といった生やさしいものではなく、国連の解体と再構築を主導的に行わなければ無理だと思います。
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