井上尚弥が陥る3つの弱点 /圧倒的強さの陰にある落とし穴

 WBA WBC IBF統一バンタム級チャンピオンに君臨する井上尚弥は、最も権威あるボクシング専門誌Ringが選ぶパウンド・フォー・パウンド1位に選出され、海外の専門家からも注目するようになりました。今や誰が井上尚弥を倒すのかではなく、井上尚弥がどこまで勝ち続け、どれだけの栄冠を手に入れるかが注目されています。しかし井上尚弥も完全無欠の存在ではありません。無敵に見える彼にも弱点はあるはずです。そこで今回は、井上尚弥の弱点について考えてみたいと思います。

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井上尚弥の圧倒的強さ

2012年にライトフライ級でデビューして以来、ライトフライ級、スーパーフライ級、バンタム級の3階級を制覇してきました。早いラウンドでのKOが多く、スーパーフライ級では8試合で合計44ラウンドしか戦っていません。平均5ラウンドちょっとです。バンタム級に上げてからは8試合で36ラウンド、平均4ラウンドちょっとです。バンタム級で王座を獲得した3試合に至っては、ジェイミー・マクドネル(WBA)を1ラウンド、エマヌエル・ロドリゲス(IBF)を2ラウンド、ノニト・ドネア(WBC)を2ラウンドで、合計5ラウンドしか戦っていません。

※ジェイミー・マクドネル戦

この数字がどれほど凄いかというと、全盛期のマイクタイソンが3団体王座を統一した際にはトレバー・バービック(WBC)を2ラウンド、ジェームス・スミス(WBA)を12ラウンド判定で、トニー・タッカー(IBF)を12ラウンド判定だったので、合計26ラウンドかかっているのです。タイソンですら26ラウンドかけて3団体を統一したのに、井上尚弥は3試合の合計が5ラウンドという1試合の半分のラウンドも消化せずに終わっています。もちろん早いラウンドのKOが凄いというのは語弊がありますが、それでもこの数字から井上尚弥の凄みが伝わると思います。

井上尚弥の強さ

井上尚弥ほど攻略が難しいボクサーはいないと思います。圧倒的なパンチ力に目が行きがちですが、単にパンチ力が強い選手なら攻略の糸口は多く存在します。例えば80年代から90年代にかけて毎試合のようにKOで勝利し、しかもKOされた相手が死んだような倒れ方をする戦慄のKO劇で勝利を重ねていてた、スーパーウェルター級王者のジュリアン・ジャクソンは、強打を打つために全身が緊張する瞬間があり、また連打を放つ時には頭の位置が変わらないという弱点がありあました。

※ジュリアン・ジャクソン


また右ストレート一発で対戦相手を失明させたり、引退に追い込んだ80年代の強打者トーマス・ハーンズは、長いリーチで相手を寄せ付けずにKO勝利を繰り返していましたが、懐に入られると長いリーチが邪魔になって苦戦する場面がよくありました。このように桁外れのパンチ力があるだけなら攻略ポイントが存在するため、徹底的に研究されて脆さを見せることがあるのです。

※トーマス・ハーンズ

しかし井上尚弥は桁外れのパンチ力も含めて、あらゆる要素が高いレベルにあります。移動スピード、ハンドスピード、ディフェンス力、タフネス、攻守の切り替えの速さ、クレバネスなど、ボクサーとして必要な要素がどれも高いレベルにあります。そしてボクシングそのものが基本に忠実で、基本技術のレベルが恐ろしく高いのです。基本のレベルが高い選手は弱点が少なく、相手からすると攻め手がなくなりがちです。井上尚弥の強さの理由は、基本技術が満遍なくどれもハイレベルだということになります。

勝っている時には弱点が見えにくい

どのような選手であっても、勝ち続けている時は弱点が見えにくいものです。勝っている時は良い面が前面に出ているので、試合を見ても弱点らしい弱点が見えないのです。先に挙げた5階級王者のトーマス・ハーンズは、一発で相手を失明させるほど強烈な右ストレートを武器に、戦慄のKO劇をいくつも生んできました。勝ち続けている時は圧倒的強打で相手を翻弄し続けるので、弱点らしい弱点は見えませんでした。しかしKO負けをして初めてガラスの顎を持っていることがわかりました。

※KOされたトーマス・ハーンズ


井上尚弥の場合も強烈なKO劇を繰り返しているので、弱点らしい弱点は見えません。以前は井上尚弥の弱点として、長い試合の経験が少ないのでスタミナに問題がないのではないかと言われていました。またゲームプランが崩壊した時に立て直す能力が低いのではないか、さらにほとんど打たれていないので打たれ弱いのではないかと言われていました。

※ノニト・ドネアの強打を浴びる井上尚弥


しかしWBSS決勝のノニト・ドネア戦で目の骨を骨折してゲームプランが崩壊したにも関わらず、確実にポイントを奪う戦い方で勝利して、スタミナがない、打たれ弱い、危機回避能力が低いという憶測を一蹴しました。さらに局面を変化させて攻略しようとするドネアに対し粘り強く対応し続けたことから、井上尚弥は体のスタミナだけでなく思考し続ける脳のスタミナも高いことが証明されました。ドネア戦は苦戦したため井上尚弥が弱点を晒したという人もいますが、事実はむしろ反対でドネア第1戦は井上尚弥の穴のなさを証明していました。現在、井上尚弥に弱点らしい弱点は見当たりません。

井上尚弥の3つの弱点

弱点がないと言いつつも、完全無欠の人間はいないので井上尚弥にも弱点はあるはずです。そこで現在考えられる弱点を考えていきましょう。

①周囲の過剰な期待感

2019年5月のエマヌエル・ロドリゲス戦の前に、井上尚弥は極度のスランプに陥っていたことを試合後の告白しました。バンタム級に転向した初戦のジェイミー・マクドネル戦を1ラウンド、次のファン・カルロス・パヤノも1ラウンドでKOしたことから、早期KOの期待が重圧になったようです。大橋会長は練習を見ながらいつも「自分が現役の時でも全く歯が立たない」と思っていたようですが、このスランプ時には、今の尚弥なら俺でも勝てると感じたそうです。

※粉砕されたエマヌエル・ロドリゲス


この時は1ヶ月間ボクシングから離れることで、心身をリフレッシュして回復することができました。しかし今後はさらに過剰なプレッシャーがかかることは間違いなく、ストレスとの戦いはさらに厳しいものになるでしょう。周囲は常に劇的なKO勝利を求めますし、さらに強い相手との対戦を望むでしょう。この期待感が足枷になる可能性があり、今後もプレッシャーとの戦いは続くと思います。

②階級の壁

今後はスーパーバンタム級に転向し、そこでタイトルを獲得すればフェザー級への展望が開くでしょう。どのボクサーも同じですが、階級を上げると階級の壁にぶつかります。1階級上げただけで強打者が普通のパンチャーになり、タフネスだった選手があっという間に倒されることは珍しくありません。井上尚弥も例外ではなく、階級を上げていけばいつかは訪れることになります。

問題は、それがいつ訪れるかです。個人的な見解ですが、現在のパワーを見ているとスーパーバンタム級に上がっても、大きな壁にはならないと思います。むしろスーパーバンタム級に上げてからすぐは、一時的に減量苦から解放されてパワーアップする可能性もあると思います。しかしフェザー級に上げるとなると、どうなるかわかりません。

しかし階級を上げることでパンチ力が低下したとしても、試合運びの上手さやポジショニングの巧みさ、クレバネスは変わりません。体重が増えることでスピードが落ちることもありますが、パンチ力に頼って試合をしているわけではないので、簡単に勝てなくなるようにも思えません。フェザー級に上げると今のように圧倒的なパンチ力でバタバタKOを奪うことはできないでしょうが、簡単に負けることもないように思います。

③ライバルの不在

これが最も現実的な弱点だと思います。ボクサーが歴史に名前を残すには、ライバルが必要です。シュガー・レイ・ロビンソンにはジェイク・ラモッタ、ジーン・タニーにはハリー・グレブ、モハメド・アリにはジョー・フレイジャーがいました。無人の荒野を走るように防衛をこなしていたマービン・ハグラーが歴史に名を残したのは、トーマス・ハーンズ、ロベルト・デュラン、シュガー・レイ・レナードとの試合があったからです。

※マービン・ハグラー


しかし現在の井上尚弥にはライバルがいません。ローマン・ゴンザレスがライバルになるかと思いましたが、思わぬところでつまづいてしまいました。ノニト・ドネアも、年齢的にライバルになるのは難しい気がします。現在、スーパーバンタム級王者のスティーブン・フルトンが注目されていますが、果たしてどうなのでしょうか。ライバル不在のままでは、これ以上の名声を望むことも困難な道になりますし、歴史に名を残すことも厳しいでしょう。

※ローマン・ゴンザレス

90年代の10年間にわたり活躍したミニマム級(当時はストロー級)の王座を20回以上防衛し、51勝1分の圧倒的なレコードで引退したリカルド・ロペスは、ライバル不在に苦しみました。日本では大橋秀行、平野公夫らを倒したことで強烈な印象に残る王者ですが、世界的な評価は今ひとつです。ライバル不在のためロペスが強いのか相手が弱いのか、評価できなかったのです。

同じく90年代にミドル級とスーパーミドル級、Lヘビー級で圧倒的な存在感を示したロイ・ジョーンズJrもライバルが不在でした。そのため自身の評価を上げたかったジョーンズは、Lヘビー級タイトルマッチで派手なパフォーマンスでやりたい放題やっていました。両手を後ろに組んで顔を突き出してパンチをかわしてからダウンを奪ったり、遊んでいるように相手を翻弄したり、昼にプロバスケットの試合に出てから夜にタイトルマッチをやったりです。

※ロイ・ジョーンズJr


そして最後にはヘビー級王座に挑戦して王者になりました。それでもジョーンズの評価は、同時代のボクサー達と比べても今ひとつになっています。突出しすぎた強さを見せ続けると、本人が強かったのか周囲が弱かったのかわからなくなるのです。井上尚弥も同様にライバル不在に苦しみ、その強さに反して評価が今ひとつになってしまうのではないかと心配してしまいます。

まとめ

ここに書いた3つの弱点は、ただの杞憂になるかもしれません。また3つ目のライバルの不在は、本人にはどうしようもない問題で、運任せの部分もあります。現在の井上尚弥のボクシングに弱点は見当たりません。多少のムラっけが見えることもありますし、ディフェンスが甘く見えることもありますが、次の試合では修正されています。果てしてこれからどこまで勝ち続け、どんな記録を打ち立てるのか期待が膨らみます。ここに書いたことが、とんだ見当違いになることを願っています。


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