利益追求の悲劇 /ホテル・ニュージャパン火災は人災だった

赤坂の一等地に構えたホテル・ニュージャパンは豪華な雰囲気が人気のホテルでした。1982年2月に火災を起こし、33人の犠牲者を出しました。この火災は利益ばかりを追求した経営者による人災であり、被害を最小限にとどめるべき経営者が被害を最大化させた痛ましい事件でした。今回はこのホテル・ニュージャパン火災を振り返りたいと思います。



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火災の発生

938号室に宿泊していたイギリス人男性が、酔っぱらって寝タバコをしていました。そのタバコが布団に着火し、ぼやが発生しました。焦げ臭い臭いに起きたイギリス人男性は、慌てて毛布で火を消火します。完全に消火したと思い再び寝てしまいますが、火種は残っており毛布から出火しました。このイギリス人男性は焼死しています。

従業員が9階に行くと、焦げ臭い臭いがしました。ノックをしても返事がないため鍵を使って中に入ると、ベッドや壁が炎に包まれていて火災が発生していました。従業員は慌てて消火活動を行いますが、消防への通報も館内放送もしませんでした。ぼやが発生したことで、社長の逆鱗に触れることを恐れたのです。ホテルの従業員は誰一人消防に通報しませんでした。

ホテル・ニュージャパンの歴史

元は日本料亭があった場所で、戦争による爆撃で料亭はなくなっていました。土地を取得した藤山コンツェルンは、高級アパートメント(今のマンション)を建設する予定でしたが、東京オリンピック開催が決まると宿泊施設が足りなくなり、急遽ホテルに変更されました。この急な変更により、ホテルとしては複雑なつくりのため宿泊客が迷子になりやすいホテルになっていました。



1960年にホテル・ニュージャパンは開業しますが、軟弱な地盤の地盤改良に費用がかかり、当初から赤字経営でした。さらに藤山コンツェルンは食品会社が母体であり、ホテル経営のノウハウがありませんでした。そのためホテル・ニューオータニやホテル・オークラ東京など同時期に開業したホテルより、経営的に苦戦を強いられます。赤字で始まり赤字が続くホテル・ニュージャパンは、東洋郵船の横井英樹が経営することになり、横井は徹底した財務改善を行います。

利益最優先の経営手法

横井はギリギリまで人件費を削ったため、ホテルは慢性的な人手不足になっていました。激務に加えて長時間労働が常態化し、従業員の意欲は失われていきます。さらにワンマン経営の横井はすぐに激昂して部下を怒鳴りつけるので、横井に進言する者は皆無でした。そんな中、横井は経費節減をどんどん進めていきます。

※乗っ取り屋と呼ばれた横井英樹

消防庁は大洋デパートの火災の教訓として、スプリンクラーや防火扉の設置を義務付けました。しかし横井は経費削減を理由にこれをはねつけ、費用がかかるため防火設備会社の定期点検も断っていました。消防の査察も理由をつけて断り、採算の消防の要請を無視して防火設備を放置していました。故障した防火設備を放置し、更新もしませんでしたが、客の目につく調度品には豪華な品を買い付けていました。

さらに横井は費用がかかるからと、加湿器の運転を止めさせました。火災が起きた夜はホテル内が異常乾燥し、静電気があちこちの部屋で起こっていました。消火設備や火災報知器は壊れ、館内は異常に乾燥して火が回りやすい状態になっていました。そしてホテルの間仕切り壁はブロックを積み重ねてベニヤを張り付けただけで、隙間があちこちにありました。火災が起きれば、瞬く間に火が広がる環境が出来上がっていたのです。

燃え広がる炎

過重労働に耐えていたホテルスタッフは、満足な防災訓練を受けていませんでした。そのため消火設備を使いこなせず、火災警報も鳴りませんでした。館内放送をしようと試みますが、使い方を知っている人がいないうえに設備は故障していました。屋内消火栓を使って消火を試みたスタッフもいましたが、正しい使い方を知りませんでした。



火災が発生すると防火扉が閉じて延焼を防ぐはずですが、床に敷かれた分厚い絨毯が邪魔してほとんどの扉が閉じませんでした。さらに不燃材を使っていない内装材によって炎が広がり、設備機器の改修によって床に穴が開いたままになっており、そこから炎が各階に広がりました。防災設備の不具合だけでなく、消防検査を拒否し続けたため建物全体が延焼しやすくなっていたのです。

停電した館内は真っ暗で、複雑な廊下の形状に多くの客が逃げ惑いました。スタッフは一斉招集を掛けられましたが、控え室がなく各階の空き部屋を利用していたため、どこに誰がいるのか誰も把握していませんでした。そのため正確な情報がスタッフの間で共有されず、避難誘導も遅れました。こうして炎は建物全体に広がり、多くの人が内部に取り残されました。内部で懸命に避難誘導していたのはスタッフではなく、宿泊客の外国人でした。

絶望感すら漂う消防

ホテルの前を通りかかったタクシーから通報を受けた消防が到着すると、すでに9階は激しい炎に包まれ10階に及んでいました。レスキュー隊が見たこともない激しさで、熱さに耐えかねた客が制止を聞かずに窓から飛び降りていました。レスキュー隊は建物内部に侵入すると、次々に宿泊客を救助していきますが、火の手が激しく救助活動が思うように進みません。



熱によって膨張したドアはフラッシュオーバーを起こす寸前になっており、そうしたドアがあちこちにありました。躊躇う猶予もなくレスキュー隊は突入を始め、隊長は炎に包まれた時にヘルメットの隙間から炎が入り込み頭髪が焼けたそうです。この時には死を覚悟したそうですが、間一髪で引き上げられて一命を取り留めました。

消防の精鋭達にも太刀打ちできない火の手がホテルを襲っていました。宿泊客はカーテンをロープにして脱出したり、熱さに耐えかねて20メートルの高さから飛び降りたりしていました。現場は地獄絵図になっていき、その様子はテレビでも中継されました。



現場からの応援要請に、消防庁は所轄で対応できる範囲を超えていると判断し、全庁を挙げて総力戦で消火に当たることを決断します。600名を超える消防庁職員が集結し、40台以上のポンプ車、10台以上のはしご車が現場に到着し、消防総監も現場に出向きました。火災現場は消防庁の総力戦となり、60名以上の逃げ遅れた宿泊客を救助しました。

横井英樹社長の行動

火災で宿泊客が逃げ惑う中、横井は秘書に命じてエントランスの高級家具を運ばせました。家具なんかより宿泊客の誘導を優先するべきと言うスタッフに、秘書は「社長命令だ!」と一喝したそうです。横井の命令は絶対で、その強権に逆らえる者は社内にはいませんでした。

火事が鎮火すると横井は報道陣の前に現れ、拡声器を使って事情説明を行います。火事の責任は火を出した9階の宿泊客にあると弁明する横井に、報道陣からは疑問の声が上がりました。さらに横井は秘書に命じ、救助活動中に負傷して入院したレスキュー隊隊長に現金を届けさせました。秘書は激高した隊長に追い返されています。

自身の進退や責任の取り方になると口を濁し、まるで自分も被害者であるように振る舞う横井の姿勢に批判が集まり、報道番組やワイドショーは連日のように横井の経営体質や出火時の不手際を伝えました。そして横井は業務上過失致死の疑いで逮捕されました。

懸命に戦った宿泊客

ホテル・ニュージャパンで結婚式を挙げ、921号室に宿泊していた山林夫妻は、夜中に異臭を感じて目を覚まします。目が覚めた時は部屋中が煙に包まれ、廊下への脱出は不可能になっていました。死ぬ時は一緒だと夫婦が覚悟を決めた矢先、窓からシーツが垂れてきました。それをつたってきたのは韓国人のユンさんで、彼は山林夫妻の姿を見ると「シーツ!」と叫びました。シーツを渡すとユンさんはそれを結びつけ、炎が出ていない7階に辿り着きました。そして山林夫妻にも、同じように降りるように手招きしました。



夫妻はわずか数センチの窓のヘリを歩きシーツにたどり着くと、揃って脱出に成功しました。この様子はテレビカメラが捉えていて、夫妻の決死の脱出劇は全国ネットで放送されました。この時に他の宿泊客もシーツを使って脱出に成功し、何にもの命をシーツが繋ぎました。

貿易会社社長で日系二世のムツトさんは、部下を誘導して避難させた後も、他の宿泊客の誘導を続けます。父から日本人の良いところは周囲への優しさと教わり、それを誇りにしていたムツトさんは大勢の宿泊客を避難させたものの、自身は一酸化炭素中毒で命を落としました。

またレスキュー隊隊長が炎に包まれながら救助した男性は、搬送先の病院で亡くなりました。大勢の方が亡くなりましたが、現場では消防隊員も宿泊客も戦っていました。横井社長と従業員は呆然と立ち尽くし、高級家具を運び出す以外は何もしていませんでした。

消防指導の変化

東京消防庁麹町署は、これまで度重なる指導をホテル・ニュージャパンに行っていました。横井社長はことごとくそれを無視し、とうとう麹町署署長が横井社長を呼び出し、指導に従わなければ営業停止にすると明言したため、形ばかりのスプリンクラーが設置されました。しかしそれはスプリンクラーヘッドだけを天井に取り付けたダミーで、火災の時にはなんら機能しませんでした。

ホテル・ニュージャパンは、消防にとって契機になりました。当時の消防は権力が弱く、あくまで建物所有者に指導とお願いをする立場でしたが、消防検査が厳格化され、営業停止も辞さない強い対応を取るようになります。未曾有の被害を出さないため、消防は強い指導力を発揮して今日に至ります。

まとめ

過剰な商業主義により、ホテル・ニュージャパンは火災を起こすべくして起こしました。安全対策の軽視は、多くの宿泊客を犠牲にしました。ほとんど人災ともいえるホテル・ニュージャパンの火災は多くの人にショックを与えましたし、ホテル経営にもさまざまな影響を与えたと言われています。余談ですが、この翌日に羽田沖で機長がエンジンを逆噴射させて起こした日本航空350便墜落事故が発生し、メディアは右に左に大忙しとなりました。

さらにホテル・ニュージャパンの地下にあるナイトクラブは、力道山が刺された場所としても有名でした。今は保険会社のビルに建て替わっていて、火災報知設備も適切に備わっていると言われています。


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コメント

  1. こんばんは。
    この記事で使用されている写真についてお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか…?

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    1. コメ主です。
      実はYouTubeで画像を使用させて頂きたいと思っておりましてご連絡しました。

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    2. こちらのコメントを見落としていました。写真の件ですが、こちらは構いませんよ。

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  2. ご対応いただきありがとうございます!
    動画内でキャプションを表示させていただきます。
    また、投稿しましたらこちらのコメント欄でお知らせしますね。

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  3. はねもね様,お世話になっています。こちらの記事での写真ですが,大学での企画展示「まちづくりと都市火災」の展示パネルで,使用させていただければと思います。ご検討いただければ有り難く思います。

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    1. コメントありがとうございます。私としては使用は問題ないのですが、ネットに落ちていた写真も混じっています。

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  4. 火災当日、消防隊長が「非常階段の位置を教えて」と頼んでも、守衛が「今、社長と電話中です。待ってくれませんか?」と言ってすぐに応答しませんでした。「お客さんの命がかかっているんです。今すぐ教えてください!」と胸ぐらを掴んだっていうエピソードも。
    隊長が入院した際、横井社長が「お見舞い(実際は口止めのための賄賂)」を持って来て「どれだけのお客さんが死んだかわかっているか。今すぐ帰れ!」と追い返されたっていうエピソードも。

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