器用貧乏も10年続けば金の小手先 /CM女王の菅野よう子
名前は知らなくとも、日本人のほとんどが菅野よう子の曲を聴いたことがあるはずです。作曲家で演奏家で音楽プレイヤーである菅野よう子は、海外にも多くのファンを持ち、多くのアルバムも発表しています。しかし彼女の音楽は、多くの人がテレビのCMで聴いたことがあるはずです。1000曲以上を提供してCM音楽の女王と呼ばれています。しかしかつては器用貧乏と言われ、悩んだこともあったようです。
幼少期の菅野よう子は、言葉で何かを伝えるよりも音楽にした方が楽だったそうで、音楽は作品ではなく「致し方ないコミュニケーション手段」だったと語っています。そのため作曲を始めたのは2歳か3歳の頃だったといいますから、早熟型の天才肌だといえるでしょう。
この時に、さまざまな音楽を聴いたことでさまざまなジャンルのお約束を覚えていったそうです。そしてクラシック音楽にはあまり関係ない、ビートを覚えたのもこの頃だそうです。高い音楽スキルがありながら、クラシックしか聴いていなかった菅野はスポンジのようにさまざまな音楽を吸収していったそうです。そして大学で便利な音楽屋として菅野の名前が知られるようになると、光栄という会社から仕事の依頼がきました。光栄は現在の「コーエーテクモゲームス」という会社で、後に大ヒットゲームを連発することになります。
そしてこの頃、ロックバンド「てつ100%」のメンバーとしてメジャーデビューを果たしました。ここから3年間、バンドが解散するまでロックバンドの活動と作曲を同時進行するようになります。
そして94年にアニメ「マクロスプラス」のサウンドトラックを依頼されます。ヴァーチャルアイドルが洗脳兵器として音楽を使うという設定に興味を抱いた菅野は、未来の音楽の流行をイメージしつつ洗脳できそうな音楽のパターンをいくつも構築していきました。その結果、さまざまな音楽のジャンルを取り込み、あらゆるジャンルが混合するサウンドトラックを仕上げました。「マクロスプラス」の監督を務めた渡辺信一郎は、デモテープを聴いた時に「これ、本当に一人で作ってるの?」と驚きを隠さなかったそうです。
本気で洗脳できる音楽を考えたという「マクロスプラス」のサウンドトラックは、業界に大きな影響を及ぼしました。多くの関係者は何人もの作曲家を招いたと思い、アニメでここまでやるのかと驚いたそうですが、実際には一人の作曲家が短時間で仕上げたと聞いてさらに驚きました。「マクロスプラス」のヒットは、アニメ音楽を次のステージに引き上げていき、海外でも菅野よう子の名前が知られるようになっていきます。
そして「∀ガンダム」の仕事が、菅野よう子の力量をさらに押し上げることになります。プロデューサーの富野由悠季は難解な言葉を多用して、自らのロジックを弾幕のように張り巡らして菅野よう子にガンダムの世界観を伝えてきたと言います。直感的に音楽を作ってきた菅野にとって、理論攻めに会うというのは創作意欲を削ぐ行為でしかなかったようです。半年に及ぶ対話を繰り返し、富野の求める音楽は映像と同じ哲学を持った音楽であることに気づき、サウンドトラックは完成しました。そのデモテープを聴いた富野は、そのバラエティ豊かな音源に「これが一人の女性の仕事なのか?」と驚きを隠さなかったそうです。
しかし「器用貧乏も10年続けば金の小手先になる」と菅野よう子は語ります。持っているものを惜しみなく出し続け、自分ができることを突き詰めた結果が現在の自分なのだと言います。クライアントから無茶苦茶な要求を受けたり、ライブでアクシデントが起こったり、困難な状況の方が燃えるという菅野は、頭の中の引き出しを全て開けて、片っ端から利用して困難を乗り越えてきました。
あれもこれも中途半端にできるというのが器用貧乏でしょうが、菅野よう子はクライアントの問題を解決するために豊富な引き出しを駆使してきたのです。これは器用貧乏とは全く違うと思います。
恐らくさまざまな音楽を聴く中で、気に入ったものや良いと思うものを記憶に留めておく中で、どれが自分のオリジナルで他人の音楽なのかわからなくなっている部分があると思われます。作詞家の松本隆は数千曲を作詞しているため、かつての自分の詞を今思いついたように無意識にパクってしまうことがあるそうです。恐らく菅野よう子は、無意識に他で聴いた音楽と似たものを自分のアイデアと思ってしまうことがあるのでしょう。
膨大な作曲量で絶大なポジションを築いた人ですから、わざわざ他人の曲を盗用するより、多少満足がいかないものでも自分で作った曲で十分に認められる人です。そんな人が意図的に盗用するメリットはほとんどないと思います。それに加え、盗作と騒がれた曲の中には一聴すると似ているような気がするものの、全く異なる曲のものも多く含まれています。
天才少女と呼ばれた幼少期
1963年に宮城県に生まれます。親戚の家のピアノから離れない姿を見て、両親がピアノを買い与えました。頭の中に浮かぶ音楽をピアノで鳴らして喜ぶ子供で、ヤマハ音楽教室に通いだすと頭角を現しました。そしてあちこちのコンクールに出ては賞をもらうようになりました。当時の菅野は審査員が喜びそうな曲を知っていて、審査員ウケが良い曲を演奏していたそうです。しかしそんな菅野を見抜いた審査員から「もっと子供らしい曲を作りなさい」と注意を受けたというエピソードがあります。幼少期の菅野よう子は、言葉で何かを伝えるよりも音楽にした方が楽だったそうで、音楽は作品ではなく「致し方ないコミュニケーション手段」だったと語っています。そのため作曲を始めたのは2歳か3歳の頃だったといいますから、早熟型の天才肌だといえるでしょう。
大学で人生が変わる
小説家になりたいと思い、早稲田大学の文学部に進学します。それまでクラシック音楽ばかりを聴いて弾いていた菅野は、ここで初めてドラムセットを見たそうです。両手両足で違うリズムを刻むのを見て、この人は天才だと感動して周囲に呆れられたといいます。そして曲を聴くとすぐに楽譜を起こせる菅野の能力は、大学で重宝されることになります。さまざまなレコードを聴かされ、楽譜にすることを先輩から頼まれるようになったのです。この時に、さまざまな音楽を聴いたことでさまざまなジャンルのお約束を覚えていったそうです。そしてクラシック音楽にはあまり関係ない、ビートを覚えたのもこの頃だそうです。高い音楽スキルがありながら、クラシックしか聴いていなかった菅野はスポンジのようにさまざまな音楽を吸収していったそうです。そして大学で便利な音楽屋として菅野の名前が知られるようになると、光栄という会社から仕事の依頼がきました。光栄は現在の「コーエーテクモゲームス」という会社で、後に大ヒットゲームを連発することになります。
信長の野望の成功
当時の光栄は小さな会社で、ゲームの専業会社ではありませんでした。とにかく安く早く曲を仕上げる人が欲しくて菅野に声を掛けたようです。仕事の依頼は新作ゲーム「信長の野望」のゲーム音楽でした。わずか3音しか同時に鳴らせない貧相な音楽環境で、菅野はゲーム音楽を手がけていきました。しかしこの「信長の野望」は光栄の大ヒットゲームに成長し、次々に続編が作られることになります。菅野は続編も続いて作曲することになりました。そしてこの頃、ロックバンド「てつ100%」のメンバーとしてメジャーデビューを果たしました。ここから3年間、バンドが解散するまでロックバンドの活動と作曲を同時進行するようになります。
広告音楽とアニメ音楽
広告音楽の世界に向いていると言われ、菅野はCM音楽の製作を始めます。「ココロも満タンに、コスモ石油」「なに飲もうかな、ビタミンウォーター」のフレーズなどが有名ですが、1000曲以上のCM曲を手掛け、CM音楽の女王と呼ばれるようになります。菅野よう子の名前を知らなくても、誰もが菅野よう子のCM曲を一度は聴いたことがあるはずで、有名なCMを何本も手掛けています。
菅野よう子CM集動画
本気で洗脳できる音楽を考えたという「マクロスプラス」のサウンドトラックは、業界に大きな影響を及ぼしました。多くの関係者は何人もの作曲家を招いたと思い、アニメでここまでやるのかと驚いたそうですが、実際には一人の作曲家が短時間で仕上げたと聞いてさらに驚きました。「マクロスプラス」のヒットは、アニメ音楽を次のステージに引き上げていき、海外でも菅野よう子の名前が知られるようになっていきます。
アニメでヒット作を連発
「マクロスプラス」の成功は、菅野の元にいくつもの仕事を呼び寄せました。次々にアニメ作品の音楽を手掛けると話題になり、ヒットメーカーになっていきます。その中の一つ「カウボーイビバップ」は、アニメの世界的なヒットもあって菅野よう子の名前を海外に知らしめました。また俳優の小栗旬はこのアニメを見た時に、音楽の格好良さに感心して菅野よう子の名前を覚えたそうです。いつか自分で映画を作るときには、この人に音楽を依頼しようと決めたそうです。そして「∀ガンダム」の仕事が、菅野よう子の力量をさらに押し上げることになります。プロデューサーの富野由悠季は難解な言葉を多用して、自らのロジックを弾幕のように張り巡らして菅野よう子にガンダムの世界観を伝えてきたと言います。直感的に音楽を作ってきた菅野にとって、理論攻めに会うというのは創作意欲を削ぐ行為でしかなかったようです。半年に及ぶ対話を繰り返し、富野の求める音楽は映像と同じ哲学を持った音楽であることに気づき、サウンドトラックは完成しました。そのデモテープを聴いた富野は、そのバラエティ豊かな音源に「これが一人の女性の仕事なのか?」と驚きを隠さなかったそうです。
実写にも進出
上記のように小栗旬は自身が監督した「シュアリー・サムライ」で菅野を起用し、長澤まさみは「海街diary」に起用された際に監督に菅野を推薦しました。NHKの朝の連ドラ「ごちそうさん」や大河ドラマ「おんな城主 直虎」などの音楽を担当するようになり、仕事の幅を広げていきました。今やゲーム、CM、アニメ、実写を問わず、さまざまなジャンルでさまざまなジャンルの音楽を提供するマルチな作曲家で、マルチなプロデューサーとして活躍しています。器用貧乏と言われて
これまで書いたように、菅野よう子の魅力はさまざまなジャンルの音楽を表現できる能力だと言われています。しかし若手の頃は、このさまざまなジャンルに対応できる能力を「器用貧乏」と言われていたそうです。専門の音楽家が多い中、どんな音楽もできることが逆に仕事の幅を狭めていくジレンマに陥り、悩んだ時期もあったといいます。しかし「器用貧乏も10年続けば金の小手先になる」と菅野よう子は語ります。持っているものを惜しみなく出し続け、自分ができることを突き詰めた結果が現在の自分なのだと言います。クライアントから無茶苦茶な要求を受けたり、ライブでアクシデントが起こったり、困難な状況の方が燃えるという菅野は、頭の中の引き出しを全て開けて、片っ端から利用して困難を乗り越えてきました。
あれもこれも中途半端にできるというのが器用貧乏でしょうが、菅野よう子はクライアントの問題を解決するために豊富な引き出しを駆使してきたのです。これは器用貧乏とは全く違うと思います。
盗作疑惑
過去に何度も盗作疑惑が出ています。最近では少しでもメロディが似ていると盗作と言われますし、パッと聴いた感じが似ていても音楽の構成が全く違うものも多いので、騒ぎすぎの感があります。では菅野よう子の場合はどうなのでしょう?恐らくさまざまな音楽を聴く中で、気に入ったものや良いと思うものを記憶に留めておく中で、どれが自分のオリジナルで他人の音楽なのかわからなくなっている部分があると思われます。作詞家の松本隆は数千曲を作詞しているため、かつての自分の詞を今思いついたように無意識にパクってしまうことがあるそうです。恐らく菅野よう子は、無意識に他で聴いた音楽と似たものを自分のアイデアと思ってしまうことがあるのでしょう。
膨大な作曲量で絶大なポジションを築いた人ですから、わざわざ他人の曲を盗用するより、多少満足がいかないものでも自分で作った曲で十分に認められる人です。そんな人が意図的に盗用するメリットはほとんどないと思います。それに加え、盗作と騒がれた曲の中には一聴すると似ているような気がするものの、全く異なる曲のものも多く含まれています。
こんにちは、以前Craigさんトピックのポストにて、コメントさせていただいています。
返信削除4歳の頃。初めて好きになったミュージシャンは、タケカワユキヒデさんでした。銀河を旅する名作のタイアップをする、ゴダイゴの歌ってるその人に、初恋をしていました。
正確には、曲の高さとアニメーションの高さに。だと言えましょう笑。
30年を経たある日。
ゴダイゴのドラムスのトミースナイダーが、成長したミ同じくュージシャンの令嬢シャンティースナイダーと、フランスパリ開催、12回目のJAPAN EXPO に出演した映像にて
久しぶりに、ミュージシャンを見ました。
シャンティーの歌と佇まいは可愛らしく、色ツヤもあり素敵。
そこで、久しぶりに私は超お気に入りに曲を追加しました。
良すぎるからもしかしてカバーかなとさがしました。
それは菅野さんの“Sora”でした。
チャイニーズのような発音。
エコーがお得意のコスモ感を。
ロンドンの、独自のファンクベースミュージシャンに聴かせたら”何語かわからないけどDreamだね、何て人の歌?”と。気に入っていました。
それから私は様々な方に、このメロディーに弱いの。とオススメしてます。
私は菅野さんを、実はあまり知らなかった。別な入り口から知ることは数多に有りますが、劇場番エスカフローネ挿入歌 soraは、何かの折に必ず紹介します。
この自分よがりなエピソードを、菅野さんについてステレオになってない方に話したくておりましたら、またお目にかかれました。(私が勝手に書き込んでるだけですね)
Sora、もし耳が空いた際にいれてみてくださいませ。ご存じだったらごめんなさいね。
聴くとわかりますが、一小節に音は6つ。入ります。
最初2小節で区切ると、歌詞は
“win dain alotica En vai to ri Si to ta ~” です。
艱難辛苦で雲心月性な高貴なメンタルをもった何かが、彼方から囁いているような、宇宙は母の中。そんな感じです。
長くなりました。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
削除シャンティがトミーの娘だというのを初めて知りました。私もゴダイゴを999や西遊記で聴いて育った世代なので、感慨深いです。「エスカフローネ」のsoraは、友人に勧められて聴きました。出だしの歌声の空から降りてきたような優しさが好きで、たまに作業をしながら聴くBGMの中にも入れています。
私の娘は「攻殻機動隊SAD」のOP曲「inner universe」が大好きで、一時期は毎日のように聴いていました。透き通るような声で歌うオリガが死んだと聞いた時には、親子で言葉を失いました。あの声が二度と聴けないんだという喪失感が大きかったです。菅野よう子の曲は、歌い手の選び方も素晴らしいですよね。
トミーの娘と聞いて、シャンティの他の曲も聴いてみたくなりました。