ただ空を飛びたいんだ /20世紀初頭の飛行機の話
1903年、ライト兄弟が初めて飛行機の初飛行に成功し、飛行機の時代が幕を開けます。私はここから第一次世界大戦が始まるまでに開発された飛行機が好きで、この時代の写真を見ていろいろと空想を巡らせます。本当に飛ぶか飛ばないかわからない飛行機も多く、野心的な作品が数多く見られます。
この野心的で情熱的、しかしどこか牧歌的な飛行機に私は魅せられています。科学の粋と職人の技が融合した、ちょっと変わった飛行機を紹介していきたいと思います。
ラングレーは機体の安定性を維持することに重点を置き、空力特性を重視していませんでした。エアロドロームの実験が失敗した9日後に、エアロドロームとは反対のコンセプト(機体の安定性を犠牲にして空力特性に特化した)で設計したライト兄弟が初飛行に成功しました。政府予算を使い、アメリカ最高の頭脳を集めたエアロドロームが失敗し、新聞屋のライト兄弟が成功したのは皮肉なことだと思います。
ライト兄弟はフランスとドイツでひねり翼の特許を申請し、模倣やコピーを防ぎにかかります。ロベール・エスノー=ペルトリは当初はライト兄弟型のひねり翼を研究していましたが、エルロンという今日の飛行機にも標準的に使われる装置を考えます。エルロンはライト兄弟のように翼をひねることなく、補助翼で飛行機を傾かせる装置で、1908年にエルロンを使ったペルトリIIで飛行に成功させました。エルロンの発明は、飛行機の近代化に大きな影響を与えます。
ショートブラザーズは戦後も大きく成長し、ボンバルディアの傘下で現在も飛行機のコンポーネンツを製造しています。
第一次世界大戦で飛行機は偵察機として使用されます。当初は、味方の陸軍兵士よりも敵国の飛行機乗りに親近感を抱いたという記録も残っています。国が違えど空に魅せられた者同士、相通じるものがあったのでしょう。そして飛行機が武器を積んでおらず、空中戦もできなかったことから、敵とはいえ脅威ではなかったというのもあったと思います。
やがて飛行機は偵察だけではなく、座席にレンガを積んで敵の基地に落とすようになります。レンガが爆弾に変わるのに、さほど時間はかかりませんでした。
ライト兄弟が初飛行に成功してから、半世紀程度で飛行機は音速の壁を破る速さを獲得し、数百人を乗せて飛ぶことが可能になりました。しかしどんなに飛行機が進化しても、20世紀初頭のイカれた情熱は帰ってこないような気がします。この情熱が繰り返されたのは、ただ月に行きたいんだと米ソが国を挙げて熱狂した60年代の宇宙開発ぐらいです。次の熱狂はいつやってくるのでしょうか。それは誰にもわかりません。
※イギリス人初の飛行者と豚 |
ただ飛びたいんだ
この時期の飛行機の特徴として、用途が決まっていないことが挙げられます。第一次世界大戦が始まると、飛行機は偵察機として作られ、後に爆撃機となります。戦後は商用飛行機が作られ、空飛ぶバスとして開発されますが、大戦前は飛行機に具体的な目的がありません。とにかく空を飛びたい、ただ空を飛びたいだけで、ものすごい情熱と死亡事故などの人的犠牲を払いながら開発が進みます。この野心的で情熱的、しかしどこか牧歌的な飛行機に私は魅せられています。科学の粋と職人の技が融合した、ちょっと変わった飛行機を紹介していきたいと思います。
エアロドローム(1903年)
スミソニアン学術学会長官のサミュエル・ラングレーは、1894年から飛行機のテストを繰り返していました。これらの飛行機はエアロドロームと名付けられ、無人機でテストを繰り返した後に1903年10月、そして12月に有人機のテスト飛行が行われました。しかしポトマック川に墜落し、失敗に終わりました。ラングレーは機体の安定性を維持することに重点を置き、空力特性を重視していませんでした。エアロドロームの実験が失敗した9日後に、エアロドロームとは反対のコンセプト(機体の安定性を犠牲にして空力特性に特化した)で設計したライト兄弟が初飛行に成功しました。政府予算を使い、アメリカ最高の頭脳を集めたエアロドロームが失敗し、新聞屋のライト兄弟が成功したのは皮肉なことだと思います。
ペルトリII(1908年)
ヨーロッパでも飛行機の開発は行われていて、フランスがヨーロッパでは先進国でした。そんなヨーロッパにライト兄弟の飛行に成功したニュースが届くと、開発者らは驚きを隠せませんでした。ライト兄弟が設計してたライトフライヤー号が飛行する写真が新聞に掲載されると、フランスの技術者は翼がねじれていることに着目し、「ひねり翼」の秘密に気が付きました。ライト兄弟はフランスとドイツでひねり翼の特許を申請し、模倣やコピーを防ぎにかかります。ロベール・エスノー=ペルトリは当初はライト兄弟型のひねり翼を研究していましたが、エルロンという今日の飛行機にも標準的に使われる装置を考えます。エルロンはライト兄弟のように翼をひねることなく、補助翼で飛行機を傾かせる装置で、1908年にエルロンを使ったペルトリIIで飛行に成功させました。エルロンの発明は、飛行機の近代化に大きな影響を与えます。
ジューン・バグ(1908年)
アメリカのグレン・カーティスが製造した飛行機で、アメリカで初飛行した飛行機として認定されました。ライト兄弟は非公認だったんですね。そのライト兄弟からひねり翼の特許を侵害していると訴えられ、凄まじい法廷闘争を行うことになります。戦争での飛行機の有用性が証明されたため、飛行機関連の特許は政府が集中管理することになり、裁判は事実上終結しました。カーティスは第一次大戦後にライト兄弟の会社を吸収し、カーティス・ライト・コーポレーションを設立して、現在も多角企業として存続しています。ショートブラザーズ 無名機(1909年)
1908年に生粋の飛行機メーカーとしてイギリスに誕生したショートブラザーズは、1909年にイギリス国内で初の飛行を行います。ジョン・ムーア・ブラバゾンが搭乗し、イギリス発の飛行機での飛行に成功したのですが、この時彼はブタが入った籠を括り付けていました。当時のイギリスでは、ありえないことを「豚が空を飛ぶようなもの」と言っていたため、豚とともに空を飛んだのです。この話が、宮崎駿の「紅の豚」に影響を与えていることは、間違いないでしょう。ショートブラザーズは戦後も大きく成長し、ボンバルディアの傘下で現在も飛行機のコンポーネンツを製造しています。
※右の豚の前には「私が最初の空飛ぶ豚だ」と書いてあります。 |
飛行機乗り達の孤独
命の保証もない飛行機に乗るのは、それだけで冒険でした。それでも果敢に空に憧れて飛行機は開発され、命知らずたちによって実験飛行が繰り返され、今日の飛行機につながりました。彼らは自動車では体験できない3次元の動きを求められ、やがて強烈な縦や横からくる加速度に耐えなくてはならなくなります。見た目以上に耐力を消耗し、飛ぶだけでくたくたになりました。そしてこれらのことは、飛行機に乗らない人には理解されませんでした。※第一次世界大戦初期のイギリスの飛行機 |
第一次世界大戦で飛行機は偵察機として使用されます。当初は、味方の陸軍兵士よりも敵国の飛行機乗りに親近感を抱いたという記録も残っています。国が違えど空に魅せられた者同士、相通じるものがあったのでしょう。そして飛行機が武器を積んでおらず、空中戦もできなかったことから、敵とはいえ脅威ではなかったというのもあったと思います。
やがて飛行機は偵察だけではなく、座席にレンガを積んで敵の基地に落とすようになります。レンガが爆弾に変わるのに、さほど時間はかかりませんでした。
まとめ
飛行機の歴史は、戦争の歴史とも言われます。しかし飛行機を成功させたのは、とにかく空を飛びたいという情熱で、それがどのように発展していくかは未知数でした。それは馬のいらない馬車として発展した自動車や汽車、風がなくても進める蒸気船などとは違い、実利があるのか不透明な中での挑戦であり、「空気より重いもので空を飛ぶのは不可能」という当時の科学への反逆でもありました。ライト兄弟が初飛行に成功してから、半世紀程度で飛行機は音速の壁を破る速さを獲得し、数百人を乗せて飛ぶことが可能になりました。しかしどんなに飛行機が進化しても、20世紀初頭のイカれた情熱は帰ってこないような気がします。この情熱が繰り返されたのは、ただ月に行きたいんだと米ソが国を挙げて熱狂した60年代の宇宙開発ぐらいです。次の熱狂はいつやってくるのでしょうか。それは誰にもわかりません。
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