映画の歴史の話など7

※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。

ずいぶん空いてしまいましたが、前回の続きです。 アメリカン・ニューシネマは新たなムーブメントとなり、映画スタジオに多くの収入をもたらしました。暴力や性的な描写があり、世相を反映してダークな終わり方をする映画が次々に作られ、そこでは体制に踏みにじられる絶望感が描かれていました。ようやくハリウッドの映画と、時代の空気が一致したわけです。



しかし大衆は飽きっぽいので、どんなに面白くてもいつかは飽きてしまいます。現実世界に絶望と諦めが広がり、映画館でも絶望を感じるとなると人々は疲れてしまいます。それでも67年の「俺たちに明日はない」から始まったアメリカン・ニューシネマは、約10年もの間、支持されていきます。しかしこの間に、アメリカの社会情勢は徐々に変わっていきます。

アメリカン・ニューシネマの幕があけた頃、アメリカの警察は憎悪の対象でもありました。賄賂を要求し、弱者をいたぶる国家の暴力装置は、市民が恐れる存在でもありました。ですから警官が撃ち殺される映画に観客は歓喜の声を上げ、暴力やレイプや人殺しを平然と行なう刑事が主人公の「フレンチ・コネクション」は、リアリティを持って受け入れられました。しかし警察も激しい反発と批難を受けて、徐々にその体質を変えていきます。 さらに絶望感の源でもあったベトナム戦争が、1975年に終結します。アメリカが建国以来初めて経験する敗北でしたが、喪失感と同時に安堵感もあったと言います。もうこれで、ベトナムで死ぬ市民が増えることはないという安堵感です。こうした世相の変化に、敏感に反応したのはスピルバーグだったと私は考えています。

当時、ハリウッド史上最大の利益を上げた「ジョーズ」は、ニューシネマの臭いが残りながらも決定的に違う味付けが施されています。田舎町に追いやられた主人公の警察署長が、最後まで戦い抜いて勝利を収めて物語が終わるからです。 田舎町にたどり着いた主人公は、ニューシネマにありがちな敗北感が感じられます。泳げないという情けなさもあり、ロイ・シャイダーの暗い顔がさらに陰気臭く させています。従来のニューシネマなら、彼はサメに殺されるか悲劇的な結末を迎えるはずです。しかしサメを退治した後は、ボートの破片に捕まって雑談しながら島に向かって泳ぐシークエンスで終わりになっています。

そしてニューシネマを終焉させる決定的な映画が公開されます。出産時の事故で右半分が顔面麻痺という、ハンディキャップを負った俳優がいました。呂律が怪しく、セリフがどもる癖のあるこの俳優は、当然ながら俳優としてほとんど仕事がありませんでした。彼はフランス映画を見て感動し、フランスのように自分で脚本を書けば自分が主 演できる映画が作れると考え、せっせと脚本を書くようになりました。しかし当然ながら、彼の脚本が注目される事はありませんでした。

ある日、彼はテレビでボクシングを見て感動に震えました。王者モハメド・アリに無名の挑戦者が挑み、3ラウンドはもたないという予想を覆してフルラウンドを戦い抜いたのです。彼はその興奮をそのままに、自分のうだつの上がらない生活を重ね合わせて脚本を一気に書き上げます。そしてこの脚本に、映画スタジオは興味を示しました。しかし彼は、自分が主演でないかぎり売らないと主張し、高額な買取価格にも興味を示しませんでした。 仕方なく彼が主演して製作されますが、製作資金はわずか100万ドル程度の超低予算映画でした。しかしこの映画「ロッキー」は爆発的なヒットを記録し、主演したシルベスター・スタローンはスターダムに上ります。

この映画で特筆すべきは、それまでの絶望や敗北感を描くのではなく、希望と可能性が語られて大ヒットしたことです。このヒットにより映画の流れは変わり、以降他の映画でも希望と可能性が語られるようになると、アメリカン・ニューシネマの時代は終わりました。 次回は、80年代までの歴史です。










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