日本女子バレー最大級の逆転劇 /リオ五輪最終予選2016
ライト側から木村沙織がトスを上げると、すかさずセンターにいた荒木絵里香が大きくジャンプします。試合を決める1点、絶対に外せない1点はベテランの荒木絵里香に託されたと思われました。しかしボールは荒木を通り越してレフトに向かい、迫田さおりが助走に入っています。ダメだ、止められる。私は最悪の展開を予想していました。すでに迫田さおりのスパイクは、タイに読まれており、タイの2枚のブロックが迫田の前を塞ぎました。
世界最終予選兼アジア予選の苦戦
2016年5月18日、東京体育館ではリオデジャネイロ五輪の最終予選が行われていました。上位3チームと、それを除くアジア1位が五輪のチケットを手に入れるサバイバル戦です。日本は第4戦目でタイと戦いますが、試合前から悲壮感が漂っていました。前回のロンドン五輪では3位に入り、ロス五輪以来28年目のメダル獲得を達成しました。そのためリオ五輪には当然出場し、2大会連続でメダルの期待がかかっています。しかし最終予選の第3戦で、日本は韓国に黒星を喫してしまいます。
韓国戦は第1セットはデュースに持ち込まれて接戦となって落としますが、第2セット、第4セットは力負けした感があり、1-3で負けてしまいました。決して良い負け方ではなく、見ていて不安になる敗戦でした。そして大きな痛手になったのは、主将でありチーム最大の得点源でもある木村沙織の負傷でした。ブロックの際に小指が脱臼し、第2戦タイ戦の出場が微妙になってしまったのです。
黒星スタートなった日本は、タイ戦は絶対に落とせませんでした。しかし木村の負傷に加えて韓国戦で打ちのめされた精神的ダメージを引きずっていました。そしてタイは日本にとって、厄介な相手だったのです。
急成長を遂げるタイ
ロンドン五輪最終予選で、タイは日本とアジア枠を争いました。同勝敗で並びながら、最終戦で日本が意地を見せて1ポイント差で逃げ切り、タイは惜しくも五輪出場を逃しました。以降、4年をかけて五輪出場のための準備を行い、日本をライバルとみなして急激に力をつけていました。キャプテンのウィラワン・アピヤポンは並々ならぬ決意をメディアに語り、日本にとって苦戦は必至の状況だったのです。
苦戦する日本
日本の真鍋政義監督は、負傷した木村沙織をスターティングメンバーから外しました。そんな日本にタイは展開の早いバレーで攻め込みます。日本も一時は逆転に成功しますが、後半は力負けするような形で20-25で奪われました。試合前から悲壮感が漂っていた日本が、絶対に負けられない最初のセットを落としたのです。
日本が萎縮しているのは明らかでした。苦しい時に声を掛けてくれる木村沙織はコートの外にいます。荒木絵里香が士気を高めるために声を掛け続けますが、荒木が後衛になってリベロと交代すると、声は全く上がらなくなってしまいました。絶対に負けられない試合で打ちのめされる恐怖と戦いながら、精神的にすがるものもなくジリジリと日本は押されてセットを落としたのです。
真鍋監督は、第2セットで3人のメンバーを大きく入れ替えます。山口舞、迫田さおり、そして木村沙織の投入です。困った時はメダリストを投入するつもりだったと語る真鍋監督は、なりふり構わず第2セットを奪取する意思を見せたわけです。そして木村沙織の投入は、ゲームの流れを変えていきます。Vリーグの選手達によると、木村沙織は才能の塊だそうです。普段の天然な言動とほんわかした雰囲気からは想像がつきませんが、コートでは相手が嫌がることを瞬時に見抜き、どんなポジションであってもハイレベルなプレイを維持し、対戦相手を徹底的に追い詰める術を持っているそうです。普段は皆に優しいが、コートでは底なしの悪意を見せる木村の投入は、日本に勢いをもたらしました。
第1セットはブロックがまとまらずに壁の間を射抜かれたり、ブロックが乱れることが多くありました。しかし木村の投入でブロックが統率され、木村は確実にワンタッチしてスパイクの威力を半減させていきました。そして長いラリーが続く中、山口舞がスパイクを決めて流れを手繰り寄せます。さらに迫田さおりのエンジンがかかってきました。彼女の長い滞空時間のバックアタックは、全身をしならせて上空から弓を射るように敵陣を突き刺します。一度エンジンがかかった迫田は取り憑かれたようにスパイクを決め続けます。一進一退の攻防が続きますが、日本はこのセットを奪いました。
大混戦と荒れる試合
第3セットも混戦になります。いきなり0-4と追う展開になりますが、迫田のブロックや石井優希の連続スパイクで1点差まで追い詰めると、タイも連続スパイクで突き放し、12-17と差を広げます。ここで躍動したのが迫田さおりで、後衛に入れば強烈なバックアタック、前衛に入ると長い助走からのスパイクで、タイのブロックをものともせずに得点を重ねます。21-21と追いつき、ここから逆転というところでタイが連続ブロックを成功させて23-25で取りました。
第4セットは日本がリードする展開ながらタイが追いつき、19-20と逆転されてしまいます。負けたら終わりの緊迫する場面で、木村沙織がスパイクを決めてチームを引っ張り、25-23で日本が奪いました。真鍋監督は次々に選手を入れ替え、控えの選手も必死の形相で声を掛け続け、総力戦の様相でした。第4セットを終えて2-2で、勝敗は最後の第5セットに持ち込まれました。
これまでは25点マッチでしたが、第5セットは15点マッチになります。最初に勢いづいた方が勝つ短期決戦です。そして日本は明らかに疲労が見えていました。さらにタイは日本のサーブで全く崩れませんでした。サーブ権があるゲームで日本はタイの強烈なスパイクを受け、タイにサーブ権がある時はそのサーブに苦しみました。なんとか第5セットに持ち込んだものの、苦しい展開に変わりはありませんでした。
白熱の第5セット
その短期決戦の第5セットは、タイのサーブから始まります。日本は丁寧にレシーブし、荒木絵里香のAクイックで先制点を得ます。スパイクが決まった瞬間、荒木は両拳を握りしめて吠えました。絶対に勝つんだという気迫、意地を会場に見せつけます。しかし意地と気迫ではタイも負けていません。すぐに同じAクイックをやり返し1-1としました。
ここから日本のミスもあり2ポイント続けてタイが取りますが、この流れを変えたのがまたも迫田さおりでした。得意のバックアタックを突き刺すと、いつものように笑顔でみんなの元に走るのではなく、両拳を握りしめ、仁王立ちで荒木以上の声で吠えてみせました。獣のような顔つきで吠える迫田も、また意地と気迫を見せつけたのです。
しかしタイは突き放しにかかります。タイは決して日本のサーブに崩れることなく、しつこく拾ってラリーで粘り勝ちします。明らかに地道なトレーニングを繰り返しており、泥臭い強さを身につけていました。そして迫田さおり、木村沙織の両エースのリズムにタイのブロックは慣れてきており、日本は簡単に得点できなくなっていました。3-8となったところでたまらず真鍋監督はタイムアウトを要求します。
しかしタイの勢いは止まりません。試合は過熱していき5-10の場面でタイのスパイクが外れると、審判がチャレンジを要求しました。白熱した展開に、微妙な判定になる部分をビデオ判定に託したのです。そしてついに6-12と6点差になり、日本は追い詰められていきました。タイはあと3点で勝利です。ここから日本は驚異的な粘りを見せます。
レッドカード
6-12からタイのサーブミスで7-12とすると、味方ながら憎らしいほど冷静な石井優希のフェイントで8-12とします。このプレイに、タイの監督はビデオ確認をするチャレンジを要求しました。しかしチャレンジはプレイが終了してから6秒以内に申告せねばならず、これは認められませんでした。タイの監督は主審に抗議し、さらに副審にも抗議しましたが、チャレンジが認められないと分かると、がっかりした表情で今度はタイムアウトを要求しました。
タイムアウトが終わると、タイの選手が主審と何かを話しています。すると主審はレッドカードを取り出して、タイにペナルティを与えました。タイの監督が遅延行為を行ったというのです。レッドカードは相手チームに1点が入るので、これで9-12になりました。しかしまだまだタイの気迫は衰えていません。
そこにサーブを打つ宮下遥が、エンドラインギリギリのサービスエースを決めました。大きくラインを超えると思えたサーブはギリギリでドライブがかかり、エンドライン手前に落ちたのです。宮下はわずかに微笑む程度の喜びを見せて、すぐにサーブの準備に向かいました。このサーブが返ってきたところを石井が決めて、11-12と1点差に詰め寄りました。
そして石井優希のブロックポイントで、ついに日本は6点差から12-12と追いつきました。さらに迫田のスパイクで、13-12と逆転します。ここでタイの監督は選手交代を要請しました。この大会から選手交代はタブレットで送信するのですが、選手交代をした直後から主審とタイの選手が話し合いをしています。どうやらタブレットのトラブルで選手交代が送られておらず、このドタバタを主審はタイの遅延行為と判断してレッドカードを出します。ついに14-12で日本はマッチポイントを迎えました。
マッチポイント
幸運な得点にも関わらず、コートにいる日本選手は笑顔を見せませんでした。あと1点というところまで来て、集中しているのです。日本のサーブから始まった攻撃は日本ボールになり、木村が強烈なスパイクを放ちますが、タイはそれを完全に読んでいて、2枚のブロックでドシャットしました。これまで得点を重ねていた木村のスパイクを、タイは完全に見切ったのです。これで14-13となりました。次の1点を取れば勝利が決まり、落とせばデュースに持ち込まれます。だからどうしても決めたい1点でした。
タイのサーブを拾った日本は、右サイドの木村がトスを上げます。荒木が大きくジャンプしますが、タイのブロッカーは荒木を見送ります。荒木の頭上をボールは超えていき、そこに大きく助走した迫田が飛び込んできました。待ち構えていたタイは2枚のブロックが飛びます。迫田のスパイクは、完全に見抜かれていました。空中で大きく全身をしならせた迫田は、2枚ブロックの正面からスパイクを打ち抜きました。
迫田さおりのコートネームはリオです。すでにコートネームがサオリの木村沙織がいたため、さおりを逆から読んでリオになりました。ファンはその滞空時間の長さから、エア・リオと呼ぶこともあります。迫田は175cmと決して高い選手ではありませんし、最高到達点も305cmと飛び抜けて高くはありません。その迫田が面白いようにスパイクやバックアタックを決めるのは、最高到達点に達するまでの時間が他の選手より短いからでしょう。長い助走からキツく縮んだバネが急激に伸びるように、一気に空中に跳ね上がります。ブロックする側は、他のスパイカーよりも早めに飛ばなくてはなりません。そのわずかなタイミングのズレが迫田の勝機につながります。
それはまさにブロックをぶち抜くスパイクでした。タイの2枚のブロックを突き抜けたスパイクは、タイのレシーブを破壊し、ついに日本は6点差をひっくり返したのです。両チームの目に涙が光り、苦戦を戦い抜いた嬉しさや悔しさが垣間見えました。両チームが死力を尽くし、フルセットの末に日本が勝利しました。観客席も泣いているファンがいます。予選のたった一勝ですが、この試合がいかに重要だったかをファンも知っていました。ですからまるで五輪出場が決まったかのように、ファンは喜んでいました。
その後の日本代表
日本は歓喜に包まれましたが、タイ国内では怒りが爆発しました。タイの監督は試合が日本による茶番だったと怒りをぶちまけ、不当に2点を献上させられたらと訴えました。タイのファンも納得がいかず、木村沙織のインスタグラムにはタイ語のコメントが殺到して炎上しました。1試合でレッドカードが2枚というのはあまりなく、審判が不当に日本に肩入れしたと思われたのです。
その後の日本代表は連勝して、五輪行きのチケットを手に入れました。最大の難関を突破したことでチームがまとまり、悲壮感が消えて強さを取り戻しました。しかし五輪本番ではアメリカの壁に阻まれ、2大会連続のメダルは達成できず5位に終わりました。本人達が望んだ結果には届かなかったですが、真鍋監督率いる日本代表は、何度もハラハラさせられる好ゲームを繰り返して面白いバレーを見せてくれました。
まとめ
審判が日本贔屓だったなど、後から色々と言われた試合ですが、白熱した好ゲームだったことは間違いありません。両チームが死力を尽くしたからこそ生まれた名勝負ですし、何より1セット目では勝ち目がないかに見えた日本がゲームを立て直したのは圧巻でした。ロンドン五輪の3位決定戦に続き迫田さおりの大活躍が印象に残りましたが、彼女は代表メンバーの当落線上にいた選手で、今回もなんとか代表に入れました。しかし全身を使って豪快に放つバックアタックは、チームに勢いをもたらしました。また改めてこのチームは木村沙織のチームだと実感させられた試合でもありました。彼女のブロックがなければ、0-3で負けていた可能性もあったと思います。今見返しても手に汗握る、素晴らしい試合でした。
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