電車内の赤ん坊の泣き声 /母親へのプレッシャー
先日電車に乗って吊り輪につかまっていると、目の前に座っている赤ん坊がギャンギャン泣き続け、母親は私と目が合うと「すみません」と申し訳なさそうに謝りました。私が「お腹がすいてるんですかね?」と尋ねると「ミルクを飲ませようとしても飲まないんです」と言い、「おむつは濡れてませんか?」と尋ねると「大丈夫みたいです」と、赤ん坊のおむつを触りながら言います。そこで「では眠りたいけど眠れなくてグズっているから、そっとしておいた方がいいですよ。泣きつかれてたら寝ますから」と言うと、隣に座っていたオジさんが私を睨みつけて、私たちに聞こえるように大きく舌打ちをしました。母親は「すみません」と謝り、さらに赤ん坊をあやし続けます。こうなると赤ん坊は、火がついたように泣き続けるだけになります。
泣き止ませたい時は、この3つを確認することが基本になります。ですからお腹がすいた時にミルクがなければ、泣き止ませることはできません。泣きつかれて寝ることはありますが、起きたら再び泣き出します。これ以外にも母親の不安が子供に伝わり、泣き出すこともあります。冒頭に書いたように、母親が「すみません」を連発して謝り続けていると、その不安が赤ん坊に伝わって泣き続けるのです。
また赤ん坊に履かせている靴が、自分の服を蹴り続けているので不愉快になったとか、泣いているのに親は知らん顔してスマホをいじっているのか不愉快だという意見も多く見られます。また、親が「すみません」と一言言えばいいのに、「赤ん坊は泣くものだから仕方ない」と開き直った態度を取っていることに不快感を示す人もいます。
大別すると、赤ん坊を公共交通機関に乗せるべきではないという赤ん坊に対する意見と、泣くのを放置する親に対する不満があるように思います。私の主観ですが、どちらかというと親に対する不満の方が多いように感じました。
赤ん坊は生後2か月程度は、2時間おきに起きて泣き出します。この期間、母親は不眠不休の体制で赤ん坊の世話をします。そしておおむね3か月頃から、赤ん坊は昼と夜の区別ができるようになり、夜の方が多く寝るようになります。しかし個人差も大きく、まだまだ夜中にミルクを与えなければならないケースも多く、大抵の母親は寝不足と戦いながら世話をすることになります。赤ん坊を抱えて電車に乗るような母親は、大抵が極度の寝不足や疲労感を抱えているのです。
これに加えて初めての子供の場合はわからないことが多く、かつてのように過程で祖母にアドバイスを受けることもできないため、よその子よりも夜泣きが多いとウチの子は異常があるのではないか、あまりミルクを飲まないと内臓に異変が起きているのではないかと、絶えず不安を抱えています。多くの母親は神経症気味になっていて、精神的に不安定な場合が多く見られます。寝不足、疲労、絶えず襲う不安と戦いながら、育児は始まるのです。
かつて大家族で住んでいた時代なら母親が抱き続け、母親に用事ができると祖母が抱き、祖父が抱き、甥っ子が抱き、誰かが常に抱くことが可能でした。しかし現在では核家族化が進んだため、母親が料理を作るときには抱っこされず、保育園では大勢いるので保育士に抱っこされる時間は限られ、かつてのように抱かれっぱなしというのはなくなっています。そのため現代では、母親が可能な限り抱き続けても、抱き癖がつくほど抱いていることは不可能なのです。
生まれてすぐの赤ん坊は、わずかな視力で必死に母親の顔を覚えようとします。視力だけでなく母親の匂いや感触を覚え、母親を見分けるために全ての能力を注ぎます。赤ん坊にとって母親とは自分の生存に無くてはならない存在で、母親に捨てられることは死を意味します。母親は全能の存在で、食事を与えてくれ、排せつを処分してくれ、外敵から守ってくれ、安心を与えてくれる存在です。その母親に抱かれるというのは、赤ん坊にとって最も安らぐ時間なのです。
赤ん坊が泣くのは、母親に抱かれたいからだという意見がありますが、母親に抱いて欲しくて赤ん坊が泣くのは当たり前なのです。そして抱いていないと泣き続ける時は、何らかの不安を感じているからで、それが慣れない初めての空間にいるとか、初めての騒音を聞いているとか、見たことがない動物がいる(ペットの犬とか)など、大人にとっては他愛もないことです。抱かなければ泣き止まないのは育て方が悪いのではなく、赤ん坊が不安を感じているからであり、その不安は成長の過程でどの赤ん坊も感じるものなのです。
赤ん坊は泣くようになっていますし、それを止める手段はほとんど無いのです。一言「すみません」と言ってくれればという意見も、誰かが乗って来るたびに母親に謝れというのは非現実的です。そもそも公共交通機関は誰もが乗れるもので、赤ん坊にも乗車する権利があります。その赤ん坊を乗せているからといって、母親が謝らなければならない理由にはなりません。母親は堂々と乗ってもらいたいと思います。むしろ母親の不安が赤ん坊に伝わることで、ヒステリックな泣き方に変わることがあるので、母親には堂々と乗っていて欲しいと思います。
赤ん坊の靴が服に当たって汚れる場合などは、母親に靴を脱いでもらうようにお願いすればいいだけの話で、私もスーツが汚れそうな時には何度かお願いしたことがあります。しかし先に書いたように多くの母親は余裕がなく、神経症気味になっているので嫌な対応をされることもあります。普段は良い人でも、子育ての間は人が変わったようになる人も多くいます。そういう時は、黙って自分が他の車両に移動すればいいのです。赤ん坊がいない車両にいけば、泣き声を聞くこともありません。
どうしても不満がある方は、車掌さんに相談してはいかがでしょうか。公共交通機関には運送約款があるので、それに沿った判断をしてくれるはずです。大抵は迷惑行為に対して乗車拒否をする権利が鉄道会社にあるので、それに赤ん坊が該当すると判断されれば母子に降りるように車掌が指示するでしょう。車掌が該当しないと判断したら、不満のある人が我慢するか降りるかを選ぶことができます。
少子化が進む日本で、その弊害がさんざん語られているにも関わらず、電車でも公園でも子供はうるさいと言われ、保育園を建設するにも周辺住民から反対されます。子供を育てる環境はどんどん厳しくなっていて、経済的に余裕がない人が子育てをするのは本当に辛い状況になっています。そのうち、子供は金持ちしか産めない社会になるのではないかと危惧してしまいます。これほど少子化が問題視されていながら、子育てする人を応援する環境がないのはなぜでしょう。不思議でなりません。
私もこの意見に同意する部分があり、酔って電車で騒いでいる人はどうにかならないかと思うことがあります。赤ん坊の泣き声は、生まれた時から備わっている機能で防ぎようがありません。しかし酒は大人が飲むもので、いくらでもセーブが効きます。他人に迷惑をかけないように飲むことは可能なはずで、それができない人はアルコール中毒の予備軍なので医者にかかるべき人達です。しかし現実には、酔っ払いは仕方ないとされ、赤ん坊は迷惑だとされています。なんだかこれも不思議な気がします。
そして、もう少し子供を育てる親に寛容な社会になったらと願っています。
赤ん坊の欲求
赤ん坊は泣くことだけがコミュニケーションなので、基本的に1日中泣いています。欲求は3つしかなく、「お腹すいた」「眠い」「おしっこ(うんこ)」になります。泣いている時は、この3つのどれかが満たされていないことを訴えているわけで、さらに親に泣き声が聞こえるように人が不快に感じる周波数で泣くという機能を備えています。泣き止ませたい時は、この3つを確認することが基本になります。ですからお腹がすいた時にミルクがなければ、泣き止ませることはできません。泣きつかれて寝ることはありますが、起きたら再び泣き出します。これ以外にも母親の不安が子供に伝わり、泣き出すこともあります。冒頭に書いたように、母親が「すみません」を連発して謝り続けていると、その不安が赤ん坊に伝わって泣き続けるのです。
ネットでは母親に厳しい意見が多い
電車や飛行機の中で泣き続ける赤ん坊に対し、泣き止ませるのが母親の仕事だという意見は多く見られます。中にはしつけられないなら外出するなとか、子供のしつけもできないなら子供を産むなとか手厳しい意見もあります。また赤ん坊に履かせている靴が、自分の服を蹴り続けているので不愉快になったとか、泣いているのに親は知らん顔してスマホをいじっているのか不愉快だという意見も多く見られます。また、親が「すみません」と一言言えばいいのに、「赤ん坊は泣くものだから仕方ない」と開き直った態度を取っていることに不快感を示す人もいます。
大別すると、赤ん坊を公共交通機関に乗せるべきではないという赤ん坊に対する意見と、泣くのを放置する親に対する不満があるように思います。私の主観ですが、どちらかというと親に対する不満の方が多いように感じました。
核家族化の影響
昭和の頃なら、母親は祖母や祖父に子供を預けて出かけることが可能でした。また専業主婦が多い時代ですから、母親は時間を自由に使うことができました。しかし核家族化は、母親の仕事を一気に増やしていきました。最近では共働きでなければ家計を維持できない家庭が多く、生後2か月から保育園に預ける家庭が増えました。朝から保育園に預け、仕事に出かけ、仕事が終わるとお迎えに行って、そのままスーパーで買い物をして自宅で夕食を作るという生活です。赤ん坊は生後2か月程度は、2時間おきに起きて泣き出します。この期間、母親は不眠不休の体制で赤ん坊の世話をします。そしておおむね3か月頃から、赤ん坊は昼と夜の区別ができるようになり、夜の方が多く寝るようになります。しかし個人差も大きく、まだまだ夜中にミルクを与えなければならないケースも多く、大抵の母親は寝不足と戦いながら世話をすることになります。赤ん坊を抱えて電車に乗るような母親は、大抵が極度の寝不足や疲労感を抱えているのです。
これに加えて初めての子供の場合はわからないことが多く、かつてのように過程で祖母にアドバイスを受けることもできないため、よその子よりも夜泣きが多いとウチの子は異常があるのではないか、あまりミルクを飲まないと内臓に異変が起きているのではないかと、絶えず不安を抱えています。多くの母親は神経症気味になっていて、精神的に不安定な場合が多く見られます。寝不足、疲労、絶えず襲う不安と戦いながら、育児は始まるのです。
抱き癖という嘘
赤ん坊が泣き続けるのは、抱き癖がついているからだと言う人もいます。我が家に子供が生まれた時に、産科の先生から「抱き癖はとんでもない嘘ですから、可能な限り赤ちゃんを抱きしめてあげて、愛情を感じさせてあげてください」と言われました。この抱き癖というのは、現代では癖になりようがないようです。かつて大家族で住んでいた時代なら母親が抱き続け、母親に用事ができると祖母が抱き、祖父が抱き、甥っ子が抱き、誰かが常に抱くことが可能でした。しかし現在では核家族化が進んだため、母親が料理を作るときには抱っこされず、保育園では大勢いるので保育士に抱っこされる時間は限られ、かつてのように抱かれっぱなしというのはなくなっています。そのため現代では、母親が可能な限り抱き続けても、抱き癖がつくほど抱いていることは不可能なのです。
生まれてすぐの赤ん坊は、わずかな視力で必死に母親の顔を覚えようとします。視力だけでなく母親の匂いや感触を覚え、母親を見分けるために全ての能力を注ぎます。赤ん坊にとって母親とは自分の生存に無くてはならない存在で、母親に捨てられることは死を意味します。母親は全能の存在で、食事を与えてくれ、排せつを処分してくれ、外敵から守ってくれ、安心を与えてくれる存在です。その母親に抱かれるというのは、赤ん坊にとって最も安らぐ時間なのです。
赤ん坊が泣くのは、母親に抱かれたいからだという意見がありますが、母親に抱いて欲しくて赤ん坊が泣くのは当たり前なのです。そして抱いていないと泣き続ける時は、何らかの不安を感じているからで、それが慣れない初めての空間にいるとか、初めての騒音を聞いているとか、見たことがない動物がいる(ペットの犬とか)など、大人にとっては他愛もないことです。抱かなければ泣き止まないのは育て方が悪いのではなく、赤ん坊が不安を感じているからであり、その不安は成長の過程でどの赤ん坊も感じるものなのです。
電車で泣き続ける赤ん坊がいたら
これまで書いたように赤ん坊が泣き止むのは難しく、基本的な3つの欲求のどれかが満たされないからです。お腹が空いたならミルクを飲ませればよいのですが、母乳でなければダメな子もいるので、どうしようもないというのが現実です。赤ん坊を電車に乗せるなというのは暴論で、母親だって家でじっとしていられるならしていたいのです。しかし出かけなければいけない用事があり、仕方なく出ているケースがほとんどで、他にもタクシーを使えなんて意見も共働きしなくてはならない家庭には酷な話です。※外を見せると一時的に落ち着くこともあります。 |
赤ん坊は泣くようになっていますし、それを止める手段はほとんど無いのです。一言「すみません」と言ってくれればという意見も、誰かが乗って来るたびに母親に謝れというのは非現実的です。そもそも公共交通機関は誰もが乗れるもので、赤ん坊にも乗車する権利があります。その赤ん坊を乗せているからといって、母親が謝らなければならない理由にはなりません。母親は堂々と乗ってもらいたいと思います。むしろ母親の不安が赤ん坊に伝わることで、ヒステリックな泣き方に変わることがあるので、母親には堂々と乗っていて欲しいと思います。
赤ん坊の靴が服に当たって汚れる場合などは、母親に靴を脱いでもらうようにお願いすればいいだけの話で、私もスーツが汚れそうな時には何度かお願いしたことがあります。しかし先に書いたように多くの母親は余裕がなく、神経症気味になっているので嫌な対応をされることもあります。普段は良い人でも、子育ての間は人が変わったようになる人も多くいます。そういう時は、黙って自分が他の車両に移動すればいいのです。赤ん坊がいない車両にいけば、泣き声を聞くこともありません。
どうしても不満がある方は、車掌さんに相談してはいかがでしょうか。公共交通機関には運送約款があるので、それに沿った判断をしてくれるはずです。大抵は迷惑行為に対して乗車拒否をする権利が鉄道会社にあるので、それに赤ん坊が該当すると判断されれば母子に降りるように車掌が指示するでしょう。車掌が該当しないと判断したら、不満のある人が我慢するか降りるかを選ぶことができます。
少子化が社会問題になっているが
少子化が問題視されている中で、子育ては厳しい環境で行われています。年金問題にしても根本的な問題は少子化で、子供の数が多ければこれからも年金だけで生活するだけの額が支給されるのです。最近は子供を産むことにメリットがあるか?という議論も聞かれますが、経済的メリットはゼロに近いでしょう。手間暇お金がかかるうえに、子供から受ける経済的な恩恵はほとんどないかもしれません。メリット・デメリットで子供を語りだすと、デメリットばかりが目立ちます。だから子供を作らない人が増えたのかもしれません。少子化が進む日本で、その弊害がさんざん語られているにも関わらず、電車でも公園でも子供はうるさいと言われ、保育園を建設するにも周辺住民から反対されます。子供を育てる環境はどんどん厳しくなっていて、経済的に余裕がない人が子育てをするのは本当に辛い状況になっています。そのうち、子供は金持ちしか産めない社会になるのではないかと危惧してしまいます。これほど少子化が問題視されていながら、子育てする人を応援する環境がないのはなぜでしょう。不思議でなりません。
酔っ払いに甘く母親に厳しい日本
これほど赤ん坊の泣き声に反発がありながら、酔っ払いには恐ろしく寛容なのにも驚きます。私の友人のアメリカ人は、日本に来るたびに酔っぱらってホテルに帰るのを楽しみにしています。アメリカで彼が千鳥足で家に帰ると近所でろくでなしの評判が立ち、近所の人が「あの家の子供とは遊ばないように」と自分の子供にしつけるので、子供が迷惑すると言っていました。彼は電車で嘔吐した男に怒り、駅に着いた時にホームに放り投げようとして周囲に止められました。そんなことをしたら傷害罪で逮捕されると言われたのですが、彼からすれば酔っぱらって公共の場所で嘔吐するような迷惑行為をしていながら、警察に逮捕されないのが不思議で仕方ないようです。私もこの意見に同意する部分があり、酔って電車で騒いでいる人はどうにかならないかと思うことがあります。赤ん坊の泣き声は、生まれた時から備わっている機能で防ぎようがありません。しかし酒は大人が飲むもので、いくらでもセーブが効きます。他人に迷惑をかけないように飲むことは可能なはずで、それができない人はアルコール中毒の予備軍なので医者にかかるべき人達です。しかし現実には、酔っ払いは仕方ないとされ、赤ん坊は迷惑だとされています。なんだかこれも不思議な気がします。
まとめ
赤ん坊が泣くのを止める方法はほとんどありません。しつけなどの問題ではなく、何かを訴える手段が他にないからです。お腹がすいた、眠い、おもらししたというのは、赤ん坊にとっては緊急事態で、泣いて訴えるしか方法がないのです。泣き声がうるさいからといって、母親にプレッシャーをかけるとさらに激しく泣く原因になるだけで、効果がないどころか逆効果になることがしばしばあります。泣き声が嫌なら、他の車両に移動するなどの方法をとることをお勧めします。そして、もう少し子供を育てる親に寛容な社会になったらと願っています。
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