スーパーポジティブな思考回路 /岡崎朋美とヘルニア手術

大会当日の朝、長野五輪スピードスケート銅メダリストの岡崎朋美はホテルのベッドから監督に電話しました。

「ちょっと起きられないんですけど」

以前から腰痛に苦しんでいた岡崎でしたが、前日は絶好調で異変は何もありませんでした。しかし一晩経って腰に激痛が走り、動くことができませんでした。異常事態です。


椎間板ヘルニア

病院で岡崎は椎間板ヘルニアだと診断されます。2000年4月のことで、ソルトレイクシティ五輪まで2年を切っていました。手術しますと即答した岡崎ですが、所属する富士急ハイランドの監督は難色を示しました。スピードスケートの選手で、椎間板ヘルニアの手術をして復帰できた選手はいませんでした。手術は引退と限りなくイコールに近かったのです。


しかし岡崎は「なんとかなる」と思っていたそうで、ソルトレイクシティ五輪も諦めるつもりは毛頭ありませんでした。疲れも溜まっているし、あちこち痛いところもあるから休暇ができたと考えていたようです。岡崎は必ずソルトレイクシティ五輪に出ると主張し、手術を行いました。

悲しみにくれる周囲

20代後半の岡崎は、スケート選手として決して若くありません。五輪に出るため、岡崎が気の遠くなるような苦しい練習を積み重ね、誰よりも五輪に強い想いを抱いているのを周囲は知っていました。その岡崎が腰にメスを入れるのは、五輪を諦めることになると誰もが思いました。


当初は手術に反対する仲間もいましたが、軟骨が2箇所も飛び出して神経を圧迫し、歩くことも困難な状況だと聞くと、とても反対することはできませんでした。銅メダリストであり国民的な人気者の岡崎朋美のスケート人生は、これで終わりを告げると感じていました。それだけにお見舞いに行くのもはばかられたようです。

入院中の岡崎

関係者が見舞いに行くと、ベッドには岡崎朋美とは似ても似つかぬ岡崎がいたそうです。小柄な女性ほどあった太ももはほっそりとなり、足だけでなく全身の筋肉が落ちていたそうです。あまりの変貌ぶりに見舞いに来た関係者は言葉を失い、涙さえ浮かべる人もいたそうです。岡崎朋美は終わったと思わせるに十分な光景でした。

しかし岡崎自身はあっけらかんとしていました。周囲の心配をよそに、細くなった足を少し動かすだけで筋肉がついてきたことを喜び、この年齢で一から体を作り直すことができるとはしゃいでいたそうです。「人間の体ってすごいよね」と笑顔で言う岡崎に、見舞に来た人は唖然とさせられます。岡崎は全く諦めていませんでした。それどころか、新たな可能性に目を輝かせていたのです。

復帰

入院中に体力をつけようと、普段と変わらない食事を続けたため退院時には8kgも太っていたそうです。激しい運動は禁じられていたため、エアロバイクでのトレーニングを始めますが、どうしても体重が元に戻らず栄養士に相談します。すると普段から不足している栄養があることがわかり、入院しなければこういうことにも気が付かなかったと喜びます。


そして一度休んだ以上、生半可なトレーニングでは五輪に届かないと、激しいトレーニングを再開した岡崎はレースに復帰しました。ワールドカップ選考落ちなども経験し、ソルトレイクシティ五輪の選考会となった全日本選手権では初日5位と出遅れます。しかし2日目に大逆転で五輪出場を決めました。手術をしたら現役復帰は不可能という定説を覆し、岡崎は五輪の切符を手に入れたのです。

まとめ

岡崎朋美は自身を楽観的で、なんでも楽しめる性格だと言っています。常に「なんとかなる」と言い続け、なんとかしてしまう強靭な肉体と精神力の持ち主です。岡崎はあらゆる状況を楽しむことが大事だと語ります。人に言わせると絶望的な状況でも、その中で発見できることも成長できることもあると言うのです。

引退して第二の人生を送っている岡崎朋美は、どんな毎日を過ごしているのでしょうか。その人生が充実していることだろうと思いますが、きっと何かに挑戦しているのではないかと想像してしまいます。


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