日本の品質管理は優れていたのか?
かつて戦後のメイド・イン・ジャパンが粗悪品の代名詞だった時代から、高品質の代名詞に変えた昭和の歴史は、日本の底力を示す物語として語り継がれています。日本の品質向上には、アメリカのエドワーズ・デミング博士という人物が貢献していて、今でもデミング博士の教えは多くの場所で語られています。
デミング博士は「品質管理は経営者以外は行えない」と主張し、品質管理室といった部門に品質管理は不可能だと言います。晩年、品質低下に苦しむフォード社がデミング博士を呼んだ際に、博士は経営の話に終始したため、フォード社長が「経営の話ではなく品質管理の話を聞きたい」と言うと、「品質管理とは経営そのものなのです」と語ったそうです。
日本の品質管理の基礎はデミング博士が広めたと言われ、その功績は今でも「デミング賞」という形で残っています。
その一方で、デミング博士が提唱した「14のポイント」は、日本ではあまり聞くことがありません。デミング博士の本は日本語訳されていないものが大半なので、日本で読むことができる人が限られているのです。
10個作らなくてはならないプレッシャーがかかる工員は、丁寧な仕事を放棄して数をこなすようになります。その結果、エラーが増えて作り直しのコストや時間が浪費されてしまうのです。しかし多くの日本企業は数値ノルマを設定し、余分にかかる時間はサービス残業を行うことで乗り越えてきたように思えます。
生産性が低い工員は叱責され、残業が過剰に増えていきます。やる気を失いますが、終身雇用制があるので会社を辞めることはありませんでした。怒鳴りつけて工員の意識を鼓舞し、サービス残業で後れをカバーする手法は、業界が右肩上がりだった高度経済成長期には合っていたのかもしれません。しかし今日のように低成長時代を迎え、工員が簡単に辞めてしまう現在では、この手法は通用しなくなっているように思います。
時間とコストばかりを使い、さらに工員が辞めると新たな工員を雇って教育するためのコストが必要になるからです。
終身雇用が崩れ、会社に奉仕する概念が崩れた時に「残業代を払え」「パワハラを許すな」「嫌な会社からは辞めよう」という声が出始めて、これまでの会社の手法が通用しなくなったのだと思います。現在「ブラック企業」と呼ばれている会社の多くは、高度経済成長期の手法をそのまま用いているだけの場合が多く、当時はサービス残業もパワハラも当然のように横行していたのです。
日本の品質は世界一だったのだから、かつてのように働けば世界一に返り咲けるといった幻想がありますが、それは無理だと思います。時代も環境も変わったのですから、今の時代に合った手法を見つけられなければ、品質の低下はますます進むでしょう。
※追記
PDCAサークルに関しては、戦後の変化が少ない時代には有効だったのだと思います。アメリカ軍が否定的なのは、プランを練る間にも状況が刻々と変わるような場合、プランが定まりにくいこと。決まったプランを実行しようにも、すでに環境がプランに合わなくなっているケースがあること。チェックに時間がかかり、環境が変化した場合はチェックそのものが意味を持たなくなること。そして最初のプランに縛られて、臨機応変性を失いやすいことを挙げています。
状況が目まぐるしく変わらない市場などでは、今でもPDCAは有効なのだと思います。しかしPDCAは工員などの末端の人が行うのではなく、経営者や工場長が行う手法だということも忘れられがちですね。
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エドワーズ・デミング博士とは
1900年生まれの物理学と数学の博士です。マッカーサーの要請によって戦後の日本に来日し、国勢調査コンサルタントとして働きます。後に国勢調査だけでなく、日本企業にも統計的プロセスの制御と品質管理を教えるようになり、品質の向上が企業の支出を減らして生産性を向上させることを伝えました。デミング博士は「品質管理は経営者以外は行えない」と主張し、品質管理室といった部門に品質管理は不可能だと言います。晩年、品質低下に苦しむフォード社がデミング博士を呼んだ際に、博士は経営の話に終始したため、フォード社長が「経営の話ではなく品質管理の話を聞きたい」と言うと、「品質管理とは経営そのものなのです」と語ったそうです。
日本の品質管理の基礎はデミング博士が広めたと言われ、その功績は今でも「デミング賞」という形で残っています。
デミング博士の手法
デミング博士の品質監視手法として最も有名なのは、「PDCAサークル」と呼ばれるものです。プラン・ドゥー・チェック・アクションの4つのプロセスから成り立つ方法で、多くの企業が導入しています。約20年前にアメリカ軍がPDCAサークルは大量の余剰を生み、決定のスピードを遅らせ、部隊のフレキシブルさを奪うと否定的な意見を出していましたが、日本では今でも多く使われています。その一方で、デミング博士が提唱した「14のポイント」は、日本ではあまり聞くことがありません。デミング博士の本は日本語訳されていないものが大半なので、日本で読むことができる人が限られているのです。
数値目標を排除する
デミング博士が唱える14のポイントの10番目に「数値目標を排除する」というのがあります。また7番目に「職場のリーダーは数値ではなく品質で評価せよ」ともあります。工場で例えるなら、1時間で10個の製品を作ることができる工員と、7個しか作れない工員がいたとします。多くの企業では、10個作れる人の技術を真似て全員が1時間で10個作れるように指導していきます。デミング博士はこれを止めろと言っているのです。10個作らなくてはならないプレッシャーがかかる工員は、丁寧な仕事を放棄して数をこなすようになります。その結果、エラーが増えて作り直しのコストや時間が浪費されてしまうのです。しかし多くの日本企業は数値ノルマを設定し、余分にかかる時間はサービス残業を行うことで乗り越えてきたように思えます。
数値目標の弊害
上記の工場で例えると、1時間で7個しか作れない工員に10個を作らせ、出荷できないような低品質の商品が出たらサービス残業で作り直しをさせます。そうすると1日で80個作れるエリート工員と、何度もやり直しを繰り返して60個ぐらいしか作られない工員が出てきます。生産性が低い工員は叱責され、残業が過剰に増えていきます。やる気を失いますが、終身雇用制があるので会社を辞めることはありませんでした。怒鳴りつけて工員の意識を鼓舞し、サービス残業で後れをカバーする手法は、業界が右肩上がりだった高度経済成長期には合っていたのかもしれません。しかし今日のように低成長時代を迎え、工員が簡単に辞めてしまう現在では、この手法は通用しなくなっているように思います。
時間とコストばかりを使い、さらに工員が辞めると新たな工員を雇って教育するためのコストが必要になるからです。
日本の品質管理は優れていたのか
デミング博士の教えにより、目覚ましい品質改善を行った企業があるのは事実です。しかしメイド・イン・ジャパンの高品質の多くは、労働者が文句も言わずに会社に奉仕をしていた部分によるものが大きく、決して制度やシステムが優れていたからではないように思います。終身雇用が崩れ、会社に奉仕する概念が崩れた時に「残業代を払え」「パワハラを許すな」「嫌な会社からは辞めよう」という声が出始めて、これまでの会社の手法が通用しなくなったのだと思います。現在「ブラック企業」と呼ばれている会社の多くは、高度経済成長期の手法をそのまま用いているだけの場合が多く、当時はサービス残業もパワハラも当然のように横行していたのです。
まとめ
トヨタに代表される品質管理のシステムを構築した会社もあり、トヨタが多くの自動車メーカーのモデルケースになっていることからも、その凄さが伺えます。その一方で、品質管理のシステムを構築するというより、我慢強い社員の人海戦術で乗り切っていた企業も多く、それらの企業が今では苦しんでいるように思います。日本の品質は世界一だったのだから、かつてのように働けば世界一に返り咲けるといった幻想がありますが、それは無理だと思います。時代も環境も変わったのですから、今の時代に合った手法を見つけられなければ、品質の低下はますます進むでしょう。
※追記
PDCAサークルに関しては、戦後の変化が少ない時代には有効だったのだと思います。アメリカ軍が否定的なのは、プランを練る間にも状況が刻々と変わるような場合、プランが定まりにくいこと。決まったプランを実行しようにも、すでに環境がプランに合わなくなっているケースがあること。チェックに時間がかかり、環境が変化した場合はチェックそのものが意味を持たなくなること。そして最初のプランに縛られて、臨機応変性を失いやすいことを挙げています。
状況が目まぐるしく変わらない市場などでは、今でもPDCAは有効なのだと思います。しかしPDCAは工員などの末端の人が行うのではなく、経営者や工場長が行う手法だということも忘れられがちですね。
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