服好きな人=お洒落な人ではないという話
今回はこの混同されやすく、しかし本質的には全く違うと思うお洒落と服好き、さらに流行が好きな人たちについて書いてみようと思います。
服が好きな人たち
私を含めて服が好きな人は多くいるので、雑誌不況の現在でもファッション雑誌が売られ、ネットにはファッション情報が掲載されています。私が服が好きなのは、ちょっとした変身願望のような一面があるからです。服によって自分の印象が変わり、普段とは気分も変わるからです。
スポーツウェアを着ただけで、逞しくなった気分になる人がいますが、それと似たようなものです。私が蝶ネクタイをしたりワークウェアを着たり、アウトドアウェアを着たりするのは、こういった変化が楽しんですね。
さらに言うとモノに興味を惹かれる性格なので、どのような目的で、どのようにして作られたのかを知るとワクワクしてきます。これは単に物体としての興味が強く、お洒落とは全く無縁の興味です。
この服好きタイプは私以外にも多くいて、大抵の人がファッションを楽しんでいます。
流行好きの人たち
流行を追いかける人は少なくなりましたが、今でも確実に存在します。雑誌の宣伝文句をそのまま語る人達で、中には流行に乗せられていることに気がついていない場合もあります。もっとも経済に貢献しているのはこのタイプの方々で、流行が変わると新たな服を買うので、洋服屋さんにとって優良な顧客でもあります。
※80年代に流行したファッション |
メディアが広告主のために育てたいのもこのタイプの人達で、だから熱心に流行を報じて、少し前に流行ったものを着ている人は格好悪いと脅します。流行を追うのに疲れたという人もいますが、流行の先端に身を置くのは時代の変化を感じる意味で、刺激的で面白いことだと思います。
お洒落な人たち
何をもってお洒落かは議論の対象になるでしょうが、私はこのように考えています。
お洒落な人とは、時と場所を選んで、どのように見られたいかという意思を持つ人。自分が何者であるかを知っている人。
小難しい話に聞こえるかもしれませんが、例えば組織のリーダーとして振る舞う時には、誠実さや力強い印象を与える服を選び、知人のパーティを手伝うなら決して主役より目立つような服装をせず、その場に自然と溶け込める服を選ぶ人です。格好良いけど一見して何が格好良いのか分からず、服が目立つことのない着こなしをする人は、かなりのお洒落だと思います。
※歴史に名を残すダンディな男ブランメル |
これは服の値段やブランド、流行とは全く無関係で、むしろ服には注意がいかないので気にすることがありません。この手の人は服を肌のように着こなしていて、真似ようにも簡単にはできません。こういう人は確実に存在しますが、気づかれないことが多いのでお洒落とは思われにくいようです。
このタイプの人は自分をよく知っていますから、無理な背伸びをしませんし、流行を追いかけることもしません。しかし時代の空気に合わせたり、自分の老化などによる変化には、注意深く服を合わせていきます。
まとめ
このように、お洒落な人と服好きでは全く違ったタイプの人だと思います。芸能人にお洒落な人が多いと言われますが、芸能人は見られるのが仕事なので自分がどのように見られているかを意識する人が多く、そしてどのように見られたいかという自身のイメージを事務所の人などと話し合っているので、自然とお洒落になっていく人が多いのだと思います。もっとも俳優の松坂桃李さんのように「仕事で格好つけなきゃいけないのに、なんでプライベートまで格好つけなきゃいけないんですか?」と、普段は上下フリースがメインの人もいますから、一概に芸能人がお洒落とは限りません。
それと「どう見られたいか」「自分は何者なのか」という問いかけを、どれほどの期間やってきたかによって差がでます。40歳を過ぎてから考え出した人と20代のうちから意識していた人では、やはり経験の差が出てきます。こう考えるとお洒落は一種の修行のような感じもしますので、私は周囲のお洒落な方々には頭が下がる想いなのです。
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