あなたは武器を持っていますか?
※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。
なでしこジャパンの優勝から「諦めなければ夢はかなう」という言葉が溢れています。澤選手のように18年間も夢を追い続け、さまざまな障害を乗り越えて夢をかなえたのは素晴しいことですし、諦めなかったことが今回の結果に繋がったのは間違いありません。しかし私は安易に「諦めなければ夢はかなう」という風潮には疑問です。なぜなら全員が澤選手のように努力しても全員の夢がかなうとは思えないからです。
これは以前聞いた話です。日本は子供に「大きくなったら何になりたい?」と質問し、「お花屋さん」「警察官」といった具体的職業を答えるのが常です。しかし職業への理解度が低い幼時に将来の職業を設定させると、大部分の子供が夢を実現できないという結果に終わってしまいます。アメリカでは「どういう大人になりたい?」と子供に質問するそうです。子供は「困っている人を助ける人」「悪い奴らをやっつける人」といった回答をし、「悪い奴らをやっつける人」と答えたある子供は成長する過程で警察官を目指し、ある子供は軍人を目指すのだそうです。
夢を実現するためにガムシャラに頑張っても、恐らく多くの場合は失敗に終わるでしょう。実現するためには戦略が必要です。以前、このブログに書いたと思いますが、私が会った役者タマゴは夢を「アカデミー賞で主演男優賞をとる」と語っていましたが、彼はアカデミー賞とは何かを理解していませんでした。そして英語も学んでいませんでした。日本でどれほど演技を磨いても、アカデミー賞で主演男優賞をとる確率は絶望的に低いのですが、彼はそれを知りませんでした。
ピアニストの上原ひろみは天才児と言われながら、音大に進みませんでした。彼女はバークリー音楽院に行くために、普通の大学に進学してアルバイトしながら授業料を貯めています。そしてバークリーではピアノ科ではなく、作曲科に入りました。彼女は主席で卒業していますから、恐らく早い段階から英語の勉強をしていたはずです。バークリーの授業は英語ですし、課題も英語で提出しなくてはなりません。彼女はピアニストとしての成功のために戦略を練っていたと思われます。
どんなに努力しても戦略がなければ運任せになってしまいます。単にあきらめることなく前進するだけでは、気がつけばとんでもない方向に迷い込んでいたことになるかもしれません。なでしこジャパンにしても、彼女達はガムシャラに努力しただけではなく綿密な戦略がありました。それは彼女達だけでなく監督やスタッフ、協会を含めた大勢の人達が関わり、何年にも渡って実施されたものです。しかし戦略があっても結果が出なければ諦めるというのはよくあることです。ではどうして彼女達は最後まで諦めなかったのか、言い換えればどうして彼女達は諦めなくてよかったのでしょうか。
決勝戦を見ていた人の多くは、流れの中で得点する事はほとんど不可能だと感じていたと思います。疲労は日本が得意とする速いパス回しを鈍らせ、運動量で圧倒するということもできなくなっていました。自分達が磨き上げた武器がなくなったのです。疲労はアメリカも同様ですが、彼女達は強靭なフィジカルでグイグイと押し込んでいきます。180cmの選手はどんなに疲れても180cmなのです。お互いに足がなくなれば、空中戦では背が高い方が有利になります。
恐らく彼女達に残された武器はセットプレイでした。中盤を支配できなくても、ボールを奪えば一気にカウンターを仕掛けたり裏を狙ってパスをだすことで、ファールを誘発させようとしていました。セットプレイなら得点の可能性があると考え無謀であっても前線にボールを運び、DFに潰されるとわかっていても、いやむしろ潰されるためにFWはゴール目がけて走り続けました。私がなでしこを見ていて感じたのは、あきらめなければ夢はかなうではなく、戦略の重要さに加えて「あなたは追い詰められたときに、信じられる武器を持っていますか?」というものでした。
ビジネスでもそれ以外でも、誰しも武器を持って生きていると思います。交渉力であったり事務能力であったり話術であったりさまざまでしょう。しかし自分が得意とする武器が失われ、絶望的な状況になった時にでも信じられる武器を持っているか。これなら一太刀浴びせる事ができると信じられる武器を持っているか。なでしこジャパンにはそれがあったから、あきらめなくてよかったのだと思います。自分を磨くとよく言いますが、それは信じられる武器を手にすることではないか、そんな風に思いました。
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なでしこジャパンの優勝から「諦めなければ夢はかなう」という言葉が溢れています。澤選手のように18年間も夢を追い続け、さまざまな障害を乗り越えて夢をかなえたのは素晴しいことですし、諦めなかったことが今回の結果に繋がったのは間違いありません。しかし私は安易に「諦めなければ夢はかなう」という風潮には疑問です。なぜなら全員が澤選手のように努力しても全員の夢がかなうとは思えないからです。
これは以前聞いた話です。日本は子供に「大きくなったら何になりたい?」と質問し、「お花屋さん」「警察官」といった具体的職業を答えるのが常です。しかし職業への理解度が低い幼時に将来の職業を設定させると、大部分の子供が夢を実現できないという結果に終わってしまいます。アメリカでは「どういう大人になりたい?」と子供に質問するそうです。子供は「困っている人を助ける人」「悪い奴らをやっつける人」といった回答をし、「悪い奴らをやっつける人」と答えたある子供は成長する過程で警察官を目指し、ある子供は軍人を目指すのだそうです。
夢を実現するためにガムシャラに頑張っても、恐らく多くの場合は失敗に終わるでしょう。実現するためには戦略が必要です。以前、このブログに書いたと思いますが、私が会った役者タマゴは夢を「アカデミー賞で主演男優賞をとる」と語っていましたが、彼はアカデミー賞とは何かを理解していませんでした。そして英語も学んでいませんでした。日本でどれほど演技を磨いても、アカデミー賞で主演男優賞をとる確率は絶望的に低いのですが、彼はそれを知りませんでした。
ピアニストの上原ひろみは天才児と言われながら、音大に進みませんでした。彼女はバークリー音楽院に行くために、普通の大学に進学してアルバイトしながら授業料を貯めています。そしてバークリーではピアノ科ではなく、作曲科に入りました。彼女は主席で卒業していますから、恐らく早い段階から英語の勉強をしていたはずです。バークリーの授業は英語ですし、課題も英語で提出しなくてはなりません。彼女はピアニストとしての成功のために戦略を練っていたと思われます。
どんなに努力しても戦略がなければ運任せになってしまいます。単にあきらめることなく前進するだけでは、気がつけばとんでもない方向に迷い込んでいたことになるかもしれません。なでしこジャパンにしても、彼女達はガムシャラに努力しただけではなく綿密な戦略がありました。それは彼女達だけでなく監督やスタッフ、協会を含めた大勢の人達が関わり、何年にも渡って実施されたものです。しかし戦略があっても結果が出なければ諦めるというのはよくあることです。ではどうして彼女達は最後まで諦めなかったのか、言い換えればどうして彼女達は諦めなくてよかったのでしょうか。
決勝戦を見ていた人の多くは、流れの中で得点する事はほとんど不可能だと感じていたと思います。疲労は日本が得意とする速いパス回しを鈍らせ、運動量で圧倒するということもできなくなっていました。自分達が磨き上げた武器がなくなったのです。疲労はアメリカも同様ですが、彼女達は強靭なフィジカルでグイグイと押し込んでいきます。180cmの選手はどんなに疲れても180cmなのです。お互いに足がなくなれば、空中戦では背が高い方が有利になります。
恐らく彼女達に残された武器はセットプレイでした。中盤を支配できなくても、ボールを奪えば一気にカウンターを仕掛けたり裏を狙ってパスをだすことで、ファールを誘発させようとしていました。セットプレイなら得点の可能性があると考え無謀であっても前線にボールを運び、DFに潰されるとわかっていても、いやむしろ潰されるためにFWはゴール目がけて走り続けました。私がなでしこを見ていて感じたのは、あきらめなければ夢はかなうではなく、戦略の重要さに加えて「あなたは追い詰められたときに、信じられる武器を持っていますか?」というものでした。
ビジネスでもそれ以外でも、誰しも武器を持って生きていると思います。交渉力であったり事務能力であったり話術であったりさまざまでしょう。しかし自分が得意とする武器が失われ、絶望的な状況になった時にでも信じられる武器を持っているか。これなら一太刀浴びせる事ができると信じられる武器を持っているか。なでしこジャパンにはそれがあったから、あきらめなくてよかったのだと思います。自分を磨くとよく言いますが、それは信じられる武器を手にすることではないか、そんな風に思いました。
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