90年代の日本でPUFFYが最も重要なミュージシャンだったと思う理由

1996年5月、シングル「アジアの純真」でデビューしたパフィーは、デビューと同時にスターダムに駆け上がりました。ナンセンスな歌詞に力強い演奏、そして元気なのか気怠いのかわからない歌声は、ラジオのヘビーローテーションになり、そこからパフィーの快進撃が始まりました。私はラジオで「アジアの純真」を初めて聴いた時、また変なのが出てきたと感じていました。しかし奥田民生と井上陽水が作詞作曲をしていると知り、2人のお遊びなんだと納得していました。



その時は、まさか20年以上に渡ってこの2人が活躍するとは思っていませんでした。今やベテランの域に達したパフィーですが、重厚感の欠片もなく、相変わらずのマイペースで活動していることも驚かされます。


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96年という時代

世間では7月に始まったアトランタオリンピックが盛り上がり、女子高生ブームが絶頂期に達していました。この年の流行語には「援助交際」「チョベリバ」「ルーズソックス」などがあり、制服をミニスカートにしたコギャルが時代の最先端のように言われていました。

※もう少し後に流行ったガングロギャル


音楽の世界では小室哲哉が全盛期にあり、この年はグローブの「デパーチャーズ」が大ヒットし、華原朋美の「アイム・プラウド」、安室奈美恵の「チェイス・ザ・チャンス」などが記録的なヒットを飛ばしていました。特に安室奈美恵は、熱狂的なファン「アムラー」が増加のを一途を辿り、10代少女の絶対的なカリスマになっていきました。

※小室哲哉と華原朋美


その小室哲哉勢に対抗していたのがミスター・チルドレンで、この年は「名もなき詩」が最大のセールスになっています。またGLAYも大ブレイクしており、BELOVEDが大ヒットしたのはこの年です。またアトランタオリンピックのNHK公式ソング、大黒摩季の「熱くなれ」、久保田利伸の「ラララ・ラブソング」など多くのヒット曲が生まれた年でもありました。

奇跡のてんこ盛り

井上陽水の長男が奥田民生の「雪が降る町」を熱心に聴いていました。陽水もこれを気に入って歌詞を書き写して奥田民生に送るのですが、自分の歌詞を書き写して送られただけなので、奥田民生はスルーしてしまいます。しかしある日、奥田民生の楽屋に井上陽水が「ファンです」と言って現れ、2人は意気投合して麻雀を打つ仲になりました。

※井上陽水(左)、奥田民生(右)


2人で小泉今日子の「月ひとしずく」を共作し、仕事も共にする仲になりました。そして井上陽水とは関係なく、奥田民生は同じ事務所の大貫亜美のデビューアルバムの制作に関わっていました。録音も進む中、突如大貫は同じ事務所の吉村由美を連れてきて、ソロは不安だから2人でやりたいと言い出しました。既に録音も始まっていたので難色を示す人もいましたが、奥田民生は面白いと感じていました。そこでプロデュース業に強い関心を示していた奥田民生に、この2人を任せることが決まりました。

奥田は2人のために曲を書き始め、井上陽水を呼びます。奥田に曲を聴かされ、ボーカルラインを鼻歌で歌うのを聴きながら、その鼻歌はこう聴こえると「北京、ベルリン、ダブリン、リベリア」と歌詞を書き始めました。当初は「ナンマイダ」と謳わせるつもりだったそうですが、井上陽水はアジアの地名から発想を広げ、デビューシングルが完成しました。



次に呼ばれたのは振付師の南流石でした。南は奥田民生と井上陽水が何か始めるには、絶対に面白いことが起こっていると感じており、そこで大貫と吉村の2人に会います。こんな可愛い女の子たちに、なにをさせたらいいんだろう?と一瞬だけ悩んだそうですが、デビュー曲のナンセンスな歌詞を歌う2人を見て、すぐにやるべきことが分かったそうです。2人には他の人にはないセンスがあると分かったからです。

奥田民生と井上陽水の出会い、奥田民生のプロデュース業、大貫と吉村という相性の良い2人の出会い、デュオデビューを認めてくれたこと、そして自分が携わることになったタイミング、これらを南は「奇跡のてんこ盛り」と呼んでいます。

パフィーのダンスのセンス

南流石は多くの振り付けを担当しながら、急速に広がっていく沖縄アクターズスクールのキレキレのダンスにに一石を投じたいと思っていたそうです。TRFによってダンスのレベルが上がり、安室奈美恵を筆頭にキレキレのダンスが音楽界に浸透している現在こそ、誰もが真似できるシンプルで楽しいダンスが必要だと考えていたのです。

※南流石


街を歩けば、ルーズソックスのコギャルが闊歩し、彼女らは膝を引きずるように怠そうに格好悪く歩いています。このダラダラした雰囲気こそが、今の時代を表しているのではないか?そう思った南は、アイデアを練っていました。そんな時に、大貫と吉村に出会ったのです。南はまず自由に歌うように2人に言いました。この場合、殆どの人は立ったまま歌うだけだそうですが、大貫と吉村はモゾモゾと動き続け、ダラダラした気怠そうな動きで歌い続けました。

南は2人が独自のリズムを持っていることに気づき、後はそのリズムに動きを与えることにしたそうです。それはまさに南が考えていた気怠く格好悪い動きで、イメージしていたものがそのまま形になっていたそうです。しかし2人の振り付けの覚えが悪く、次々に簡略化が行われ、どんどんシンプルになっていきました。それがさらに気怠さを増すことになり、引き算することで南のイメージが膨らむことになっていきました。

南は2人のダンスセンスを評価しています。有名な振付師やダンサーに習うと、その人のコピーになってしまう人が大半なのに、2人はなにをやっても自分たちのものにしてしまったからです。南流石が振り付けしたのに、自分が振り付けしたとは思えないほど自分たちのものにしてしまう2人は、必ず上手くいくと確信したそうです。

ミリオンセラーを連発する

アメリカのロックバンド、ジェリー・フィッシュのドラマー、アンディ・スターマーによって大貫亜美と吉村由美のデュオは、PUFFY(パフィー)と名付けられました。以来、2人はスターマーのことをゴッドファーザーと呼んでいます。

デビュー曲「アジアの純真」は、いきなり100万枚を超えるヒットになりました。井上陽水の意味不明なナンセンスな詩を、奥田民生のキャッチャーな曲に乗せ、歌声は声を張っても気怠さが残り、それでいて演奏は気合が入っていました。全てがアンバランスな雰囲気が、女性を中心に一気に人気を集めていきます。特に2人の声が絶妙でした。決してテクニカルではなく、声量があるわけでもなく、1人の声はありきたりとも言えます。それがユニゾン(ハモらない)になると、不思議な心地よさを持っていました。



続く「これが私の生きる道」は、資生堂のCMタイアップを意識して作られた曲で、タイトルの漢字だけを読むと「私生道」で「しせいどう」と読めます。これも100万枚を超えるヒットになり、以降「サーキットの娘」「渚にまつわるエトセトラ」までの4曲全てがミリオンセラーになりました。奥田民生と井上陽水のお遊びと思われていたデュオは、ヒットチャートの常連になり、2人を生み出した奥田民生が人気に嫉妬するほどでした。

最も嫌いなミュージシャン

当時、私は「Player」という雑誌をよく読んでいました。バンドマン向けの雑誌で、ミュージシャンのインタビューや演奏方法を中心に掲載している雑誌です。その「Player」が、96年の年末の特集で読者アンケートを大々的に掲載しました。その中の1つ、「最も嫌いなミュージシャン(国内編)」に、パフィーがぶっちぎりの1位で選ばれました。

※Player誌


ちなみに海外編では、イングヴェイ・マルムスティーンで、イングヴェイは好きなギターリストでも上位に入っていました。つまりバンドマン向けの「Player」では、好きなミュージシャンも嫌いなミュージシャンも、本格的な演奏をするミュージシャンが中心なのです。しかし「Player」読者層が、まず好んで聴かないであろうパフィーが1位になったということは、96年はそれだけあちこちで流れていたということです。

このアンケート結果は、決してネガティブなものではなく、パフィーの影響力の大きさを示したものだと思います。

なぜパフィーなのか

CDのセールスだけで言えば、安室奈美恵やグローブには遠く及ばず、ツアーの動員数でいえばGLAYに全く敵いません。パフィーは異物として90年代に登場し、他にはない影響を及ぼしました。例えばカラオケブームを意識した小室哲哉の曲作りは、小室哲哉がやらなくても誰かがやったはずです。



ミスター・チルドレンやGLAYは、80年代のバンドブームの延長線上にいると考えることもできますし、同じく96年にデビューしたSPEEDは、安室奈美恵やMAXの人気に追随する形で人気を得ていきました。しかしパフィーだけは唐突に誕生し、歌だけでなくファッションのアイコンになり、バラエティ番組で人気になり、海外にも進出して限定的とはいえファンを獲得しました。

南流石は「腕をブラブラさせるだけで可愛い」「Tシャツにジーンズだけなのにカッコいい」と語り、激しいダンスも熱い歌唱もなく爆発的な人気を獲得していきました。歌詞はリスナーの共感を呼ぶようなものでもなく、何か特別なことができるわけでもなく、ファンが自然体と呼ぶラフなスタイルを通していきました。なぜそれで人気になったのか?私はパフィーが90年代の空気そのものだったと感じます。

90年代の倦怠感とPUFFYの個性

パブルが弾け、学生には就職氷河期が、大人は減収と会社の倒産に怯えたのが90年代です。90年代末には「失われた10年」と言われ、経済がどんどん悪化していきました。パフィーがデビューした96年頃は「閉塞感」という言葉が、よく使われていました。この頃起こっていた援助交際ブームは、この閉塞感とは無縁ではなく、息苦しさの中でなんとか人々が生きていました。年々歳高記録を更新していた自殺者数は98年には3万2000人を超えていきました。

先行きの見えない不安感が社会を覆い、希望が喪失した日本で、夢や幻想を与える人々が人気を得るのは当然だったと思いまず。また収入が減り、娯楽にかけられる金額が減ったため、カラオケのような安価な娯楽が人気になったのも当然です。当時のヒット曲は、カラオケを意識せずに生まれることは難しかったと思われます。



パフィーは華やかな幻想の対極にいて、華やかな衣装や舞台装置とは無縁でした。さらに普段着で登場し、練習したとは思えない踊りと歌で人気を得ました。彼女たちからユルイ雰囲気が漂い、「頑張ってもできないものはできない」「頑張るより楽しむ方が好き」といったパフィーのスタイルは自然体とい言葉で表され、中高生から大人まで幅広いファンを獲得していきました。

もちろん2人はイメージ通りダラダラ過ごしていたわけではなく、デビューから最初の3年は忙しすぎて記憶が薄いというほどですし、歌もダンスも年々上手くなっていて、かなりの時間を練習に費やしているのがわかります。しかし2人が持ち合わせたユルイ個性は、そんな努力の跡をかき消し、無理をせずに自分らしく生きて人生を楽しもうという人達に支持されていきました。まさに90年代の閉塞感と、その中で生きている人達の空気をパフィーは代表していると思いまず。

海外展開

テキサス州オースティンで開催されたイベント「サウス・バイ・サウスウエスト」に出演し、一定の評価を得ています。その後アメリカツアーを敢行して、彼女たちの人気は海外でも支持されることを証明しました(観客が日本人だらけだったと報じたところもありますが、実際にはアジア人が圧倒的に多かったため日本人だらけに見えたようです)。



その影響もあり、アメリカでは「ハイハイ・パフィー・アミユミ」のタイトルでアニメ化され、大人気とまではいかなかったですが、こちらも一定の評価を得ています。幼児向けアニメだったため親世代も見ており、子供とアニメを見ていたシンディ・ローパーが、パフィーの楽屋に「ファンです」と言って訪れる出来事がありました。この縁で、シンディ・ローパーのアルバム「ボディ・アコースティック」ではパフィーがコーラスで参加しています。

※ハイハイ・パフィー・アミユミ


その他、グリーンデイのビリー・ジョーもパフィーのファンを公言していて、ライブを見に行ったりしていますし、奥田民生のコネクションで多くの海外ミュージシャンと仕事をしており、意外な交流を持っていたりします。

まとめ

90年代を代表するミュージシャンのパフィーは、最も90年代を体現していたと思います。閉塞感に満ちた日本で、ダルくてゆるくて可愛いキャラとして、幅広い年齢層のファンを獲得しました。人気は海外にも波及し、シンディ・ローパーのような大物ミュージシャンも、パフィーのファンを公言するようになります。

人気の低迷とともに一時期はアーティスティックに傾いた時期もありますが、今でも相変わらずのゆるいキャラでデビュー20年を超えました。変わり種は沢山いますが、これほど長く続いているのはパフィーが稀有な存在だからだと思います。


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