椎名林檎の歌詞と音楽の世界

椎名林檎は不思議な歌手で、ポップシンガーと片付けるには重たい印象があります。歌謡曲テイストと洋楽のテイストが混在し、そこに文学的歌詞を乗せることで独自の世界観を持っています。その歌詞も曖昧でつかみどころがない部分があり、その掴みどころのない部分を、少し見ていきたいと思います。



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衝撃的だった「歌舞伎町の女王」

「歌舞伎町の女王」をラジオで初めて聴いたとき、ピンキーとキラーズあたりの曲を誰かがカバーしたのだと思っていました。当時はザ・イエロー・モンキーのブレイクで、昭和歌謡テイストの曲がヒットする時代ではありましたが、あまりにもストレートに昭和歌謡をやっているのに驚いたのです。そして歌詞の文学性は、十代の女性が書いたものとは思えませんでした。


蝉の声を聞くたびに 目に浮かぶ九十九里浜
皺皺の祖母の手をはなれ 独りで訪れた歓楽街

最初のわずか2行、音楽にしても数小節分で、歌の世界観を決定しています。これから歌われる部分の過去と未来までをも聴き手に想像させる2行で、見事としか言いようがありません。「主人公は貧しい環境にいる」「田舎で素朴な少女時代を送った」「両親が離婚するか疎遠になっている」「少女は幸せではない」「これから主人公はきっと堕ちていく」などなど、一気にイメージが湧きあがります。この「歌舞伎町の女王」の歌詞が巧みなのは、冒頭の2行は場所が特定されてリアルな描写なのに、そこから抽象的な歌詞になり、最後の2行で再び場所が特定されてリアルな描写になることです。

JR新宿駅の東口を出たら
其処はあたしの庭 大遊技場歌舞伎町

最初の九十九里浜から新宿へと大きく場所が移動しているのに、その間の歌詞が抽象的なので、白昼夢でも見ていたかのような印象を与えています。歌舞伎町の女王と呼ばれるまでになったのが、現実の出来事なのか主人公の想像なのか曖昧になり、聴き手の想像をかき立てていくのです。


さらにその抽象的な部分には、男を頼ったがために「女王」から「女」に堕ちた母親を見る冷徹な視点ががあり、そのうえで

女になったあたしが売るのは自分だけで
同情を欲したときに全てを失うだろう

と、覚悟を決めた少女の姿が描かれています。リアルな描写にサンドイッチされた抽象性は、甘ったるいものではなく力強いものになっているのです。繰り返しますが、この歌詞は十代の女性が書いたものです。この曲を始めて聴いた時の衝撃は、とんでもなく大きなものでした。これほど高い文学性を有する歌詞を、私はそれほど多くは知りません。

頭がクラクラした「無罪モラトリアム」

過去の2曲とは全く異なる「ここでキスして」をリリースした時点で、全くつかみどころのない歌手になっていたのですが、これらを収録したアルバム「無罪モラトリアム」は、ごった煮的にさまざまなジャンルが放り込まれていました。しかしそれが不思議とまとまった印象を与えていて、この混沌とした印象こそ椎名林檎だと思い知らされました。


作曲の特徴としては、テンション・コードの使い方が挙げられます。つまりジャズ調の曲の作り方をしています。しかしメロディラインは歌謡曲で、歌い方は巻き舌とシャウトを多用したロックテイストです。意図的なのか無意識なのか、椎名林檎の曲の中には同時にいくつものテイストがあふれているのです。曲のほとんどが、ヴォーカル以外を同時に演奏して録音する「一発録り」でレコーディングされているので、スタジオアルバムでありながら、ライブ感があるのも特徴です。

書き下ろしの曲はなく、アマチュア時代に自身のバンドで演奏していた曲を中心に構成されています。しかも流出したデモテープを聴くと、アマチュア時代とほぼ同じアレンジで録音されています。十代のアマチュアミュージシャンが、これほど幅広く音楽ジャンルを網羅していたことに驚かされます。

「正しい街」の不安定感

「無罪モラトリアム」の1曲目「正しい街」は、オープニングナンバーでありながら単調な曲ですが、不安な気持ちにさせられます。4分の4拍子の単調さの中で意図的に言葉と音楽をズラし、執拗に「ai」を入れることで不安定さを増しているからです。

不愉快な笑みを向け 長い沈黙の後 態度を更に悪くしたら
冷たいアスファルトに 顔を擦らせて 期待はずれのあたしを攻めた

という歌詞ですが、歌は言葉の切り方がズレています。

ふゆかい(ai)/なえみをむけながい(ai)/ちんもくのあとたい(ai)/どをさらにわるくしたら
つめ
たい(ai)/あすふぁるとにひたい(ai)/こすらせてきたい(ai)/ずれのあたしをせめた

日本語の切り方がズレているのに加え、aiを強調して歌っているのですが、ビートは小節の頭にきているので赤くした部分が歌では強調されています。このように全てがバラバラなので、聴いていて不安感が増していくのだと思われます。


歌詞と歌い方のズレは、この後デビューする宇多田ヒカルにも見られますが、楽曲の使い方が全く違うので両者が似ることはありません。似ているのは両者とも歌詞を聴かせることよりも楽曲のタイム感を重視していることで、歌詞を聴かせるために演奏に乗せて歌う歌手とはアプローチが違う点です。

まだまだ続く

この不安定なごちゃ混ぜ感は、次作の「勝訴ストリップ」にも継承されていきます。私は椎名林檎の才能の開花はこの2作目のアルバムまでだと感じていて、その後の東京事変などはサウンド的にも格好良いのですが、それまでの椎名林檎を洗練させているに過ぎないと思います。彼女の曲を解説していると、長々となってしまうので、他の曲はまた別に書きたいと思います。
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