伝説のバンドHIS /忌野清志郎は坂本冬美に何を見たのか?

91年にHIS(ヒズ)というバンドが、アルバム「日本の人」をリリースして登場しました。細野晴臣(H)、忌野清志郎(I)、坂本冬美(S)という異色の3ピースで、学生服とセーラー服という姿での登場でした。なにかと話題を振りまいていた忌野清志郎の新たな挑戦を始めたと捉える人、気まぐれでできたお遊びバンドと思う人など、さまざまな見方をされましたが、アルバムの完成度の高さに3人の本気が伺えました。



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忌野清志郎のラブコール

デビュー2年目の坂本冬美が、東芝EMIの1階でデビュー曲の「あばれ太鼓」を評論家に聴いてもらうために歌っていました。たまたま中二階で取材を受けていた忌野清志郎が、その歌声を聴いていたそうです。それ以降、清志郎は気になるアーティストを尋ねられると「フユミ サカモト」と答えるようになります。

※デビュー当時の坂本冬美

清志郎が所属するバンド、RCサクセションのアルバムCOVERSの曲「シークレット・エージェントマン」のコーラスに坂本冬美が抜擢されました。坂本にとって忌野清志郎は「い・け・な・いルージュマジック」で坂本龍一とキスをしていた過激なパフォーマーで「なんで私が?」と困惑するものの、周囲から忌野清志郎に指名されるなんてすごいことなんだよと促されてレコーディングに参加しています。

※忌野清志郎(左)

坂本は恐る恐るスタジオで清志郎に会うのですが、清志郎は目が合うと慌ててそらすような照れた態度だったため、印象がガラリと変わったそうです。そしてレコーディングは、坂本にとってわけがわからずに終わるのですが、清志郎は「最高だ!」と大満足だったようです。

再び清志郎のラブコール

野音で東芝EMIのイベントがあり、清志郎から坂本に共演のオファーが届きます。演歌歌手として着実に実績を積んでいたデビュー4年目の坂本は、再び困惑します。しかし周囲の「これはすごいことなんだよ」という声に押されて、共演を果たしました。



清志郎は学生服、坂本はセーラー服におさげに丸メガネもいう田舎の学生のスタイルで登場し、観客の反応も良好でした。上機嫌の清志郎は、これをスタジオ作品として残したいと言い出しました。そして清志郎は細野晴臣にこのことを話すと、細野も「俺も冬美ちゃんと一緒にやってみたかったんだよ」と言い、HISの企画が動き出しました。



HIS始動

テクノの細野、ロックの忌野、演歌の坂本という異色のバンドは、清志郎と細野が作曲して細野がプロデュースする形で進みます。では誰が作詞するのか?清志郎は坂本に依頼します。経験がなく、作詞は無理だという坂本に清志郎は何かエピソードを書いて送るように依頼し、初恋のエピソードをファックスで送ると、それを基にして「夜空の誓い」という曲が完成します。



レコーディングで坂本が清志郎から求められたのはド演歌風の歌い方で、こぶしを回せ、もっとうなれ、といった指示が出たそうです。当初は普段の演歌とはかけ離れた曲に戸惑い、どう歌って良いかわからないと打ち明けたこともあるそうです。清志郎は「冬美ちゃんは、そのままでいい。冬美ちゃんらしく歌えばいいんだ」と坂本を安心させ、踏ん切りがついた坂本は普段よりも過激にこぶしを回して歌いきりました。

パープルヘイズ音頭

私が初めてHISを見たのは、NHKで演奏した「パープルヘイズ音頭」でした。伝説のギターリスト、ジミ・ヘンドリックスの代表曲で、重くて変幻自在に音を奏でるギターが特徴の曲です。後にヘビーメタルにも決定的な影響を与えるジミの曲は、激しいノイズと荒々しくも歌うようなギターによって強い印象を残します。

私は全く期待していませんでした。かつて流行った金沢明子の「イエローサブマリン音頭」の二番煎じだろうし、たまたまスケジュールが空いていた坂本冬美を使っただけで、細野と忌野のお遊びバンドだろうと勝手に思っていました。しかし学生服姿で登場した3人は、リラックスしつつも唯一無二の世界観を持っていました。

※そこら辺のロックボーカリストを凌駕している坂本冬美の声


楽器はアコースティックが中心で、ノイズもフィードバックもありません。ゆったりとしたリズムで、小気味好いパーカッションが入ります。原曲とは全く異なるアレンジで、テクノでもロックでも演歌でもない無国籍なサウンドが流れます。そこに坂本冬美のド演歌風の歌が入ると、シンプルなのにこれまでに聴いたことのない摩訶不思議な曲になっていきます。HISのサウンドは、理路整然と混沌としていました。

パープルヘイズ音頭はパープルヘイズのカバーではなく、3人によって解体と再構築された異色の曲です。こちらが原曲と言っても信じる人がいるでしょう。私はすぐにアルバムを買いに行きました。

日本の人

アルバム「日本の人」は、パープルヘイズ音頭と同様にアコースティックサウンドが中心で、シンプルなメロディで構成されていました。清志郎の覆面バンド、ザ・タイマーズが腕利きのミュージシャンを堪能する過激なサウンドを前面に押し出したのに対し、HISは素材の良さを活かした感じです。ただし素材はアクが強く、馴染めない人には全く良さがわからないかもしれません。

後に坂本冬美は「3人とも個性がバラバラなのに、揃うとピタッとはまるのが不思議だった」と語っていますが、それは清志郎の作曲センスの良さと細野のプロデュース手腕による部分が大きいでしょう。アンバランスながら絶妙なバランス感覚で均衡を保ちつつ、その危うさを楽しんでいるかのような演奏です。和服を脱いでセーラー服を着た坂本は「鎧を脱いで自由になれた気がした」と語ります。テレビで歌う坂本冬美は、本当に楽しそうでした。

坂本冬美に清志郎は何を見たのか?

今では忌野清志郎のことを坂本冬美は恩人と語ります。HISの後に坂本は「夜桜お七」を大ヒットさせますが、従来の演歌とは異なるポップなアプローチを成功させたのはHISによって新たなスタイルを手にしたからでしょう。



清志郎は単に歌が上手い演歌歌手なら誰でも良かったのでしょうか?「日本の人」を聴くと、とてもそんなレベルで坂本冬美を選んだとは思えません。東芝EMIで初めて坂本冬美の声を耳にした時から、忌野清志郎の中で坂本冬美は他の演歌歌手とは違う何かに気づいたのだと思います。

忌野清志郎も細野晴臣もこぶしを回す歌い方に注目していた時期で、演歌歌手の起用は必然だったのかもしれません。私が思うのは、坂本冬美の声の抜けの良さが理由の一つだったように思います。こぶしを回してもくどくなく、後に引くようなこってり感もなく、男唄を中心に歌っていた坂本冬美の声はパワフルで、抜けの良い質感があります。

そして単純に、忌野清志郎は坂本冬美の中にあるポップシンガーの資質を見抜いたのだと思います。忌野清志郎は時に理詰めで考え、時に直感で判断していました。そして表現したいものがある時に、必要なパートナーを見分ける嗅覚がありました。石川さゆりに憧れて演歌の道を極めようとする坂本冬美に、清志郎は自分が求める声や才能を見出したのだと思います。そうでもなければ、何度もラブコールを送ってはいないでしょう。

「いま最高のヴォーカリスト、坂本冬美です」

清志郎は嬉しそうに紹介していました。

まとめ

たった一枚のアルバムで活動を休止したHISですが、音楽にはまだまだ多くの可能性があることを示しました。何の仕掛けもないシンプルなリズムとメロディで、唯一無二の世界観を構築した3人の手腕は近年になって再評価されています。アルバムは再リリースされ、YouTubeには多くの動画がアップされ、当時を知らない人たちの目にも止まるようになりました。

HISは坂本冬美をいかに活かすかが大きなテーマだったと思います。そして単なるイロモノとして終わるのではなく、他にはない独自の音楽を奏でました。同じようなアレンジが溢れる昨今を見ていると、このくらい大胆なチャレンジがたまにはあってもいいと思います。もっとも、このくらい野心的なアプローチは、馴染めない人には全く馴染めないとは思いますけどね。



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