音楽に政治を持ち込むなという議論があった /忌野清志郎の反乱

2016年、フジロックフェスティバルに、SEALD’sの奥田愛基氏の出演がアナウンスされ、音楽に政治を持ち込むなという議論がありました。この当時も、なんだか変な議論だなと思ったのですが、最近YouTubeにアップされたタイマーズというバンドの動画を見て、思うことがあったので書いてみたいと思います。



この動画はアップされる度に削除されていますが、削除される度に誰かがアップしています。

タイマーズとは

1988年に結成されたバンドで、忌野清志郎そっくりのゼリーを中心に構成されています。誰が見ても忌野清志郎なのですが、二人は別の人物ということになっています。ロックとブルースと演歌とジャリタレポップスの融合をテーマに、過激なライブを行っています。



メンバーはギターに三宅伸治そっくりのトッピ、ベースは川上剛そっくりのボビー、ドラムは杉山章二丸そっくりのパーです。

ヒットスタジオR&Nの衝撃

89年、古舘伊知郎氏が司会を務める生放送の音楽番組「ヒットスタジオR&N」に出演したタイマーズは、5曲を演奏する予定でリハーサルをこなしました。しかし本番では1曲目の「タイマーズのテーマ」を終えて「偽善者」を歌うはずが、別の歌を歌い始めました。

FM東京 腐ったラジオ
FM東京 最低のラジオ
何でもかんでも放送禁止さ
FM東京 バカのラジオ
FM東京 こそこそすんじゃねぇ
お○んこ野郎 FM東京

放送禁止用語を連発する歌に司会の古舘伊知郎は困惑し、ゲストの永井真理子は大笑いし、スタッフはドタバタだったようです。

※興奮しすぎの永井真理子

なぜFM東京を攻撃したのか

忌野清志郎が所属するRCサクセションは、反核・反原発を歌った「ラブ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」をめぐり、レコード会社の東芝EMIから発売中止を告げられました。原発プラントを販売する東芝に配慮したと思われます。



すでにラジオ局にはデモテープが配られており、東芝EMIは放送するか否かはラジオ局の判断に任せるとしました。その中でFM東京だけが放送を自粛したのです。さらに忌野清志郎と村八分の山口富士夫の共作「谷間のうた」がFM東京で放送禁止になり、これらミュージシャンの表現の規制に抵抗するために作られた「タイマーズ」は、FM東京を攻撃するに至ります。

忌野清志郎は政治的な発言を好んだか?

「ラブ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」を聞くと、今日のリベラル勢力の一派のような気がしますが、忌野清志郎はノンポリで政治的な主張に関心は高くありませんでした。しかし70年代に反戦などを歌い、攻撃的だったフォークが恋愛ソングにシフトして軟化し、権力と戦うような歌が日本になくなったことから、そういう歌があってもいいだろうということで反核・反原発の歌を作りました。

※RCサクセション

後に自衛隊を皮肉ったりパンク風にアレンジした「君が代」を発表したのも、基本的には同じ動機です。かつてロック・ミュージックに存在した権力への抵抗を取り戻すために、なるべく大きな権力をターゲットに反旗を翻す歌を歌ったのです。

FM東京事件が語り継がれる理由

この事件以降、パンク系のミュージシャンがこぞって真似して過激な歌詞を場違いな場所で歌ったりしますが、ほとんど記憶されていません。タイマーズがこれらと違ったのは、パフォーマンスの過激さだけでなく演奏や歌が格好良かったからです。モンキーズの曲のアレンジも良く、引き締まったタイトな音で奏でられる演奏には引き込まれます。

※モンキーズ

さらに構成も巧みでした。1曲目の「タイマーズのテーマ」は「モンキーズのテーマ」のカバーですが、サビで歌う「timerが大好き」「timerが切れるぞ」は「大麻が大好き」「大麻が切れるぞ」のダブルミーニングになっているのは明らかで、かなりおふざけ感が満載のカバーです。これをアコースティックでカバーしたところにセンスの良さが垣間見えます。

2曲目は問題のFM東京の歌ですが、放送禁止用語を連発して「ざまあみやがれ」で締めくくったこの歌の後に、今ではセブンイレブンのCMソングとして有名な「デイドリーム・ビリーバー」を演奏します。過激な歌の後に、こういう可愛らしい歌を平然と歌いうことでより強い印象を残しました。

この世界では格好良いことは正義で、格好良くなければ誰にも聞いてもらえず過激なパフォーマンスも一過性の話題として消費されてしまうのです。タイマーズは問答無用の格好良さを見せつけたのが、他のフォロワーたちとの決定的な違いでした。

フジロックフェスティバルの騒動を再考する

奥田愛基氏とSEAL'sは以前から、国会前でのデモなどで音楽を用いていました。その音楽は純粋に音楽を楽しむために炎天下の中に集まった人達に響くほどのポテンシャルがあったでしょうか?平たく言うと、音楽ファンが痺れる格好良さを持っていたでしょうか?問題はその1点にあるように思います。ロックフェスの絶対的な正義になる格好良さを持っていれば、多くの人が熱狂して盛り上がったはずですし、そもそも出演の是非を問うような議論は起こっていません。

※2016年のフジロックフェスティバル

「音楽に政治を持ち込むな」は、実につまらない議論で、洋の東西を問わず多くのミュージシャンが音楽に政治を持ち込みました。音楽に政治を持ち込むのは断然ありなのです。しかし奥田愛基氏がやったのは政治に音楽を持ち込む行為であり、これらとは真逆のことです。政治に音楽を持ち込んだ人がロックフェスに来るのがダメだとも思いませんが、炎天下で拷問のような環境に耐えながら音楽を楽しみたいファンを熱狂させるだけのものを持っていたかということだと思います。

まとめ

過激なパフォーマンスは、過去に何度も行わています。ライブハウスでガソリンを撒いたり、壁を重機で破壊したり、ステージ上でご飯を炊いて、その上に排便したミュージシャンもいます(そんな人が今ではNHKのナレーションをしているのですから、ちょっと笑えます)。その中でも語り継がれているのはごくわずかで、過激さだけでは何も残りません。ステージで排便した某ミュージシャンのパフォーマンスは、当時の証言によると「やっちゃった」という雰囲気が会場に蔓延し、盛り上がるどころか冷めた雰囲気だったそうです。

政治的メッセージもそうで、音楽に乗せて発信すれば伝わるというのは大間違いです。特にロックフェスでは格好良くない音楽やパフォーマンスは嫌われるだけで、反対にどんな主張であっても格好良ければ伝わっていくのです。格好良さは絶対的な正義になるという事実を忘れると、単にブーイングを受けるだけになってしまうのです。いつしかミュージシャンが社会性や政治性を持たなくなり、そんなことも忘れられてしまったのだと思いました。


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