子供のための歴史講座27:パレスチナ問題の続き

やあ〜乱世乱世。時は1918年、場所は現在のイスラエルあたりだ。第一次世界大戦が終わると、アラブ人もユダヤ人もこの地域にやって来た。イギリスから戦争に勝ったら住んでも良いと約束されていたので当然の流れだ。

前回記事:子供のための歴史講座26:パレスチナ問題



娘「これが揉め事の始まりか」

確かにトラブルもあったし揉め事は茶飯事なのだが、イギリスが統治していたし、ここで揉めて自治ができないと追い出されてしまう可能性もあった。だから異なる宗教と異なる民族が、なんとか共存する方向を進めていた人も多かった。

娘「それなら戦争みたいにならなくていいじゃん」

しかし大勢が集まると、なかなか平和的にはいかない。イギリスに協力してオスマン帝国と戦ったアラブ人の中には、家族が死んだ人も大勢いる。命がけで戦って、約束を反故にされたことに怒りを覚える人もいた。あくまでも約束通り、エルサレムをアラブに返せとなるわけだ。一方でユダヤ人達もイギリスが約束したから資金提供をしたわけで、2000年ぶりに帰って来れた約束の地を諦めるはずもない。

娘「複雑だねぇ」

そうこうするうちに、1929年にアラブ人がユダヤ人を襲撃する嘆きの壁事件が起こる。ユダヤ人とアラブ人の双方合わせて200人以上の死者が出たこの事件は、着実にコミュニティを巨大化させるユダヤ人に対し、アラブ人が脅威を覚えたことが原因と言われている。そして1939年にアラブ反乱が起きて、ユダヤ人が襲撃される。イギリスは反乱を抑えるために政策の変更をしたりするが、もうアラブ人もユダヤ人もイギリスを信用してなかった。

娘「そりゃ、そうだね」


※嘆きの壁

ここに新たな火種がやってくる。ドイツのヒトラーが政権を奪取すると、ユダヤ人への弾圧を始めた。ナチスの手から逃れたユダヤ人は、約束の地へ向かう。第二次世界大戦の間に、ヨーロッパ各地からユダヤ人が現在のイスラエルにやって来たんだ。しかしこれ以上の混乱を恐れたイギリスは、移民の増加を認めなかった。するとユダヤ人の過激派グループがイギリスとの闘争運動を始めてホテルが爆破されたりした。

娘「もう、めちゃくちゃ」


※爆破された列車

ついにイギリスは自分たちで統治することを諦め、国際連合にこの問題を預けることにした。イギリスの介入がなくなると、アラブ人とユダヤ人の対立は激しくなり、列車が爆破されたり村が襲撃されて女性や子供も殺されたりの内戦状態になった。そんな中、国連はユダヤ人とアラブ人の分割統治を認めたので、ユダヤ人は1948年にイスラエル独立宣言を出してイスラエルという国ができた。

娘「こりゃ揉めるね」


※建国を祝うイスラエル国民

国連の決定が、アラブ人から見て一方的にアラブ人を支えているように見えるよね。だからアラブ諸国はイスラエル建国と同時に、イスラエルに侵攻を開始した。エジプト、シリア、イラク、ヨルダン、サウジアラビアなどが次々に参戦して第一次中東戦争が始まったのだ。

娘「とうとう戦争になっちゃった」

この後も中東戦争は繰り返され、4回も戦火に見舞われるんだ。中東戦争については長くなるから、また別の機会に話すよ。

娘「なんか、イギリスが一番悪いように見える」


※第四次中東戦争

イギリスは世界の覇者から普通の先進国に落ちていく途中で、すでに民族間のトラブルをまとめる力がなかったんだね。イギリスそのものが第二次世界大戦で焦土になってしまい、外国まで手が回らなかったというのもある。

娘「ところでパレスチナ問題って、宗教の争いじゃなかったの?」

いいところに気がついた。これまで話したように、宗教がこの問題に占める割合は低いんだ。宗教を理由にしている人も多いけど、大国に振り回された人々の生存問題が、パレスチナ問題の本質だと思うよ。

娘「よく言われるけど、テロじゃなくて話し合いは無理なの?」

いきなりテロに走ることはないんだ。散々話し合って解決しないから戦争になる。戦争をするほどの人も資金もない人達が、テロを行ってる。話し合いで解決するなら、戦争もテロも起こらないんだよ。

娘「うーん、難しいねぇ」


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