子供のための歴史講座22:ゴーストップ事件

いや~乱世乱世。時は1933年、場所は大阪北区。大阪府警は大阪で初めて導入した信号機を使い、ご機嫌に交通整理を行っていた。なにせ赤が止まれの合図など全く浸透していない時代なので、メガホンで声を掛けながらの交通整理だった。

※最終的には和解しました。

娘「大阪じゃ、信号機が珍しかったの?」

日本全体で珍しかったんだ。だから赤は止まれとか青が進んで良いとか、ほとんどの人は知らなかった。そこに日本陸軍第四師団の車両が、信号を無視して行ってしまった。これが「ゴーストップ事件」の始まりだ。

娘「警察が捕まえればいいのに」

その通り。おのれ交通ルールを守らんとは許せん!とばかりに血気盛んな巡査が信号無視した若い兵士を止めて、交番まで連行した。。現在なら信号無視ということでキップを切られて終わりだが、これが警察の横暴だと兵士は騒いだ。

娘「なんで?」

捕まった兵士は「軍人を取り締まれるのは憲兵だけ」と主張したんだ。確かに軍隊には軍人の行為を取り締まる憲兵がいる。しかし捕まえた警官も「道路は警察の管轄だ」と譲らず、血気余って殴り合いの喧嘩に発展した。

※旧日本軍の憲兵のみなさん

娘「なにやってんだ・・・」

見かねた野次馬が通報し、憲兵に若い兵士を連れ出して喧嘩はおさまった。しかし軍隊の方で不満が爆発した。「そもそも何で、信号機が赤だと止まらねばならんのだ?」「警察が決めたからだ」「それは警察の横暴じゃないか!」みたいな話になる。

娘「え!?赤信号は止まらなきゃいけないよ!」

この時代、信号機がほとんどなかったので、赤信号で止まる法律はなかったのだよ。そこで憲兵は警察が軍を侮辱していると警察署に抗議し、たまたま署長が不在だったため、抗議の取り扱いに困った係員が内務省に連絡したため、話が大きくなっていく。

娘「なんだそれは・・・」

第四師団の大佐が出てきて公式な謝罪を要求し、大阪府警の部長がそれを突っ撥ねる。そこで大阪府知事と陸軍中将が会談を持つが、これも決裂してケンカ別れに終わってしまう。

娘「いい大人がなにやってんだ」

これが東京に伝わると、警察を管轄する内務省と陸軍省の対立に発展し、陸軍大臣が「陸軍の名誉にかけて謝らせる」とまで言い出す。しかし役所を管轄すると自負する内務省は態度を硬化さていった。これがメディアによって面白おかしく伝えられると、事件の発端となった警察署の署長は心労で入院してしまう。

娘「あらら。気の毒に」

そしてついに昭和天皇の口から「大阪の件は、どうなっているか?」との言葉が出て、激しく恐縮した陸軍大臣が「身命を賭して、ご解決いたします」と陛下に約束する。すぐに大阪の部下に電話で「何をモタモタしとるか!さっさと解決しろ」と怒鳴りつけて、警察との和解になったとさ。

娘「もう、ダメな大人の見本だね」

こうして若い兵士と警官の喧嘩は、5ヶ月もの時間をかけて天皇が登場するまでに発展し、終息した。

娘「ねえ、軍隊に逆らえなかったんじゃないの?」

軍隊の権力が強くなるのは、太平洋戦争に入ってからなんだよ。この頃は、軍隊であっても他の役所から文句を言われたり、一般市民から文句を言われたりすることもあったんだ。それにしても、この事件は陸軍も警察も、どっちもどっちって感じだね。

娘「そこまで意地にならなくてもよかったのにね」

軍隊は普段から「皇軍」と自らを呼んで威張っていたけど、警察は士族出身者が多いから軍隊を徴兵の百姓とバカにしていた。そんな感情がぶつかった事件だね。威張ったり人をバカにしたら、ろくなことにならないってことだよ。



関連記事


にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

コメント

このブログの人気の投稿

アイルトン・セナはなぜ死んだのか

バンドの人間関係か戦略か /バンドメイドの不仲説

懐中電灯は逆手に持つ方が良いという話

消えた歌姫 /小比類巻かほるの人気はなぜ急落したのか

TBSが招いた暗黒時代の横浜ベイスターズ /チーム崩壊と赤坂の悪魔